2008年01月22日

他の芸術分野でもあるんかね?

一発目。


西洋美術には「パラゴーネ」という言葉がある。これは一般的に美術と言われる三分野、絵画・彫刻・建築のそれぞれが、他分野の二つに比べていかなる点が優れているか比較し、議論することのことを言う。簡単なところでは、絵画ではいかに遠近法を使おうとも彫刻の立体性には原理的に勝てない、だとか、逆に絵画ではその場面の全てを描ききることが出来るが彫刻は一つの物体しか再現できない、だとか、そういう議論のことをパラゴーネと呼んでいる。

この議論が最も盛んであったのはルネサンスの前期である。いかにもそんな感じな時代だと思えるのは、やはりルネサンス前期という美術変革の時代であるからだろうか。その具体的な例示は、いくつもの作品に表れている。その最も典型的な作例を挙げるとすれば、ヴェローナのサン・フェルモ教会にあるブレンゾーニ家墓モニュメントであろう。カーテンの面のフレスコはピサネロが担当した傑作である。カーテンのめくられた部分とキリスト像、棺は木彫であり、墓全体をなすモニュメントとしては建築物として教会壁面を構成している。見事な三分野の一致といえよう。

しかし、さらに顕著なパラゴーネが西洋美術に及ぼした現象として、バロック・ロココ期の天井画全般を挙げることができるだろう。巨大な面を使えるという点や人間が見上げなければ目にすることができないという点を生かした、非常に壮麗な作品が多いが、天井が天井たる所以は四方が壁面に支えられている立体的な構造をしているという点にある。天井画自体の構図や色彩、壁画装飾に工夫を凝らすことで、どこまでが天井でどこからが壁面かの判断を困難にし、天井の無窮性を強調させるのだ。

作例はミケランジェロから近代フランスに至るまで枚挙に暇が無いが、あえて一作挙げるとするならばティエポロの《ヴュルツブルク城玄関大広間天井画》を挙げてみたい。階段の間という条件に、太陽神アポロンをあわせることで、人間が階段を上がるという動作と太陽の昇る様子をかけている。


ところで、通史で西洋美術を勉強すると、中世以前の絵画はあまり重視されず、むしろ建築が多いということに気づく。それが近代になればコルビジェ以外の姿を見ず、彫刻もロダンを除けばマイナーな扱いを受け、多くは絵画が引き受けている。それもそのはずで、西洋の価値観はルネサンス以前では圧倒的に建築の優位であり、次に彫刻、絵画は職人芸でしかなかった。このヒエラルキーは長い時間をかけて、ひっくり返されていくのだが、それはパラゴーネの成果の一つであろう。

なぜ建築が優位とされたかという問題に関しては、中世においてはそもそも「芸術」という観念が乏しく、パラゴーネ自体が存在し得なかったこと。ルネサンス期に関しては理性尊重の思想から(理性は神の恩寵であるという思想)、構成こそが美の規範であると考えられ、建築はそもそも構成がしっかりしていないと成立しない分野であるから、最も優位であると考えられた、という回答ができる。しかし、政治権力の中枢が教会から王宮へと移っていったという事情も看過することはできない。教会は神の家であるから力の入れようも並ではない。王宮ももちろん権力の象徴として造営されるのではあるが、直接王の目に映る内装、すなわち絵画や彫刻が重視されるようになっていくのは自然な流れではないだろうか。

現代におけるパラゴーネといえば、絵画と写真であろう。私の好きな現代美術の数少ない一部分野としてスーパーリアリズムがあるが、あれは写真を元に絵画を描くという逆転の発想である。その技術もさることながら、真なるメッセージはその非絵画性による「再現性」を志向してきた近代以前の美術へのあてつけや皮肉にあるという点では、一般的な現代アート(特にポップアート)と発想を同じくするといえるだろう。抽象表現主義やアクションペインティングも、写真には出来ないことをやっているという意味においては、パラゴーネで議論しうる範囲と言えるかもしれない。いずれにせよ、パラゴーネを調べてみると、けっこうおもしろい。

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