2006年07月03日

EU2 AAR ドイツ版三国志(3)

1687年、とうとうわが国にも探検隊が出現。なんとアラビア半島やカスピ海の地図を持って帰る。すばらしい、と言いたいところだが、そんなところの地図がわかったところで実は全く意味が無かったりする。できれば新大陸かアフリカの地図を持って帰ってきてほしいところだ。ところで我が盟友イングランドがスコットランドに大敗したらしく、アイルランドを全部割譲していた。逆に別の盟主スウェーデンは北方戦争でロシアに大勝。(後の)サンクトペテルブルクを保持する。ロシアは領土が広いだけで、たいしたことはないらしい。またいつの間にか教皇領が消滅。滅ぼしたのはなんとフランスで、イタリアはだいぶフランス領になっていた。考えてみるとこの時代はルイ14世なはずで、まあ奴ならやりかねないなと思った。

1694年、ザクセンの偉大なる君主、アウグスト強王(Friedrich August der Starke)が即位。期待の高まるその能力は……悲しくなるほど弱かった。有名なだけで強かったわけでは無いらしい。しかしここで重大イベント発生することを、俺は覚えていた。

アウグスト強王がポーランド王位を継承:ポーランドが属国になりました


ポーランドといえば、約250年前にはやたらと辛酸なめさせられた国。あのときすでに2万人の騎兵を持っていた、あの国が手に入るなんて……と喜び勇んで詳細を見てみると

全軍隊:騎兵2万人


増えてねぇー!!!何やってんのさポーランド。さすが、史実とおりのへたれっぷりだ。こっちは人口5倍、軍事力も5倍以上に増えたというのに。まあ史実のポーランドなんてこんなもんか、と自分の中にあきらめをつける。その後しばらくはアウグスト強王が死んだり、その息子が神掛かってすばらしい能力だったり、オランダと縁を切って戦争するも引き分けに終わったり、まあいろいろしているうちに50年経過。1740年、いつの間にか我らのスウェーデン・イングランド・ザクセン同盟にロシアが加入していたらしく、ロシアから通達が来る。

軍事同盟の遵守とポーランドに対する宣戦布告請求


あれ?ポーランドってうちの属国だったのでは……しかしここでロシアの機嫌を損ねるわけにはいかないし。というか、ポーランドいらないよな、対して儲かる資源出ないし。というわけで見捨て決定。ポーランドの属国化を破棄しポーランドへ宣戦布告。これがイベントトリガーになったらしく史実より50年ほど早めに「ポーランド分割」が発生。ブランデンブルクとオーストリアがポーランドに宣戦布告。さらにロシアとの同盟関係からスウェーデンとイングランドも宣戦布告。結局6大国から宣戦布告を食らい、一瞬にして歴史から消え去った。ごめんよポーランド……いや、わが国もちゃっかり賠償金もらってるんだけど。


Sachsen_17451745年、フランスからアルザスが独立。どうやらフランスはどうでもよさげなので、ではとわが国が宣戦布告。アルザス王国の存在はわずか半年だけでした。合掌。久々の領土獲得でとうとう9つ目。ザクセンの人口もとうとう17万人を突破。この数字の伸び方をみると医療が発展したんだろう、Victoriaの時代がいよいよ近くなっていることが実感されておもしろい。

1770年、わが国にもとうとう近代的軍隊制度が確立。軍隊のアイコンが変わって驚いた。今までは怪しげな銃とか槍を持っていたのにライフルに変わったし、何より今までは黒づくめの怪しい格好をしていたのに、服装もいかにも正規軍という感じへ。1790年、なぜかボヘミアが南ドイツを統一。ザクセンによるドイツ統一はとっくにあきらめてはいたが、ボヘミアが南ドイツというのは複雑な気分だ。せめてドイツ人国家でお願いしたい。

1791年、フランス革命勃発。わが国は新生フランスに対して友好的な態度を取ることにする。さすがに奴らは強い。見事にヨーロッパを荒らしまわってくれた。1811年、フランスがイタリア諸国に宣戦布告。わが国が同調するとそこから芋蔓式にハノーファー、オランダ、ブランデンブルクがわが国に宣戦布告。見ると彼らの武器はいまだに前近代的。飛んで火にいる夏の虫以下なんじゃないのか。まずオランダを返り討ち。首都以外全部割譲。ハノーファー占領、ベルリン占領。さあどんな条約結ぼうかな、と思っているとフランスが勝手に講和。盟主が講和すると講和せにゃならんシステムなので、こっちの戦争もしぶしぶ終了。ち、あのフリーメーソンどもが。終わってみると1816年になっていた。オランダから探検地図を奪ったので、かなりのところまで世界地図が完成。日本も発見されている。そこで遅ればせながらわが国もアフリカに植民。セネガル領有に成功する。

このままゲームを終えてもよかったのだが、どうせここでゲーム終了。悪評高くなろうがしったこっちゃないと、平和条約を無視ってブランデンブルクに宣戦布告。当然大義名分なんてない。電撃戦でベルリン再占領。可能な限り領土を分捕る。そして1820年ゲーム終了。

結局最終順位は4位だった。ドイツは見事にわが国とブランデンブルク、ボヘミアで三国鼎立という感じで、プロイセン一強の史実よりも統一が難しくなったかもしれない。ちなみにザクセン市の人口はこのときなんと35万人。最後の150年でさらに5倍に。この時代の人口増加率に恐怖を覚える。

他の地域と順位を。ブリテン島ではイングランドがかなり盛り返したが、相変わらずアイルランドはスコットランド領。アメリカも合衆国に独立され、カナダにかろうじて領土がある感じ。インドに植民は失敗したみたいで、この世界のイギリスはVictoriaにはなれなさそうだ。1位は後半、ポーランドとトルコを叩いてがんばったオーストリア。結局史実並みの領土になっている。2位はフランスで妥当なところだろう。3位はロシア。まあこれだけ領土が広ければねぇ。5位はスペイン。序盤は驚異的なペースで他国を引き離すも、後半失速。名残でなんとか入賞。6位はスウェーデン、7位はなんとムガール帝国。こっそりがんばってんたのね。8位はヴェネツィアだった。次回、総括。


Sachsen_1820Sachsen_1821

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