2008年08月13日
これぞフェルメール展!
この記事の同行某はどう見ても俺なわけだが、DiLとフェルメール展を見に行ってきた。向こうにも書いてある通り、予想される混雑とノリと勢いで開館前集合にしたら大勝利だった。美術館から出たのは十一時頃だったが、あの時間帯と言うのは昼ごはん前でまだまだピークは遠いというのに、すでに入場規制がかかっていた。午後の惨状は想像に難くない。ただでさえまだ大して体調が良くないので、これは大変に助かった。
基本的に今回の展示に関する感想はDiLと同じである。展示はわずか四十作品弱ではあったものの、そのうちフェルメールが7点を占めるということから全く責められるものではない。《絵画芸術(画家のアトリエ)》が来なかったのは痛手だったが、アイルランドの男気に感謝するしかない。今度東博に転がってる国宝の仏像でも貸し出してあげればいいと思う。有名な話ではあるが、フェルメールは一作にものすごい労力と高級な絵の具を使用して仕上げるために非常に寡作であり、疑わしきも含めてたった37点しか現存していない。私が生で見たことがあるのは今回のものを除くと、ドレスデン美術館展のときの《窓辺で手紙を読む女》と(それにしても今読むと稚拙な文章である)、新国立美術館の《牛乳を注ぐ女》だけであるから、今回のような特別展は大変ありがたい。
去年の新国立美術館の《牛乳を注ぐ女》一点豪華作戦の特別展は今回の都美の特別展によりまるで面目丸つぶれであるが、このような状況が起きるのはやはり、現在が相当のフェルメールバブルなんだと思う。今の美術業界上フェルメールの立ち位置はゴッホに似ていると思う。伝説が先行し、それによって大衆人気が一気に高くなった。バブルと書いてしまったものの、おそらくこの人気がはじけるのは当分後のことである。それを考えると、そのうち日本にいるだけでフェルメール作品の三分の二を見たことがある、なんて人が出てくるのもあながち冗談ですまなくなるかもしれない。
DiLも書いているが、今回の特筆すべき点は二つ。一つは、作品数が少ないということを逆手にとって、フェルメールの7点はかなり丁寧な作品解説をつけ、展示の間隔も大きく明けることで混雑しても鑑賞者が暇になるということを避ける作りになっていたこと。もう一つは、単なるフェルメールを使った資金稼ぎにとどまることなく、フェルメール以外の展示についても全く手抜きが無かったということ。すでにそこそこ知名度の高いピーテル・デ・ホーホはともかく、カレル・ファブリティウスが大きく取り上げられていた意義は非常に大きい。レンブラントとフェルメールの間のミッシングリンクとしての画家というほかなく、これから研究が進んでいくことであろう。
フェルメールに関してはもはや自分が何かを言うのは野暮ったい。光の魔術師と称すべき画家の一人ではあり、窓から差し込む自然光を生かした作品が多い。その窓についてだが、彼の室内画は画面左に窓が存在する構図が非常に多く、これはアトリエがそういう部屋だったからのようだが、おもしろい共通点だと思った。
画像はアイルランド国立美術館に敬意を表して例の作品にしようかとも思ったが、すでにDiLが使っているので一番気に入った作品で。
基本的に今回の展示に関する感想はDiLと同じである。展示はわずか四十作品弱ではあったものの、そのうちフェルメールが7点を占めるということから全く責められるものではない。《絵画芸術(画家のアトリエ)》が来なかったのは痛手だったが、アイルランドの男気に感謝するしかない。今度東博に転がってる国宝の仏像でも貸し出してあげればいいと思う。有名な話ではあるが、フェルメールは一作にものすごい労力と高級な絵の具を使用して仕上げるために非常に寡作であり、疑わしきも含めてたった37点しか現存していない。私が生で見たことがあるのは今回のものを除くと、ドレスデン美術館展のときの《窓辺で手紙を読む女》と(それにしても今読むと稚拙な文章である)、新国立美術館の《牛乳を注ぐ女》だけであるから、今回のような特別展は大変ありがたい。
