2007年12月13日

偉大なる画家十選

そういうことやられると,追随したくなっちゃうでしょうが。ぶっちゃけて言えばいつもの「○○選」なんだが,基準が統一ではなくて,視点を変えていろいろ作ってみるからこそおもしろい。

つまりここでいう「偉大」ってのは,美術史への貢献度とか(西洋美術好きからの)人気の高さが重要なのであって,個人の主観を聞いてるわけではないわけだ。つまり,フリードリヒなんぞは私がどれだけ愛していても,端にも棒にも引っかかりはしない。むしろドイツ三人衆(デューラーとクレー)なんぞ誰も入らない。にもかかわらず,ある程度絞ったところだとその貢献度や人気を判断するのはあくまで主観であって,そこに間違いなく私情は入る。これはおもしろい。

今ぱっと候補考えたら20人くらい出てきた。さて,誰削ろうか。美術史というのは「点と点が無限に連なれば,普遍妥当的にそれは線である」という数学上の定義そのままなので,そこから点を抜き出して,「誰の影響が一番強いか」を考えるのは不毛と言えば不毛かもしれない。でも楽しいから,やっちゃうんだよね。しかも十選だから意義がある。二十選ならこんなに悩まない。


1,ジョット
彼を中世からの脱却と言ってしまっていいのかどうかは非常に判断の難しいところだが,むしろゴッホ同様「ジョット伝説」が後世に及ぼした影響としては,間違いなく全画家でも最高に違いない。

2,ファン・エイク
油彩画の始祖。実はジョットとどっちを残そうか,最後まで悩んだ。けど,両方入れざるを得なかったということは,やはりこういう選抜では古い画家のほうが有利なのだろうか。この選抜って,起源論争に近いところはあるからなぁ。

3,ラファエロ
ミケランジェロ,ダヴィンチで悩んだけど,「ラファエロ前派」なんていう派閥を本人のあずかり知らぬところで形成されてしまったのは彼だけ,という点を評価してみたい。ダヴィンチは偉大だが,後世への影響というとティツィアーノにも勝てない気がする。ミケランジェロはマニエリスムの門を開いたとは思うが,それはラファエロも同点かなと。

4,カラヴァッジョ
バロック芸術の始祖として絶対に外せない。ラ・トゥールは知名度が低すぎる。ルーベンスは発展者,ベラスケスは完成者と位置づけるならば,やはり「偉大」と目されるべきはカラヴァッジョではないかと。

5,レンブラント
カラヴァッジョを選出してしまったので,消そうか悩んだけどその北方の画家への影響を考えるにとても削れたもんじゃない。カラヴァッジョ風の表現に北方的な深い精神性を与え独自の道を開いたと思う。画業としては,私的にはフェルメールのほうがレベルが高いと思うが,彼はいかんせん寡作すぎたし,レンブラントの後継者という感じが否めないからここには出せない。

6,プッサン
ロランと悩んだけど,風景画のみに特化せず,オールマイティに古典主義を復興させた彼に,この栄誉を与えてみたい。彼の活躍がなければ今の西洋美術の発展はありえなかっただろう。西洋美術は古典とバロックの二項対立で発展してきた,と解釈するのであれば。

7,ターナー
ゴヤと死ぬほど悩んだ。両方出そうかと思ったけど他の時代はもう最低限しか残してなかったから,ロマン主義二人は多すぎるだろうという断腸の思いでゴヤには勘弁していただいた。だってさ,ロマン主義という思想自体が,後世への影響強すぎるし,そもそもロマン主義絵画の始祖って誰よ?(時系列だけを考えれば)実はフリードリヒじゃね?でも奴の後世への影響って絶無じゃね?とか。
そんな中決め手になったのは,ターナーが風景画家であることと,彼が印象派の先取りのような画法も生み出していたこと,それでいて古典主義者たちから反発を大してもたれなかったこと。時代のつなぎ目としても,偉大と称さざるを得ない。ゴヤは,スペイン一国に限れば,次ピカソまで巨匠を生むことができなかったのも失点。

8,モネ
これもマネとどっちにしようか知恵熱が出るくらい悩んだ。《オランピア》と《印象 日の出》の後世への影響を採点しろとか無理すぎる。しいて言えばジャポニズムの摂取とサロンの否定,外光派などの要素はより「後世的」か。あとはもう単純に人気で計ってしまえと考えた結果,モネを残した。

9,セザンヌ
これもピカソと悩んだ。多分多くの読者は「なんでその悩み方?」と思われるかもしれないが,発展史観をとるならば印象派→セザンヌ→マティス→ピカソ→現代芸術って一直線になるから,セザンヌで区切るかピカソで区切るか,という問題になる。確かに一般的な知名度ならピカソの圧勝なんだろうけど,ピカソがいなくても現代芸術は今の形になってたとは想像可能だが,セザンヌがいなくて今こうなったかというと,かなり違ってたと思うんだよね。ピカソが永久に青の時代辺りでくすぶってたかもしれない。
……裏を返せば,サルヴァスタイルの人も書いてた通り,(セザンヌとピカソは)今の現代芸術の迷走を生んだ張本人とも解釈できるわけですが。本人たちのクオリティは高いだけに,複雑だなぁ……

10,デュシャン
現代芸術ってやったもの勝ちであることに早々に気づき,かつそれを自虐的に利用して「やったもの勝ち」の領域に堕すことの無かった奇才。以後の芸術家は,「美術史は第一世界大戦で終了しました」と言って憚らない自分の目から見れば,美術史が第一次世界大戦で終わらないことへの数少ない反証。ちなみに,ポロックと悩んだ。でもポロックのやったことは,要素的な意味でピカソに吸収されうるな,と。そして,前述したようにそれはセザンヌに内包されて,結局セザンヌが始祖なんじゃないかと。ウォーホル?私はポップアートをアートということに疑問を持っているのであしからず。ポロック,ウォーホルへと続く現代芸術評価って,発展史観によって「作られた評価」にしか思えない。



異論,反論は大いに受け付けております。リアクションは遅れるかもしれんけど。


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