2006年11月24日

第86回「判断力批判」カント著 岩波文庫

読むのに一ヶ月かかったのは『エロティシズム』以来だ。やはり哲学書の大著というものはそれくらいかかるらしい。

カント三部作である『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』のラストを飾る本。しかし面倒でそれなりの予備知識があれば大丈夫だろうと勇み足で当面の課題であるこの本をいきなり読んだら、厳しかった。やはり余裕があるなら『純粋理性批判』から手をつけていくべきだろう。

それでもがんばれたのは、やはり著者がカントだったからだろう。哲学者は大きく分けて、何とかと何とかの紙一重にいる人たちと、正統的に頭がいい人たちの二種類に分かれると思う。カントは間違いなく後者の代表格である。なお、前者にあたるのはニーチェとかデカルトとかウィトゲンシュタインだが、その話はまた後日にしたい。そんなカントの文章だからこそ、わかりにくさの中にも理路整然としたものがあって、通して読んでみるとなんとなく理解できてしまう、そんな恐ろしさがこの本にはあった。とにかく、説明が丁寧なのだ。

なぜこの本を読む必要があったかというと、判断力とは美学的な判断力のことを含んでいるから、というよりも美学的な判断力そのものと言ってしまってもいいと思う面があるから。詳しくは本書を読んでいただきたい。特に「崇高」という概念については詳細に論じており、自分の非常に興味のある概念なだけあって、ここら辺は特に楽しく読めた。

それでも違和感の残った部分はある。それは時代の違いから生じるもの。フーコー的に言うならば、パラダイムがあまりにも違いすぎるということだ。まず、哲学用語が仰々しすぎる。「世界概念」とか「最高理性」とか、現代のライトノベルに登場してもあまり違和感の無いような造語の数々。思わず苦笑してしまった。また、科学や科学哲学の進歩のギャップも非常に激しい。前生説と後生説が大真面目に議論されていたり(後に後生説が正しいことが判明、高校生物では履修しているはず)、自然と人工物の違いについて、ずいぶん回り道な議論をしていたり。ここら辺にも、時代を感じた。

意外と普通におもしろい本であったので、課題にかこつけて読んでみてはいかが。ただし、岩波のは誤訳だらけのひどい訳文なのでお勧めできない。


判断力批判 上 新装版