2008年10月22日

金銀黒緑

尾形光琳《燕子花図屏風》東博の琳派展に行ってきた。一応簡単に説明を書くと、琳派とは尾形光琳を中心とする江戸時代の芸術一派であり、植物や動物などをあくまで空間配置上のオブジェとして取り扱っているという点において特徴的である。つまり、極めてデザイン性が高い。金銀地の上にオブジェを載せていくことが多く、配置も極めて人工的であり、デッサンがきちんとしてあるにもかかわらずそれをあえてベタ塗りでつぶしてしまう、なんてこともする。その全ての要素を持った典型的な例が、尾形光琳の《燕子花図屏風》であろう(画像)。

しかし、一方でこういった植物をデザイン的に扱うというセンスは漆器や陶器の図柄を見ていけば別に新しいことではなく、平安期から鎌倉期の、特に漆器ではよく用いられてきたことである。唐草模様などは奈良時代にすでにあった。そういう意味では、琳派は復古的な要素もあるのかもしれない。彼ら自身、その創作活動は書画にとどまらず、陶器や漆器、小袖などにも及んでいる。特に、本阿弥光悦や尾形光琳たちは文化的万能人であった(そもそも本阿弥光悦の本職は刀の目利きである)。

現在、琳派と言えば古いほうから、桃山時代から江戸初期の本阿弥光悦と俵屋宗達、江戸中期の尾形光琳、乾山の兄弟、江戸後期から末期の酒井抱一と鈴木其一の六人を指す。実はそれぞれの二人ずつの活躍時期には数十年ずつの開きがあり、直接の師弟関係は無い。あくまでも私淑だけでつながっていったという点においても珍しい一派であるし、江戸時代という長い時代を通してほぼ廃れなかったという点でも珍しい。

ただし、彼ら六人を琳派として一まとめに扱うのは歴史的にはかなり新しいことである。カタログによれば1972年に初めて琳派という言葉が使われたそうだが、琳派という言葉が普及しだしたのは自分の経験をふまえても90年代以降ではないだろうかと思う(それにしても、琳派とはイメージ通りのナイスネーミングである)。特に、江戸時代後期の二人がここに含まれるようになって固定しだしたのは極めて最近ではないだろうか。

今回の企画展の一般的な目玉はやはり尾形光琳と俵屋宗達の二人であろう。特に俵屋宗達に関しては気合が入っており、250点近い作品数のうち三分の一は俵屋宗達と本阿弥光悦の作品群である。自分が急いで19日までに見に行ったのは上記の尾形光琳の《燕子花図屏風》が展示替えの事情でその日までだったからだし、光悦の舟橋蒔絵硯箱があると言われては行かざるをえまい。

しかし、個人的には酒井抱一と鈴木其一の作品を推したい。以前、東博の伊藤若冲展(プライス・コレクション)でも彼ら二人の作品を見る機会があり、そこでの若冲と同時代の画家たち、というカテゴリ付けも十分におもしろい視点ではあるが、やはり琳派の後継者として彼らを見るのもおもしろい。若冲と併置されたように彼らの作品はあくまでも琳派でありながら、かなり四条円山派の影響が強い。デザインチックでありながらオブジェの描写が非常に緻密で、金地ながらもその雰囲気は洒脱で瀟洒でさえある。構図や配置も継承の果てにあるマニエリスティックさが見える。

全部で250点近い大展覧会ではあるし、金地だらけで非常に目が疲れるのではあるが、ちゃんと展示の最後まで目を凝らして見ていってもらいたい。展覧会名のサブタイトルである「継承と変奏」の奥深さをじっくりと味わえることだろう。カタログは一冊三千円と値は張るが350P超で装丁も解説も凝っているのでお勧めである。というか、解説が厚すぎてまだ読みきっていない。

自分は上記の都合で前期展示で見に行ったが、後期展示では宗達、光琳、抱一、其一四人全員の《風神雷神図》をまとめて見ることが出来る。期待して行くといいだろう。

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