2006年07月02日
EU2 AAR ドイツ版三国志(2)
そこからまたちょっと暇な時間をすごしていると、16世紀に入った途端思いもよらぬ事態が。なんとカール五世がアウグスブルクの和議に失敗しプロテスタントを完全否認、反乱祭によりオーストリア帝国崩壊。ファルツ、マインツ選帝侯国がそれぞれ独立……これはいけるんじゃね?ということで、前回と同様の手口で20年かけて両国を婚姻併合。ついでにひょっこり独立していたケルンの司教職を兼任してケルン司教領を併合。ついでにルクセンブルクも(ry
というわけで、1554年。気づけばライン川中流域にまたがる、7つの領土も持つ中堅国家になっていた。恐ろしいのはここまで1回も戦争をしていないということ。国内にプロテスタントやカルヴァン派が増えてきたので1570年、ようやくプロテスタントに改宗。ザクセンというとルターの保護国で真っ先に改宗した国なはずだったんだが、史実に遅れること50年以上。ごめんよルター。ところで結局、君はどこにいたのかね?と思いログを調べてみると……
1517年:スウェーデンがプロテスタントに改宗
スウェーデンかよ!えらくまた北まで逃げたもので……そういえばザクセンといえば選帝侯の一つ。ファルツもマインツもケルンも選帝侯の一つだったことを考えると、選帝侯を4つ兼任している自分は神聖ローマ皇帝になってもいいんじゃないのか?という気持ちが湧いてくるが、調べてみるとこのゲーム、神聖ローマ皇帝位は史実に則る模様。つまりずっとハプスブルク家。ち、つまらん。
その後も暇な日々が続く……はずだったのだが、1590年に突如としてフランスに宣戦布告を食らう。やっとのこさ国内を統一して、驚異的な陸軍の量をお持ち。まともに戦ったら死んでしまうので、同盟しているジェノヴァ、オランダに救援を頼むも、なんとフランスの同盟国にあのブランデンブルクとボヘミアが。貴様ら、200年前は戦争し取ったくせに……まあ200年もたてば状況は変わるのは当然というか、考えてみると本来ブランデンブルク=プロイセンになるべき領土を全部ザクセンが持っているわけだから、恨まれても仕方は無いか。
戦火の行方はというと、当然勝てないわけで。多額の賠償金を払わされる。しかしブランデンブルクに払うのはしゃくだったので、講和条件で賠償金の払い先はフランスだけにしてやった。ざまあみろ。しかしブランデンブルク、フランスの同盟は厄介すぎる。なんとかしなければなるまい。ここでふと東方を見ると、なんか茶褐色の領域がバカでかいんですが。ロシアですかそうですか。
金欠から立ち直ってみると、50年経っていた。とりあえず経済基盤を強くするべく国内に工場を建てる。Vicでも儲かる衣服工場と、兵器工場だ。以後財政はかなり楽になる。外交的にもフランスとの友好関係を取り戻し、敵はブランデンブルクだけに。このゲーム、君主の能力が技術発展や外交成果に大きくかかわってくるのだが、さすがはザクセン、名君ぞろいだ。フランスとの講和もこの点が非常に大きい。
そのブランデンブルクはというと、オランダからベルギーを割譲させていた。わが国は完全にブランデンブルクにはさまれた形になり、向こうとしてはいつでも臨戦態勢な模様。こっちはそこまで好戦的にはなれない。ちなみにブランデンブルクは史実だと30年戦争の折に、プロイセンに植民していたドイツ騎士団領と合併した経緯から後プロイセン王国と呼ばれるようになるのだが、この世界ではドイツ騎士団領をスウェーデンとポーランドが滅ぼしてしまっためにすでに無い。というか30年戦争起きなかったし。この先どうなるんだろう。ひょっとしてプロイセン関係のイベント全部消滅か?