去年の新国立美術館の《牛乳を注ぐ女》一点豪華作戦の特別展は今回の都美の特別展によりまるで面目丸つぶれであるが、このような状況が起きるのはやはり、現在が相当のフェルメールバブルなんだと思う。今の美術業界上フェルメールの立ち位置はゴッホに似ていると思う。伝説が先行し、それによって大衆人気が一気に高くなった。バブルと書いてしまったものの、おそらくこの人気がはじけるのは当分後のことである。それを考えると、そのうち日本にいるだけでフェルメール作品の三分の二を見たことがある、なんて人が出てくるのもあながち冗談ですまなくなるかもしれない。
DiLも書いているが、今回の特筆すべき点は二つ。一つは、作品数が少ないということを逆手にとって、フェルメールの7点はかなり丁寧な作品解説をつけ、展示の間隔も大きく明けることで混雑しても鑑賞者が暇になるということを避ける作りになっていたこと。もう一つは、単なるフェルメールを使った資金稼ぎにとどまることなく、フェルメール以外の展示についても全く手抜きが無かったということ。すでにそこそこ知名度の高いピーテル・デ・ホーホはともかく、カレル・ファブリティウスが大きく取り上げられていた意義は非常に大きい。レンブラントとフェルメールの間のミッシングリンクとしての画家というほかなく、これから研究が進んでいくことであろう。
フェルメールに関してはもはや自分が何かを言うのは野暮ったい。光の魔術師と称すべき画家の一人ではあり、窓から差し込む自然光を生かした作品が多い。その窓についてだが、彼の室内画は画面左に窓が存在する構図が非常に多く、これはアトリエがそういう部屋だったからのようだが、おもしろい共通点だと思った。
画像はアイルランド国立美術館に敬意を表して例の作品にしようかとも思ったが、すでにDiLが使っているので一番気に入った作品で。
実はこの後、引き続きで二人で東博の対決展に行った。自分は二回目だったが展示替えの都合でそもそも二回行く予定だったので好都合だった。しかし、午後一時というピークの時間帯に行ったので、案の定というべきか途方も無い人の量にうんざりであった。フェルメール展と比べると会場が広いこともあり若干マシではあったと思う。しかし、一回目に行ったときは空いていたという記憶がどうしても頭にあるので、なんだかもったいない心境になった。体調の悪さもあり帰ろうかとも思ったが、やはり展示替え後の作品が見たかったので足を引きずって入った。結果的に後期展示の作品もかなり良かったので無理したかいはあったと思う。特に蕪村による銀地の《山水屏風》は必ず見るべき作品である。
DiLも言っていたし会場内のキャプションにも書かれていたことではあるが、一番メインとして扱われている対決軸が「若冲VS蕭白」という辺りに時代の流れを感じさせる(順当に考えれば「永徳VS等伯」であろう)。辻先生の功績は真に偉大である。しかしそれでもなお、やはり今回の展示で最もさらなる名を上げたのは曽我蕭白と長澤芦雪の二人であると思う。特に、芦雪の《海浜奇勝図屏風》と蕭白の《唐獅子図》は綺羅星のごとき今回の展示においても出色の出来であった。
図録もかなり気合の入ったものになっているので、ぜひに。
あと、DiL君はこっちの感想もさっさと書くべきだと思います。
DiLも言っていたし会場内のキャプションにも書かれていたことではあるが、一番メインとして扱われている対決軸が「若冲VS蕭白」という辺りに時代の流れを感じさせる(順当に考えれば「永徳VS等伯」であろう)。辻先生の功績は真に偉大である。しかしそれでもなお、やはり今回の展示で最もさらなる名を上げたのは曽我蕭白と長澤芦雪の二人であると思う。特に、芦雪の《海浜奇勝図屏風》と蕭白の《唐獅子図》は綺羅星のごとき今回の展示においても出色の出来であった。
図録もかなり気合の入ったものになっているので、ぜひに。
あと、DiL君はこっちの感想もさっさと書くべきだと思います。
Posted by dg_law at 10:00│Comments(0)│