2008年01月24日
見た目は派手だが……よくある話か
三発目。そろそろ気づいた人もいるか。一日10時間も勉強してるのはかなり久しぶり。それが一週間持続してるなんて、もう高三以来ですわ。頭がすっかりぱにくっとるな。
以下、本題。
以下、本題。
美術が一般的に高尚な芸術と考えられている一つの所以は、やはりどうしてもパトロンが必要になるからではないだろうか。パトロネージに関する問題は突き詰めていくと美術史というよりも博物館学の領域に入るような気もするが、ともかくとして長い間、最大のパトロンとして君臨し続けたのは王侯貴族、宮廷の住人たちであった。
その作例といえば無数にある(それこそ一昨日挙げた《ヴュルツブルク玄関大広間天井画》を出してもいいのだが、厳密にはあれは大司教の発注か)。しかしとりわけおもしろいのはルネサンス期のパトロネージだろう。画家が肉体的労働者である職人から、自由学芸を担う精神的労働者へ格上げされていく時期にあたり、画家の社会的地位が向上する一方でその賃金に関する議論はいまだ明確な答えを出せてはいない。
画家の人生上最大の選択は、宮廷画家として働くか、フリーランスとして発注を請け負うかという選択であろう。宮廷画家になれば賃金は安定するが、それは必ずしも高くない上に、描きたい主題は自分で選ぶことはできない。他の利点としてはその宮廷の持つ豊かな所蔵品を管理することができたため、画家のインスピレーションには困らなかったかもしれない。また、利点か欠点かはわからないが、宮廷画家は絵画以外の手仕事、印章や写本挿絵、メダル等のデザインを任されるもあり、その仕事は多彩である。さらに、一度宮廷に就職してしまうと、よほどのことが無い限り手放してくれない、それも画家の名声が高いほど、である。考えてみると、現代にまで名が残っているような有名な画家は独立していることが多い感覚はする。
自由業は作品ごとの注文となるため、必ずしも自由な主題で描けるわけではないものの仕事は選べる。その代わり、飢える可能性も無いわけではない。また、情報の収集や先行作例の研究なども自分でやる必要があり、工房の経営は手間であった。経営の才能は画家の才能と別物でもあるし。
それが彼の人生における失敗だったかは彼自身にしかわからないが、マントヴァのゴンザーガ家に仕えたマンテーニャは、客観的に見て当時彼が得ていた名声の割には不遇な人生だったと思う。マントヴァ侯のゴンザーガ家自体が傭兵業を生業としていてそんなに裕福でもなかったということはあるかもしれない。しかし、晩年自らの所有する古代の彫刻をイザベラ・デステ(マントヴァ侯の妻)に買い取ってもらいたい旨の手紙を送り、しかもそれをイザベラ・デステに値切られている様子からして、よほど困窮していたのではないだろうか。死後、彼の財産は売り払われている。
一方で、独立して工房を経営していた画家の有名どころではレオナルド・ダ・ヴィンチであろう。彼もまたイザベラ・デステと関わりを持っているが、彼女からあまりの遅筆っぷりに怒りの催促が何度も行われていたうえに、完成品がイザベラ・デステには気に入らなかった(しかし買い取ってはくれた)ことなどの記録が残っている。宮廷画家だったとしたら、ありえない現象であろう。もっとも、そのレオナルド・ダ・ヴィンチも、晩年には《モナ・リザ》を抱えてフランスへと旅立ち、ヴァロワの宮廷でその生涯を終えている。まさに、画家も悲喜こもごもといったところであろう。
その作例といえば無数にある(それこそ一昨日挙げた《ヴュルツブルク玄関大広間天井画》を出してもいいのだが、厳密にはあれは大司教の発注か)。しかしとりわけおもしろいのはルネサンス期のパトロネージだろう。画家が肉体的労働者である職人から、自由学芸を担う精神的労働者へ格上げされていく時期にあたり、画家の社会的地位が向上する一方でその賃金に関する議論はいまだ明確な答えを出せてはいない。
画家の人生上最大の選択は、宮廷画家として働くか、フリーランスとして発注を請け負うかという選択であろう。宮廷画家になれば賃金は安定するが、それは必ずしも高くない上に、描きたい主題は自分で選ぶことはできない。他の利点としてはその宮廷の持つ豊かな所蔵品を管理することができたため、画家のインスピレーションには困らなかったかもしれない。また、利点か欠点かはわからないが、宮廷画家は絵画以外の手仕事、印章や写本挿絵、メダル等のデザインを任されるもあり、その仕事は多彩である。さらに、一度宮廷に就職してしまうと、よほどのことが無い限り手放してくれない、それも画家の名声が高いほど、である。考えてみると、現代にまで名が残っているような有名な画家は独立していることが多い感覚はする。
自由業は作品ごとの注文となるため、必ずしも自由な主題で描けるわけではないものの仕事は選べる。その代わり、飢える可能性も無いわけではない。また、情報の収集や先行作例の研究なども自分でやる必要があり、工房の経営は手間であった。経営の才能は画家の才能と別物でもあるし。
それが彼の人生における失敗だったかは彼自身にしかわからないが、マントヴァのゴンザーガ家に仕えたマンテーニャは、客観的に見て当時彼が得ていた名声の割には不遇な人生だったと思う。マントヴァ侯のゴンザーガ家自体が傭兵業を生業としていてそんなに裕福でもなかったということはあるかもしれない。しかし、晩年自らの所有する古代の彫刻をイザベラ・デステ(マントヴァ侯の妻)に買い取ってもらいたい旨の手紙を送り、しかもそれをイザベラ・デステに値切られている様子からして、よほど困窮していたのではないだろうか。死後、彼の財産は売り払われている。
一方で、独立して工房を経営していた画家の有名どころではレオナルド・ダ・ヴィンチであろう。彼もまたイザベラ・デステと関わりを持っているが、彼女からあまりの遅筆っぷりに怒りの催促が何度も行われていたうえに、完成品がイザベラ・デステには気に入らなかった(しかし買い取ってはくれた)ことなどの記録が残っている。宮廷画家だったとしたら、ありえない現象であろう。もっとも、そのレオナルド・ダ・ヴィンチも、晩年には《モナ・リザ》を抱えてフランスへと旅立ち、ヴァロワの宮廷でその生涯を終えている。まさに、画家も悲喜こもごもといったところであろう。
Posted by dg_law at 12:00│Comments(0)│