2009年01月04日

映画『300』に見る欧米人の意識

最初に注意書き。

・『300』はテルモピュレーの戦いを描いた映画ではあるが,史実に則ったものではない。私自身,史実との違い自体は全く問題にしていない。
・本作は史劇というよりも,むしろB級に近い金のかかったエンターテイメント作品であり,楽しむべき点は殺陣である。
・私はこの映画の持つ古臭い意識を一般の欧米人はともかく,知識人が持っているとは思いたくない。
・以下,私はこの映画を酷評しているので読みたくない人は回れ右。(いや,そういう人にこそ読んで欲しい気がするが)


しかし,以上を踏まえたとしてもこの映画には,不可解な点が多い。とあるレビューで「で,映画監督はいくらアメリカ政府から金を貰っているのか?原作者は,欧米至上主義者かアジア差別主義者か?」と書いていた人がいたが,全く同意見である。単に血飛沫が飛ぶ戦闘シーンを見せたいなら,必要の無い味付けが大量に添加されていて,日本人(というかアジア人)から見れば不快でしょうがない。こんな不必要な”味付け”によって欧米人が喜んでいるのだとしたら,それこそ軽蔑に値する。以下,問題があると思えた点を列挙。


・ペルシアは「アジア的専制君主制による抑圧された社会」であり,スパルタ(ギリシア)は「自由と議会制の国家」であるという描かれ方。
→ 実際には当時のペルシアは,先にオリエントを征服したアッシリアが抑圧を用いて統治しようとして失敗したのを教訓に,比較的寛容をもって帝国を統治した。
→ 当時からすでに抑圧の対象だったユダヤを解放したのもペルシア王で,これは『旧約聖書』にすら載っていることだが,そこのところはスルーらしい。
→ ついでに言えば,ペルシア帝国は早くからアジア大陸の東西交流に目をつけており,インドから進んだ治水技術を輸入し都市水道を整備した。通称「王の道」と呼ばれる巨大な道路を,帝国を横断するように建設した。この映画の年代より200年後にペルシアを征服したアレクサンドロスでさえ,バグダードの文化レベルに驚嘆したという。そのアレクサンドロスが壮麗なペルシアの首都ペルセポリスを徹底的に破壊した。果たして,野蛮なのはどっちの側でしょうね。
→ 一方,スパルタは市民が全員戦士となり,農業や都市での生産活動は全て奴隷や不完全市民任せという徹底された統制国家だが,この映画には奴隷の姿は全く映らない。その奴隷は戦争の捕虜か,貿易でトラキア(現ブルガリアにあたる地域)か北アフリカ辺りから買ってきた人たちである。奴隷自体は古代なら普遍的な現象なので,それ自体にとやかく言う気はないが,映さないというのは意図的すぎる。


・ペルシアがギリシア征服を目論んだのは,王の征服欲のため。
→ 100%間違いとはいえないが,正解は地中海の西側・ヨーロッパ大陸に商業網を持っていたギリシアの商業網を見据えて。ペルシア帝国はすでに,地中海の南側に巨大な商業網を持つフェニキア人を支配下に入れて保護し,小麦や果実の貿易で莫大な富を築いていた。(当時の北アフリカは世界で最も農業の進んだ地域の一つ)
→ 結局ペルシアはギリシアの直接統治はあきらめるものの,トラキアを征服し,そこを足がかりにギリシアの諸都市にスパイ工作を仕掛けて間接的に関与した。貿易網を広げるという目的はここで達成されたので,征服欲は消滅し,以後西側への大規模な軍事行動はとっていない。ちなみに,ペルシア戦争の約100年後に起きる,アテネVSスパルタの「ペロポネソス戦争」は,まさしくペルシアの懐柔によるもの。しかもこのペロポネソス戦争では,「自由と民主主義」のアテネが統制社会スパルタに敗北する。まあ当時のアテネは衆愚政治に陥っていたのではあるが。


・古代ペルシア帝国の率いた部隊「不死隊」が存在したのは事実だが,この映画では,中国か日本の京劇か歌舞伎に出てくるようなお面と,忍者のごとき黒装束をまとっている,王直属の近衛部隊。
→ 本来「不死隊」とは個人個人が精鋭なのではなく,極めて迅速に前線要員が補充されるシステムのことであり,前線の人数が全く減っていないように見えるさまからこの名前が付けられた。日本語版Wikipediaにさえそこそこ詳細な記述がある。多分,この映画の監督はイラクがどこにあるかも知らないんじゃないかなぁ。アジアの国は全部「アジア」。


