2008年07月26日

神々の「対決」

曽我蕭白《唐獅子図》東博の国華百二十周年記念・対決展に行ってきた。『国華』というのは岡倉天心が創刊した日本美術史の権威的な雑誌であるが、数年前にフランスの某学術雑誌が廃刊になったために世界最古の学術雑誌になったようだ。今回はそれも記念して、すごく豪華な展覧会を企画してきた。ともかく端から端まで国宝か重文といった状態で目移りするのだが、若干ミーハー気味であることは否定できない自分には今まででも最高の企画展の一つといえるだろう。

ぶっちゃけて言えば宣伝文句と一応展示品にそれなりの規則性を持たせるために「対決」というテーマをやや無理に掲げたのだろうが、偉大なる河野先生が「ぜひ自分の中で勝敗をつけながら見てほしい。そうすることで美術への理解がより深まると思います」とおっしゃっていたので、僭越ながら勝敗をつけながら見学した様子を記しておきたい。ただし、これを見に行った日、DiLとhenriと飲む約束があり、ゆっくり見ている暇が無かったので興味が薄いところやどうせ後期展示までずっと飾ってあることが確実な作品は飛ばしたところもある。

なお、展示替えが若干あるので、お盆付近(例の祭りの直前)にもう一度見に行く予定であるので、興味のある人はぜひ付き合ってほしい。



運慶VS快慶

正直どっちでもいい。というか作品が二点しかないのもまた判断の難しさに拍車をかけている。うん、この勝敗はもう一回見に来たときにしよう、そうしよう。


雪舟VS雪村

どっちも嫌いじゃないが、中国画好き・狩野派好きとしては雪舟に軍配を上げたい。愛知県民は《慧可断譬図》を必ず見に来ること。これはむしろ義務。


永徳VS等伯

ものすごく悩むが永徳。山水画として完成されているのはやはり永徳のほうだと思う。等伯はそれに比べるといくらか古すぎるか新しすぎるかで安定感が無い。ただし、「新しすぎる」の代表格《松林図屏風》の一作をもって神と評価するのは間違いではないと思う。


長次郎VS光悦

別にそんなに黒楽好きじゃない、という時点で勝敗は言わずともわかるか。でも、器の出来としてはなんとなく長次郎のほうが形が良い気はする。


宗達VS光琳

これも難しいところだが、宗達。尾形光琳にはどうしても後継者らしい仰々しさやわざとらしさが目立つ。宗達のほうがいくらかクールで瀟洒、というのが私の判断。


仁清VS乾山

だから皿は派手なほうが好きだと言っているだろう。ただ、乾山の鉄絵も嫌いではない。


円空VS木喰

木喰は今回の展示で唯一誰だかわからなかった。正直両者ともどっちでもよかったが、円空のほうが無骨で好きかな。


大雅VS蕪村

点描に近い南画だけで見れば全く勝敗はつかないのだが、それ以外にも中国源流の絵ならなんでも描けた池大雅のほうが、さすがは本職という感じがする。ここに浦上玉堂を交えて三つ巴の戦いが始まるともう俺には甲乙つけられない。


若冲VS蕭白

「蕭白ってどんなん?」とDiLに聞かれたときに、「若冲が健康的な変態だとするなら、蕭白は真の変態」と答えた俺はけっこう的を射ていたと思う。もう一つ言い換えるなら、若冲がせいぜいセザンヌ辺りなら、蕭白はゴーギャンかゴッホの領域にある。《群仙図》は言うまでもなく狂ってるが、《寒山拾得図》も相当奇奇怪怪としている。悩むところではあるが、若干の差で若冲のほうが好きかな。若冲の名作《雪中遊禽図》が悲しいことに前期展示のみなので、見たい人は27日までにどうぞ。


応挙VS芦雪

応挙は《保津川図屏風》を見て改めて神としか形容できないと思った。あのダイナミックさには惚れるしかない。芦雪のほうもすごいのだが、ちょっと瀟洒過ぎて今の僕には理解できない。


歌麿VS写楽

時間がなくなったのでこの辺は見ていない。もっと言えば、浮世絵は趣味じゃない。


鉄斎VS大観

大観一押し。なんだが、今回の展示に限れば大観はあまりいいものを持ってきてもらえなかったような。つい最近大回顧展をやったからその影響だろうか。

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