2006年06月16日

12人の優しい日本人

原作三谷幸喜のちょっと古い映画。日本にもし陪審員制度があったとして、ごく普通の日本人が陪審員を務めたらどうなるだろうか。それが殺人事件で、死刑の可能性のある裁判だったなら…という、日本人の性質を知っている人ならすぐわかる、恐ろしく皮肉のきいたストーリーである。

優しさって何だろう。被害者に加担することか、それとも加害者に情状酌量の余地を認めることか。ご想像のつく通り、12人の優しい日本人たちはなかなか判決を決められない。

具体的にどういう事件でどういう判決になったかは映画を見てもらうことにして、最後まで判決は二転三転する。なあなあで何でも済ませたい日本人、自分が責任を負うことに弱い日本人、他人に対する関心の薄い日本人、平和ボケの日本人。12人がそれぞれの、いかにも日本人的な要素を持っていて、その全ての要素が、明確な判決を下すことには向かないのだ。無用な議論を繰り返すことには、とても向いているが。

ゆえに笑いどころがわからないと延々と冗長な議論をしているだけの映画に見えるかもしれない。日本人のための映画といえるだろう。外国人には「日本人の特徴を極端にするとこうなりますよ」と紹介して見せると、おもしろいかも。

実はこれパロディ映画で、元ネタが「12人の怒れる男」という、ほぼ同設定のハリウッド映画。もちろん登場人物は全員アメリカ人で、議論が活発に交わされ「正義」とか「人権」とかが議論の中心的なテーマとなる。このギャップを楽しむのもおもしろい。

三谷幸喜の笑いの作り方とか、ブラックジョークが笑える人なら、抱腹絶倒間違いなし。現在日本では裁判員という、陪審員とは似て非なる謎の制度が09年に、試験的に導入される予定である。そんな今だからこそ、見る価値が増した稀有な映画であるとともに、もしこの事態を予見していたなら三谷幸喜の観察眼に改めて驚嘆するしかない。


完全に余談だが、三谷幸喜といえば古畑もおもしろいけど、「王様のレストラン」が一番おもしろいと信じてやまない自分がいる。次点は「振り返れば奴がいる」。
年齢がばれるな……

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