2006年12月05日
第87回「美術という見世物」木下直之著 ちくま学芸文庫
美術という単語が日本に入ってきたのは明治であり、Fine Artをがんばって訳したものである、なんていう話はよく聞く話だ。新しい概念が入ればその業界に革新と混乱が起こるというのは当然の話で、そんなことが日常茶飯事だったのが明治時代である。むろん、「美術」だってそうだ。
もう一つ前提となる話をしたい。大衆文化と高尚な文化に「分化」するということは、その文化が成熟したことを示す。すなわち、逆に言えば未成熟な時代にはそれらにたいした区別が見られず、雑多な存在だったということだ。
これらを当てはめて明治期の文化を照らし、「見世物」がどんな様子だったのか概観しているのがこの本である。構成は前書きと後書きに自らの体験に基づくエッセーとそこから導かれる上記のような概念を提示し、残りの大半のページを使って当時の見世物の様子を叙述する、という形をとっている。
上記のような概念に関してかなり共感を抱き、かつその「雑多なもの」がかなり好きな自分としては、なかなか興味深い内容であった。ただし文句を一つつけるならば、見世物の叙述が単調すぎて、「また同じパターンか」と思うことがしばしば。まあ新たな文化が流入する様子なんて、どの分野でも似たような現象が起きるものかもしれないが。しかしそれならそれで文章や構成のほうの工夫がとれればよかったと思う。本自体もかなり厚いのだから。著者自身も後書きで書いている通り、註が非常に多いのも、この本の特徴かもしれない。内容から言って、あまり興味のある人はいないだろうと思われ、お勧め度は低い。
美術という見世物―油絵茶屋の時代
もう一つ前提となる話をしたい。大衆文化と高尚な文化に「分化」するということは、その文化が成熟したことを示す。すなわち、逆に言えば未成熟な時代にはそれらにたいした区別が見られず、雑多な存在だったということだ。
これらを当てはめて明治期の文化を照らし、「見世物」がどんな様子だったのか概観しているのがこの本である。構成は前書きと後書きに自らの体験に基づくエッセーとそこから導かれる上記のような概念を提示し、残りの大半のページを使って当時の見世物の様子を叙述する、という形をとっている。
上記のような概念に関してかなり共感を抱き、かつその「雑多なもの」がかなり好きな自分としては、なかなか興味深い内容であった。ただし文句を一つつけるならば、見世物の叙述が単調すぎて、「また同じパターンか」と思うことがしばしば。まあ新たな文化が流入する様子なんて、どの分野でも似たような現象が起きるものかもしれないが。しかしそれならそれで文章や構成のほうの工夫がとれればよかったと思う。本自体もかなり厚いのだから。著者自身も後書きで書いている通り、註が非常に多いのも、この本の特徴かもしれない。内容から言って、あまり興味のある人はいないだろうと思われ、お勧め度は低い。
美術という見世物―油絵茶屋の時代
Posted by dg_law at 08:25│Comments(0)│