・ペルシア王が真っ黒な黒人で,髭が無い。
→ おい待て,イラン人が使えなかったのならせめてアラビア人の役者を起用しろ。あと,古代ペルシアは長く髭を伸ばす文化で,発掘された石碑のレリーフを見れば誰だって気づくだろう。髭を剃るのは古代ローマからの文化で,ギリシア人でさえ伸ばしていた(これは映画の中でもスパルタ役の人たちは伸ばしていた)。要するに,連中からすると非欧米人に区別を付ける必要はないらしい。
→ 一方で,ギリシア人側には金髪碧眼がいた。落ち着け,ラテン系でそれはないだろう。



ここまで何から何まで間違いだと逆に笑える。逆に考証をしっかりやって,その挙句全部反転させたんじゃないかと勘ぐりたくなる。これは国際問題になっただろう,と思って調べてみたら案の定イラン政府は抗議していたらしい。しかし,全く報道されなかった。日本でもけっこう興業的に成功したらしいし,参ったなぁ。

同じ古代を扱った映画でも,『グラディエーター』や『アレクサンダー』はかなりまともだったのに,この映画は。「エンタメだから何でも許される」という盾と,「バカにしても対象が気づいてなければ問題ない」という壁に,完全に助けられている映画。少なくとも,人種を問わずこんなものに喜んでいる人たちに国際政治は語って欲しくないですね。

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この記事へのコメント
実は僕結構この映画好きなんですよね……w
いや、考証はぶっちゃけ酷いのは理解してますけど。
歴史上のテルモピュライの戦いを映画にした、というよりあくまでアメコミの原作をSFX映画にした、と言う認識なので、個人的には「SIN CITY」などと同様に映像美と北斗の拳的な過剰さを楽しむべきものと考えています。
あれが正史だと思ってしまう人がいる、というのは確かに問題かも。
Posted by 紅茶 at 2009年01月04日 14:47
アメコミ原作なのは知ってましたが、私はそこまで割り切れませんでしたね。
殺陣のシーンは戦争物なのに一対一を重視したという点で革新的でしたし、映像美もよかった。
そこに限れば、私も結構嫌いじゃないです。
だからこそ、個人的にはもったいないという印象が残りました。

Posted by DG-Law at 2009年01月04日 21:30
はじめまして。
一応、ではエロゲーは女性を不当に扱っていないのか、という反問は予期しておくべきだとは思います。
予期した上で書いていらっしゃるなら何も言うことは無いですけどね。

ちょうどこの前NaokiTakahashi氏とゆう人の日記でその手の議論がなされてましたので、読んでみるといいかもしれないです。
Posted by singingroot at 2009年01月08日 15:56
コメントありがとうございます。私としても興味深い話題でしたので返信をうだうだ書いておりましたらどうにも長くなってきました。
あさってくらいに記事のほうに書くので気長にお待ちください。
最近はどうも長文になってよくないな。


端的に答えるなら、

まず、「あらゆる点において政治的に無色な作品」というものは、エロゲーによらずあらゆるジャンルにおいて不可能。
とりわけ「エロゲー」で「女性」となると、凌辱や調教物は最初から除くとしても、何かしらの象徴性を持ってしまい、どう扱ったって不当にはなる。
しかしそのうえで議論するべきことは別にある。

ということになると思います。高橋直樹さんのその日記も読んでますが(当時カトゆーが捕捉してたので)、彼がおっしゃりたいことも似たようなことなんじゃないかなと思う。フェミニズム的に無色なエロゲーなんて架空でしかない。そんなお説教を金を払ってまで読みたくはない。

それはそれとして、NScripterが懐かしい。
私の友人もあれでゲーム作ってましたね。
Posted by DG-Law at 2009年01月08日 17:39
スパルタは髭禁止
Posted by あれ at 2016年04月13日 01:18
すみません,ちょっと確認が取れませんでした。
プルタルコスが「アリストテレスが言っているように,エフォロイは就任すると,スパルタ人に髭を剃ることと法への忠誠を命じた。」と書いているというのは見つけましたが,であればむしろ年に1回しか剃らないのではないかと思います。(エフォロイの任期は1年ですので)。

むしろ「スパルタ人は,概して,髭を生やすことを誇りに思っていたようだ。」と書いている本なら見つけました(英語ですが)。また,同書は「(上記の)風習はアリストテレスの頃のものだろう」とも書いています。

何かはっきりとした情報源があれば,提示していただけると記事の修正のためになります。
お手数ですがよろしくお願いします。
Posted by DG-Law at 2016年04月14日 22:18