2006年11月07日

アドルフの画集

画家志望だったヒトラーが、ユダヤ人の画商にその才能を見出されて親交を結んでいたらどうなっていたか、というifの話。名作の匂いしかしなかったので、借りてきた。

ベジタリアンで酒もタバコもせず、個人に関してはショーペンハウアー信奉者で、とヒトラーの細部に関して描写してあるのが素敵。演じるノア・タイラーがはまりすぎてて怖かった。ユダヤ人が画商なだけだって、当時の美術状況を垣間見ることができたのもおもしろかった。「モネの『睡蓮』はださい」なんて今じゃ聞ける話ではない。

もちろん美術状況だけじゃなくて社会状況もよくわかって、特に「プロパガンダは新しい科学だ」と発言する軍人の姿はなんでも科学っぽく扱えば正当化できてしまう近代の病理をよく象徴しているんじゃなかろうか。それにしても当時のユダヤ人の描写が裕福すぎる。本当にあれだけの格差があったとしたらそりゃユダヤ人排斥運動も起こることだろうに。もっともあの画商はユダヤ人の中でも裕福な部類に入るのだろうが。

ヒトラーとユダヤ人画商の美術討論もおもしろい。ヒトラーは、進歩主義でかつ古典主義で、「芸術は完璧に向かって前進する」とか「調和こそが美だ」とか主張する。そしてヒトラーの美術理論は政治に適用するとそのままナチスの思想になるわけで、非常に納得がいく。

対してユダヤ人の画商は相対主義的で、当時のはやりだった抽象的なエルンストを画廊のメイン看板にすえている一方でヒトラーの写実的な絵画も許容している。最初ユダヤ人の画商はヒトラーの絵に関して「技術は高いが感じるものが無い」とけなしつつも、生活の面倒を見るようになる。一方ヒトラーはその恩義を感じつつも、自分の絵が画商になかなか認められないことに苦悩する。

やがてヒトラーは軍での上司に誘われ政治の世界へ傾いていくが、皮肉にもそのことが絵に活力を与え、ユダヤ人の画商にとうとう認められることになる。果たして政治家になるべきか、画家になるべきか悩むヒトラー。エンディング付近は特に凝った演出が多くて非常に感動した。こういう芸術性の高い映画は貴重だ。ぜひ自分の目で、結末を確かめてみてほしい。

この記事へのトラックバックURL