2009年06月06日

「忘れえぬロシア」展

クラムスコイ《忘れえぬ女》金曜日の仕事帰り、文化村なら夜遅くまで開いてるからわざわざ土日に行く必要ないなと思い、久々にJRで渋谷駅に降り立った。文化村に行くときは大概地下鉄になってしまったので、JRの渋谷駅のホームに立つとなると数年ぶりということになるかもしれない。降り立った瞬間あまりの懐かしさにちょっと立ちくらんだ。加えて、センター街で夕飯を探してみると、ひいきにしていたファーストフード店の無いこと。考えてみると就活で渋谷に来た事がなかったし、去年の9月のミレイ展以来にはなるが、それにしても変わりすぎだろう。ロッテリアもなかったしリトルスプーンもなかったし、某定食屋もなかった。ひょっとして不況の影響なのだろうか。

そういうわけで、文化村のトレチャコフ美術館展に行ってきた。そして今回も、なんで俺は良いものに限って会期終了間際に行くのかシリーズに新たな1ページを刻んでしまった。トレチャコフ美術館は豪商のトレチャコフ氏が設立、作品を収集し、死後国に寄贈されたのだそうだ。おそらくトレチャコフ氏の活動時期の関係上なのだろうが、19世紀後半の、ロシア地元の画家たちの作品が最も多い。

ロシアの地元の美術というと以前ロシア国立美術館展が都美であって(あれがもう丸っと2年前ということに恐怖を感じた)、あの展覧会も19世紀全般の作品が多く展示されていたが、あのときに「質は高いが流行から常に20〜30年遅れている」と書いているが、今回はそれを再確認する展覧会であった。やはり、その制作年代は時代遅れだったのでは、というものがほとんどであった。印象派っぽいのが出てくるのはやはり1890年〜1900年代だ(キャプションには90年代が最盛期と書いてあった)。しかし考えてみるとその辺りの時代になってくると、少なくともカンディンスキーはもうパリにいるし、ディアギレフとニジンスキーのバレエ・リュスもそろそろ活動し始めてるし、シャガールもそろそろパリに旅立つ時期である。ひょっとして、ロシア居残り組やロシアの大富豪の中での流行が遅れていただけなのかもしれない。

とはいえ、質は文句無く非常に高かった。図録を見比べても、国立美術館展の時となんら遜色はなく、むしろ上回っていたかもしれない。風景画に関して言えばやはりロマン主義的ないし自然主義的な特色が強く、私の趣味にも大きく適合していた。残念ながら前回ファンになったアイヴァソフスキーはなかったが、その影響関係があるらしいことがキャプションに書いてあった画家はいくつか来ていた。風景画でこれはとてつもないなと思ったのは、シーシキンである。おそらく今回の展覧会ではレーピン、クラムスコイに続いて三番目には有名人だと思われる画家であるが、実はシーシキンの絵をしっかり見たことはなかった。すごくゲルマン的な風景画だよな、特に樹の描き方が、と思ったらやはりドイツとスウェーデンに留学していた。

他のところではポゴリューボフ、アルヒープ・クインジの二人は心に残った。見てるとロシア(というかサンクトペテルブルク)に行きたくなるから困る。ラドガ湖とか独ソ戦的にも燃え燃えですよ。あと、北極圏への鉄道を引いた大富豪が、画家に出資して旅行に行かせ、絵を描いてもらってそれを宣伝に利用したという話がキャプションに書いていて、なるほどうまいなと。すでに印象派の連中が鉄道を頻繁に利用してフランス中の風景を描いていたことはよく知られていただろうから、そこから思いついたに違いない。


肖像画としてはやはりレーピンとクラムスコイが巨頭であった。他の画家も悪くは無かったが、ここまでずば抜けていると人気も偏るよなぁと思う。特にレーピンは全ロシア美術でも最大の画家と言われることがあるが、それも納得である。なお、今回ゲーという画家が描いた有名なトルストイの肖像画が来ていたのだが、図録によると、これらトレチャコフがパトロネージしていた画家たちとトルストイは交流があったようだ。他にもチェーホフの肖像や、レーピンによるツルゲーネフの肖像画が展示されていた。

今回の画像は、展覧会のビラにもなっているクラムスコイの《忘れえぬ女》しかあるまい。原題を直訳すると《見知らぬ女》らしいが、これを「忘れえぬ女」と訳した人は天才。相変わらず濃くていかにも高慢そうな女性ではあるが、確実に魅了される絵である。マネの《オランピア》によく似た雰囲気かもしれない。この元ネタは誰かということに関しては(研究的な意味ではなく一種の楽しみ方として)かなり議論がなされているそうだが、確かに私の中の『アンナ・カレーニナ』もぴったりとこんなイメージである。もっとも、もう一つ挙がっていた『白痴』のほうを知らないからかもしれないが。

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