2008年10月18日
第130回 『レパントの海戦』塩野七生著、新潮文庫
『コンスタンティノープルの陥落』『ロードス島攻防記』に続く、戦記物三部作三作目。1571年、スペインとヴェネツィアを中心としたヨーロッパ連合軍と、オスマン・トルコ海軍の間で起きた戦闘であり、ヨーロッパ連合軍がほぼ初めてまともにオスマン・トルコを押した戦闘でもあった。
前二作は文明の転換点という非常に大きなテーマを抱えていたが、今回はどちらかと言えばヴェネツィアという一つの国家が国家の舵取りにおいて迷走期に入る、その端緒を描いたものと言える。ヴェネツィアは勝ったには勝ったしそれは圧倒的な大勝でもあったが、前夜を見ればそれは薄氷の勝利と言えたし、何よりその勝利を全く生かすことができなかった。この本のレビューを書く人は誰でもこの部分を引用するだろうが、
やはり「国家の安定と永続は、軍事力によるものばかりではない。他国がわれわれをどう思っているかの評価と、他国に対する毅然とした態度によるものが多いものである。」
という、ヴェネツィアのとある外交官の演説は、今の我々日本人には非常に耳に痛い。この言葉を本書の最後に持ってくるところに、塩野七生の良い意味でのわかりやすさがあると思う。丁寧さ、親切さ、と言ってもいい。
『コンスタンティノープル』では複数主人公制であったが、本作はあくまでヴェネツィア人に主眼がおかれているため、思わず感情移入しすぎてスペインの大国らしい横暴っぷりに腹が立ってきた。しかし冷静に考えればスペインとしては別にこの戦争に参加する意義は教皇命令以外にほとんど無く、逆によくぞこれだけの大艦隊を貸し出したものだと思う。あの横暴っぷりも仕方が無いものか。それにしても、困難な連携の上での勝利の瞬間というのは、なんというカタルシスの解放であろうか。久しぶりに小説上で喝采を浴びせたくなった瞬間であった。
しかし実際のところ、この戦争以後ヴェネツィアは没落したとか、ことはそう単純に行かない。本書の末尾に書いてあるようにヴェネツィアはこの戦争によって勝ち得た70年間の平和を享受し、経済的な繁栄は以前と変わることが無かった。その70年の平和を打ち破ったのはまたしてもオスマン・トルコではあったのだが。逆にもう二つの参加国もその後の経緯は複雑である。スペインはアフリカへの野心からこの戦争に参加したが、実際には新大陸経営でにっちもさっちもいかず、100年とたたないうちに西欧の大国から転がり落ちていくのは周知の事実である。
オスマン・トルコはこの戦争でキプロスを得たものの、有効活用することはできなかった。以後国力が増えも減りもせず、やがて西欧諸国に追いつかれ追い抜かれてしまう。最後に西欧から獲得した土地は、レパントの70年後に同じくヴェネツィアから獲得したクレタ島である。オスマン帝国が停滞した理由は、いかにも専制独裁国家らしい内紛からであった。
この戦争以後、地中海そのものが歴史の表舞台ではなくなっていく。まさにそのことそのものがヴェネツィアにとっては致命傷であった。小国の悲哀である。同じくシーパワーであるわが国には、またしても耳の痛い話である。

レパントの海戦 (新潮文庫)
前二作は文明の転換点という非常に大きなテーマを抱えていたが、今回はどちらかと言えばヴェネツィアという一つの国家が国家の舵取りにおいて迷走期に入る、その端緒を描いたものと言える。ヴェネツィアは勝ったには勝ったしそれは圧倒的な大勝でもあったが、前夜を見ればそれは薄氷の勝利と言えたし、何よりその勝利を全く生かすことができなかった。この本のレビューを書く人は誰でもこの部分を引用するだろうが、
やはり「国家の安定と永続は、軍事力によるものばかりではない。他国がわれわれをどう思っているかの評価と、他国に対する毅然とした態度によるものが多いものである。」
という、ヴェネツィアのとある外交官の演説は、今の我々日本人には非常に耳に痛い。この言葉を本書の最後に持ってくるところに、塩野七生の良い意味でのわかりやすさがあると思う。丁寧さ、親切さ、と言ってもいい。
『コンスタンティノープル』では複数主人公制であったが、本作はあくまでヴェネツィア人に主眼がおかれているため、思わず感情移入しすぎてスペインの大国らしい横暴っぷりに腹が立ってきた。しかし冷静に考えればスペインとしては別にこの戦争に参加する意義は教皇命令以外にほとんど無く、逆によくぞこれだけの大艦隊を貸し出したものだと思う。あの横暴っぷりも仕方が無いものか。それにしても、困難な連携の上での勝利の瞬間というのは、なんというカタルシスの解放であろうか。久しぶりに小説上で喝采を浴びせたくなった瞬間であった。
しかし実際のところ、この戦争以後ヴェネツィアは没落したとか、ことはそう単純に行かない。本書の末尾に書いてあるようにヴェネツィアはこの戦争によって勝ち得た70年間の平和を享受し、経済的な繁栄は以前と変わることが無かった。その70年の平和を打ち破ったのはまたしてもオスマン・トルコではあったのだが。逆にもう二つの参加国もその後の経緯は複雑である。スペインはアフリカへの野心からこの戦争に参加したが、実際には新大陸経営でにっちもさっちもいかず、100年とたたないうちに西欧の大国から転がり落ちていくのは周知の事実である。
オスマン・トルコはこの戦争でキプロスを得たものの、有効活用することはできなかった。以後国力が増えも減りもせず、やがて西欧諸国に追いつかれ追い抜かれてしまう。最後に西欧から獲得した土地は、レパントの70年後に同じくヴェネツィアから獲得したクレタ島である。オスマン帝国が停滞した理由は、いかにも専制独裁国家らしい内紛からであった。
この戦争以後、地中海そのものが歴史の表舞台ではなくなっていく。まさにそのことそのものがヴェネツィアにとっては致命傷であった。小国の悲哀である。同じくシーパワーであるわが国には、またしても耳の痛い話である。

レパントの海戦 (新潮文庫)
Posted by dg_law at 12:00│Comments(0)│