1654年、サヴォワの外交官がわが国で侮辱的な行為を振る舞い、戦争の大義名分を得る。サヴォワといえば、ハノーファー、ブランデンブルク、ボヘミアの同盟国。対するわが国のバックにはイングランド、オランダ、スウェーデンがついていて、今回フランスは中立。ひょっとしてこれはチャンスでは?ということで即日宣戦布告。電撃戦でハノーファー、ベルリンを陥落させて講和。圧勝も圧勝だった。ハノーファーからはミュンスターを割譲させ、ブランデンブルクからは50年前分捕られただけの賠償金を支払わせる。これでまた奴らとは新たな因縁ができてしまったが、知ったことではない。本当は奴らからベルギーを奪いたかったが、そこまでの戦力はわが国にも無く、まだまだ修行不足だ。ちなみにサヴォワとは何事も無かったかのように白紙和平だった。注目すべきはザクセンの人口。開始時たったの1万5千人だった人口はちょうど5倍に。これが250年の成果かと思うとしみじみする。
というわけで、1554年。気づけばライン川中流域にまたがる、7つの領土も持つ中堅国家になっていた。恐ろしいのはここまで1回も戦争をしていないということ。国内にプロテスタントやカルヴァン派が増えてきたので1570年、ようやくプロテスタントに改宗。ザクセンというとルターの保護国で真っ先に改宗した国なはずだったんだが、史実に遅れること50年以上。ごめんよルター。ところで結局、君はどこにいたのかね?と思いログを調べてみると……
1517年:スウェーデンがプロテスタントに改宗
スウェーデンかよ!えらくまた北まで逃げたもので……そういえばザクセンといえば選帝侯の一つ。ファルツもマインツもケルンも選帝侯の一つだったことを考えると、選帝侯を4つ兼任している自分は神聖ローマ皇帝になってもいいんじゃないのか?という気持ちが湧いてくるが、調べてみるとこのゲーム、神聖ローマ皇帝位は史実に則る模様。つまりずっとハプスブルク家。ち、つまらん。
その後も暇な日々が続く……はずだったのだが、1590年に突如としてフランスに宣戦布告を食らう。やっとのこさ国内を統一して、驚異的な陸軍の量をお持ち。まともに戦ったら死んでしまうので、同盟しているジェノヴァ、オランダに救援を頼むも、なんとフランスの同盟国にあのブランデンブルクとボヘミアが。貴様ら、200年前は戦争し取ったくせに……まあ200年もたてば状況は変わるのは当然というか、考えてみると本来ブランデンブルク=プロイセンになるべき領土を全部ザクセンが持っているわけだから、恨まれても仕方は無いか。
戦火の行方はというと、当然勝てないわけで。多額の賠償金を払わされる。しかしブランデンブルクに払うのはしゃくだったので、講和条件で賠償金の払い先はフランスだけにしてやった。ざまあみろ。しかしブランデンブルク、フランスの同盟は厄介すぎる。なんとかしなければなるまい。ここでふと東方を見ると、なんか茶褐色の領域がバカでかいんですが。ロシアですかそうですか。
金欠から立ち直ってみると、50年経っていた。とりあえず経済基盤を強くするべく国内に工場を建てる。Vicでも儲かる衣服工場と、兵器工場だ。以後財政はかなり楽になる。外交的にもフランスとの友好関係を取り戻し、敵はブランデンブルクだけに。このゲーム、君主の能力が技術発展や外交成果に大きくかかわってくるのだが、さすがはザクセン、名君ぞろいだ。フランスとの講和もこの点が非常に大きい。
そのブランデンブルクはというと、オランダからベルギーを割譲させていた。わが国は完全にブランデンブルクにはさまれた形になり、向こうとしてはいつでも臨戦態勢な模様。こっちはそこまで好戦的にはなれない。ちなみにブランデンブルクは史実だと30年戦争の折に、プロイセンに植民していたドイツ騎士団領と合併した経緯から後プロイセン王国と呼ばれるようになるのだが、この世界ではドイツ騎士団領をスウェーデンとポーランドが滅ぼしてしまっためにすでに無い。というか30年戦争起きなかったし。この先どうなるんだろう。ひょっとしてプロイセン関係のイベント全部消滅か?
1654年、サヴォワの外交官がわが国で侮辱的な行為を振る舞い、戦争の大義名分を得る。サヴォワといえば、ハノーファー、ブランデンブルク、ボヘミアの同盟国。対するわが国のバックにはイングランド、オランダ、スウェーデンがついていて、今回フランスは中立。ひょっとしてこれはチャンスでは?ということで即日宣戦布告。電撃戦でハノーファー、ベルリンを陥落させて講和。圧勝も圧勝だった。ハノーファーからはミュンスターを割譲させ、ブランデンブルクからは50年前分捕られただけの賠償金を支払わせる。これでまた奴らとは新たな因縁ができてしまったが、知ったことではない。本当は奴らからベルギーを奪いたかったが、そこまでの戦力はわが国にも無く、まだまだ修行不足だ。ちなみにサヴォワとは何事も無かったかのように白紙和平だった。注目すべきはザクセンの人口。開始時たったの1万5千人だった人口はちょうど5倍に。これが250年の成果かと思うとしみじみする。
Posted by dg_law at 20:30│Comments(0)│