2008年01月23日

別の話題に引きずられがちだよね

二つ目。


複製(reproduction)とオリジナリティという問題はベンヤミンを出すまでもなく、美術史においては巨大なテーマである。画家は模写により先人たちの偉業を学び、複製品は時として作品の伝播に役立った。アカデミーでは長く石膏模型のデッサンが修行課程の一つであったが(ある意味今でもそうだが)、これも一つの複製に関わる問題であろう。このような修行を否定するところからロマン派や印象派といった画家たちが独創的な作品を作り始めたことも、この制度の逆説的な恩恵であろうし、もちろんアカデミーの正規の卒業生たちが、画家の質の底上げになっていたという正方向での貢献も忘れてはいけない。

自分の専門分野で行けば、カスパー・ダーフィト・フリードリヒはコペンハーゲン・アカデミー時代、17世紀のオランダ風景画、特にロイスダールを研究しているが、彼は必ずしも本物を見ているわけではない。確かにコペンハーゲン・アカデミーにもそのコレクションは所蔵されていたであろうが、その数はいかほどのものであっただろうか。フリードリヒが注目したのは、当時アカデミー一般に流布していたオランダ人による図像の教科書であり、フリードリヒはこれを模写して訓練した様子は彼の残したスケッチブックからも読み取れる。加えて、後に彼が描いた油彩画のモティーフを見ても一致するところは多い。

また、おそらくフリードリヒはオランダ風景画の版画も見てみるだろう。黄金期のオランダはレンブラントのいわゆる100グルテン銅版画を始めとして、油彩画よりも安く絵画を普及させる方法として、版画は一般に流布していた。フェルメールのように寡作で知られ、全く手を付けなかった画家もいるが、多くの画家は版画家も兼ねていたと言ってもよいだろう。特にフリードリヒの場合は、自身が版画家になることはなかったが、素描家・セピア画家としては油彩画よりも先に名を成したため、同じく単色の版画との関係は切っても切り離せないものとも考えられるのではないだろうか。


話を仮に西洋美術に限らないのであれば、模倣と複製に関しては中国絵画でも語るべきところは多い。往々にして真筆は残っておらず、後世の模本がその代役となっていることは多い。中国においてもやはり模倣は修行の一環であったが、中国においては「物そのものの保存」という観点からの複製、という考え方も早々に根付いていた。南北朝時代の謝赫の著した『古画品録』(5世紀末)は中国絵画の規範であり続けた書物だが、そこには既に保存のための模写を奨励すべきことが書かれている。

このような意識は日本にも伝来しており、中国・日本のものを問わず様々な模写が当時の様子を伝えている。特に狩野探幽による探幽縮図はあまりにも有名かもしれない。狩野探幽の整理した狩野派の技法は、数々の模写とともに、日本の画家水準の引き上げに成功したといえるだろう。しかもそこから反発した画家たちは独創的な境地を切り開いていったことは、西洋のアカデミーと全く同じ構図である。

珍しい例では、鳥獣戯画はその成立事情から、成立時点での構成を復元することはほぼ答えの無いジグソーパズルのような状態ではあるが、様々な模本を省みると明らかに足りない部分や、逆に現在では存在している断簡が無い場合などがあり、模本の存在が問題をさらに複雑にしているといえよう。


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