2008年09月16日

無駄死になんて言わないで、溺死って言って

Ophelia文化村のジョン・エヴァレット・ミレイ展に行ってきた。ミレイといえば19世紀の英国で発展したラファエロ前派の巨魁である。ラファエロ前派とは読んで字のごとく「ラファエロ以前」の絵画を目指した一派であり、自称していたことからわかるように非常に自意識の強い一派であった(額にPre-Raphaelite Brotherhoodを示す、PRBの署名がある)。ラファエロ以前とは言うがより大雑把に言えばマニエリスム以降の絵画の全否定、ということになるだろう。ゆえにラファエロ前派の絵画には、古典的な描写の正確さと中世的な質感の固さが表現されていると思う。ただし、ラファエロ前派は主要メンバーがアカデミーに認められ次々と会員になってしまったので印象派のようなインパクトは薄いかもしれない。ミレイもまた生前よりすでに極めて高く評価されていた画家であった。

ラファエロ前派に特徴的な点といえば、やはり題材の特異性であろう。アカデミーの画家が古典ギリシアやローマの神話、キリスト教主題の絵画を好むのに対し、ラファエロ前派はそういったものも描きつつも、それよりは後世の、中世物語から近世、当代の小説に至るまで物語を広く題材とした。時には劇的な場面であれば、実際に起きた事件を画題したこともあった。確かにロマン主義においてもドラクロワやゴヤが現実の大事件を描いたこともあったが、あれらは物語を描いたというよりも「歴史」を描いたといったほうがいいだろう。そう考えると、ラファエロ前派の物語へのこだわりは興味深いものがある。

その例に漏れずシェイクスピアの『ハムレット』から引用してきた題材であり、今回の展示最大の目玉でもある、《オフィーリア》がここで見られたのは僥倖であった。自分の中の知名度と世間的な知名度にズレがあるのだろうが、この作品が来ていることに関して美術界隈が全く騒がしくないのがやや不思議ではある(直前に東博の対決展があって、直後にジョット展が控えているからであろうか)。よく借りてこれたなと思うと同時に、ここで見なければ一生本物を見ることは無かったであろうと思う。

会場の説明VTRで「モデルさんを風呂に入れて再現した情景をスケッチしようと思っていたら、何時間もほうっておいたらモデルさんが風邪を引いた。その結果、より苦痛にゆがむリアルなスケッチはできたが、その後モデルさんと訴訟沙汰になった」という、描かれている物語の深刻さから比べれば苦笑しかできないエピソードが紹介されていた。が、確かにこの表情は絶妙である。周囲の象徴性に満ちた植物群も異常なまでに細密でオフィーリアをよく飾っている。これぞまさに傑作である。

ミレイのその他の作品に関して言えば、19歳でラファエロ前派に参加しただけあって初期であればあるほどその理念に忠実であり、若い頃ほど作品全体に硬質なイメージがある。件のミレイも23歳頃の作品である。年老いてくると、次第にベラスケスリスペクトであったり、背景の描写が緻密ではなくむしろバルビゾン派じみて来たり、巨匠になってからのほうがある種の革新性があるような気がする。私としては、ラファエロ前派の独特な作風が好きなので、若い頃の作品のほうが好きである。

生まれた三人の娘の絵が多く、とてもほほえましかった。「教会で説教を聴く五歳の娘BeforeAfter」な作品があって、Afterではすっかり熟睡していたのは思わず笑みがこぼれた。自身のマネージャーを兼任していた奥さんの肖像画が若干怖かったのも、ミレイ流のジョークであろう(いや、実際に怖かったのかもしれないが)。同行の友人が「(展示の)裏のテーマは家族愛かもね」と言っていたが、あながち間違ってはいないのかもしれない。


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