2006年07月16日

第68回「宗教の理論」ジョルジュ・バタイユ著 湯浅博雄訳 ちくま学芸文庫

バタイユの書いた、宗教現象学的な宗教起源論……なのだが、どちらかといえば宗教社会学といったほうが正しい気がする。言っていること自体はいつもと同じで禁止やら侵犯やら、至高性やらの話なのだが、彼の著書で注目すべきところは、同じテーマについてさまざまに違った分野から切り口を入れるということであろう。たとえば主著『エロティシズム』は哲学から、『エロティシズムの歴史』は読んだこと無いがタイトルからして歴史学だろうし、『文学と悪』は文学、『呪われた部分/有用性の限界』は経済学、『エロスの涙』は美学、といったように。それで今回は社会学なんじゃないかと思う。

最近気づいたのだが、バタイユの思想は別に特異なものではない。もっと正確に表現するならば、哲学史上いきなり登場したわけではないということだ。ただし、哲学者以外からの影響が大きいため、哲学史上では特異な存在のように扱われているのではないかと思う。たとえば『消尽』という考え方はモースからもらったものだろう。『内的経験』はニーチェともとれるが、どうもジェームズの影響も大きい気がする。彼の神秘体験に関する説明は、バタイユの内的経験に通じるものがある。今回の参考文献一覧の名前をざっと見ても、モースの他にウェーバー、デュルケーム、デュメジル、フレーザー、ブランショ、ロバートソン・スミス、そしてエリアーデと、宗教学者の名前か、社会学者の名前しか出てこない。

そして逆にバタイユの影響を受けた人物というと、バタイユの理論をさらに過激にして「宗教の本質は暴力だ」と説くジラール、やバタイユを「20世紀で最も重要な思想家の一人」と評したミシェル=フーコーといった面々が出てくる。そのイメージとは違ってしっかりと系譜を残せているのではないかと思う。


さて長い前振りになってしまったこの本だが、前述の通り社会学的宗教起源論である。宗教がいかに生まれ、社会の中でどのように変容していったのか分析する。バタイユの著書の中ではわかりやすいほうではあるが、いきなりこれに突っ込むのはやや無謀か。これの前に『エロスの涙』あたりに触れておくことをお勧めしたい。はっきり言って「至高性」についての説明は、訳者後書き以外の部分ではほとんどなされていないので、そういったことを期待すると裏切られるだろう。


宗教の理論


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