2007年06月13日
そういえば昔ヒデがいたね
ゼミで損保ジャパン美術館でやっているペルジーノを見に行ってきた。知名度からすると他のルネサンスの画家に比べて一段階劣るが、ミケランジェロの前のシスティーナ礼拝堂の壁画を担当した人物、と言えば当時の評価の高さがおおよそ伝わるのではないだろうか。
しかしあの時代というと壁画が多いはずで、どうやってもってきたんだろうと思ったらああいう壁画はけっこう保存のためにはがされているらしい。それに板絵も多く、板絵は湿気ですぐ割れてしまうため、輸送に対して使わなければならなかった神経が透けて見える。お疲れ様です。
ペルジーノの絵は一見盛期ルネサンスなのだが、どことなくゴシック的というか、初期ルネサンスのようなところが多く感じられたように思う。例えば背景の描写が北方ルネサンス伝来の細かなものではなくかなり粗めに描いている。これは今東博に来ている(そしてもうすぐ帰る)レオナルドダヴィンチの『受胎告知』の背景と比べると、とてもほぼ同時代とは思えないだろう。特にある壁画に描かれた都市風景はかなりデフォルメされていて、あれなんかはどう見てもゴシックだ。
ペルジーノは当時「神のごとき画家」と言われていただけあって、その人物描写は非常に精緻なのではあるが、現代用語で言うところの判子絵というか、全部同じ顔に見える。そして特徴がいまいち無い。そこら辺が画家の個性を尊重するようになった現代ではペルジーノの評価がそこまで高くない原因となっているのだろう。小佐野先生が語っていたが盛期ルネサンス当時でもすでに画家の個性>安定感という価値観になり始めていたので、晩年のペルジーノには中央からの依頼は途絶えていたらしい。
今年はこのペルジーノ展に加えて西美のパルマ、東博の『受胎告知』に文化村のプラハ国立美術館展と、イタリアルネサンス〜バロックの名品がたくさん日本に来ているが、イタリアと日本の間に何かあったのだろうか。一昨年はドイツ日本友好年という明確なプロジェクトの元、ドイツ所有の名品がたくさん日本に来ていたのだが、今年もイタリア日本友好年なのか。小佐野先生の仕事量が急増していて、見るからに先生が疲れていることだけは、確かなのだが。
しかしあの時代というと壁画が多いはずで、どうやってもってきたんだろうと思ったらああいう壁画はけっこう保存のためにはがされているらしい。それに板絵も多く、板絵は湿気ですぐ割れてしまうため、輸送に対して使わなければならなかった神経が透けて見える。お疲れ様です。
ペルジーノの絵は一見盛期ルネサンスなのだが、どことなくゴシック的というか、初期ルネサンスのようなところが多く感じられたように思う。例えば背景の描写が北方ルネサンス伝来の細かなものではなくかなり粗めに描いている。これは今東博に来ている(そしてもうすぐ帰る)レオナルドダヴィンチの『受胎告知』の背景と比べると、とてもほぼ同時代とは思えないだろう。特にある壁画に描かれた都市風景はかなりデフォルメされていて、あれなんかはどう見てもゴシックだ。
ペルジーノは当時「神のごとき画家」と言われていただけあって、その人物描写は非常に精緻なのではあるが、現代用語で言うところの判子絵というか、全部同じ顔に見える。そして特徴がいまいち無い。そこら辺が画家の個性を尊重するようになった現代ではペルジーノの評価がそこまで高くない原因となっているのだろう。小佐野先生が語っていたが盛期ルネサンス当時でもすでに画家の個性>安定感という価値観になり始めていたので、晩年のペルジーノには中央からの依頼は途絶えていたらしい。
今年はこのペルジーノ展に加えて西美のパルマ、東博の『受胎告知』に文化村のプラハ国立美術館展と、イタリアルネサンス〜バロックの名品がたくさん日本に来ているが、イタリアと日本の間に何かあったのだろうか。一昨年はドイツ日本友好年という明確なプロジェクトの元、ドイツ所有の名品がたくさん日本に来ていたのだが、今年もイタリア日本友好年なのか。小佐野先生の仕事量が急増していて、見るからに先生が疲れていることだけは、確かなのだが。
Posted by dg_law at 12:00│Comments(0)│