2008年11月27日

これは美術史にとっても掘り出し物である

Hammershoi西美のハンマースホイ(ハマスホイ)展に行ってきた。聞いたことも無いという人、それは正しい。私も開催するまでさっぱり知らなかった。だが、広告に出ている作品を見て、これは行かないわけにはいかないと確信し、したはいいがずるずると会期が終わる直前となってしまった。

だが、これは行って正解であった。この画家が生前には高く(それも前衛方向に)評価されていながら美術史に残らず、極最近になってから再評価の流れに乗り始めたというのだから、この業界はおもしろい。そしてこの画家は再評価されるにたるだけのものを持った画家であった。広告に載っていた作品に嘘は無かった。

ハンマースホイは19世紀後半に活躍したデンマークの画家であり、無理に分類するなら象徴主義に属するらしいが、最も画風が近い超メジャーな画家がホィッスラーという時点で、まず分類は不可能であることはわかっていただけるだろう(そもそも超メジャーな画家で、と言っているのにホィッスラーしか出てこない時点ですでに何かがおかしい)。

画風は都市景観画や風景画の多い前期と、室内画の多い後期でやや分かれる。前期は「北国に生まれたミレーかコロー」といったところで、確かに深々と降る雪や硬質な建築物は象徴的と言えなくも無く、どんな場所であっても常に灰色の空を描いている点はいかにも北方の画家であることを感じさせた。だが、基本的に自然主義の範疇を出るものではない。ただし、図録にも少しだけ指摘されていたが、空と平原をばっさり真ん中や2:1で綺麗に分割する手法や、その上で雲を極端に漸近しているように描いたり、木々や湖を象徴的にワンポイントで使う、といった手法は、非常に明確にドイツ・ロマン主義的であり、非常に興味がわいた。

(少し専門的な話をすると、図録によれば、ハンマースホイはフリードリヒの《窓辺の女》をオマージュした作品をコペンハーゲンのアカデミーに提出し「あまりにも似すぎている」と怒られたことがあり、しかもそれがアカデミーから分離派へ行った直接の契機であるとのことで、かなり直接的な影響関係は問えそうだ。確かにドイツ・ロマン主義の系譜はJ.C.ダールによって北欧に持ち去れてはいるし、C.D.フリードリヒはコペンハーゲンのアカデミーで学んだこともあった。しかし一方で、19世紀後半といえば、ちょうどフリードリヒらドイツ・ロマン主義が美術史から忘却され、20世紀前半の再評価を待っていた時期であったがために、あまり濃い関係を疑うのは賢くないかもしれない。)

話を戻すと、ハンマースホイが特徴的であるのはその後期の室内画の作品群である。"静寂"とはよく名づけたもので、ぞっとするほど生活感の無い部屋が冷たく静かに描かれている。部屋にとにかく物が無い。この時期のハンマースホイは17世紀のオランダ絵画に学んだらしいが、なるほど線的遠近法に極端にこだわっているのは見て取れる。ちょうど同時期にフェルメール展も都美で開催されていたわけだが、続けてみるとよかったのかもしれない(ただ、それをもって「北欧のフェルメール」と読んでしまうのはあまりにも宣伝文句として安すぎやしないだろうか)。その立体感で前期から継続される硬質な描写をされたら、それはもう"静寂"にもなろう。窓へのこだわりはオランダ絵画からであろうか、ドイツ・ロマン主義からであろうか。

結果としてではあるが、室内の静けさ、落ち着きがホィッスラーにも非常によく似ており(ちょっとした美術ファンならすぐに気づくであろう)、ハンマースホイ自身もそれを自覚していて、ホィッスラーに会いにロンドンまで旅行したらホィッスラーの側がフランスに滞在中でついぞ会えなかった、というエピソードが残っている。二人が会っていたらどんな影響関係を与えていたか妄想すると楽しくてたまらない。西洋美術史が軽く変わっていたかもしれない。


展示において。3DCGにより完全なまでにハンマースホイの自宅が再現された映像が四台のノートパソコンによって映写されていた。この展示を見て思ったことが二つ。一つは、こんなあからさまに収益の上がらなそうな企画展に、こんな金のかかる工夫を施せるほど金を出した日経新聞はGJである(もっとも、なけなしの収益を出すために全力を尽くした結果なのかもしれないが)。もう一つは、極最近まで埋もれていた画家であるのに(本格的に1997年頃かららしい)、すでに自宅が忠実に再現されうるほど、画家の研究が進んでいることに驚愕した。さすが、19世紀後半に生きていた画家なだけあって史料は掘り出せばたくさん出てきたんだろうが、それでもこの短時間で、と思わざるを得ない。

最後に、今年どさくさに紛れてハンマースホイの真作を一点購入した西美にも、心から「GJ!」と言っておきたい。軽くぐぐったらどのレビューも今回ばかりは絶賛ばかりで、日本の美術館各館は収益赤字を恐れず、どんどんマイナーな画家の良質な天来会を開けばいいんじゃないかと思う。