2009年08月12日

キラ☆キラカーテンコール レビュー

このライターは瀬戸口の後釜としては必要最低限で、最も必要である仕事はした。かと言って高評価できるというわけではない。それはどういうことか。つまり、この作品は紛れもなく『キラ☆キラ』のファンディスクである。『キラ☆キラ』の雰囲気、本質的なところでの精神性、ロックに対する考え方や情熱は本編と何ら変わるところなく伝わってきたからだ。それが最も必要な仕事である。ある種象徴的だったのは、前島祐子がまぎれもなく女鹿之助だったということ。ああ、こんなやつだったよ確かに。(じゃあその本質って具体的には、という話は本編のほうのレビューで。

エロゲ業界においてライターの引継ぎや複数ライター制は全く珍しいことではないが、これが出来ていない作品が非常に多い。『リトバス』ですらそうであったし、『かにしの』のような例は極めて奇跡的であった。これはもちろんライターの功績だが、一応原案ということになっている瀬戸口本人や、bambooが相当気を使ったのかもしれない。なんにせよ、一本筋が通っていたのはいいことだ。むしろこれで本質が変わっていたら、じゃあロックってなんだったんだよって話にもなりかねないだけに、本作ではとりわけ致命傷になっていたかもしれない。

しかし、じゃあなぜこれが最低限の仕事かといえば、にもかかわらず文章で全くノれないからだ。肉体たるテキストが伴っていない。瀬戸口と比較するほうがかわいそう、という話ではあるが、エロゲ批評でするべきは相対的評価ではない。絶対的評価である、と考えるならば、これは不当な判断基準とは言えないだろう。ストーリーの起伏も薄かったが、この際それはどうでもよい。問題はあくまでテキストのテンポの悪さに絞りたい。

シナリオについて少し言うなら(この段落ややネタバレ注意)、第一部も第二部も短すぎた。第一部は、言うまでもなく結衣に関する描写が少なすぎたし、第二部だと、もっと村上が何故悩んだかは描けたはずだ(これに関してはまさに最低限は描いたという感じ)。ミルとの関係は最後までと言わずとももう少し先までは見たかったし、可能だったと思う。最後の最後もなぁ……『キラ☆キラ』を全員で歌うというのは、悪くはなかったけど安直なオチだったような。てっきりライブシーンがずらっと続いて終わるものだと。スタジェネの曲とか期待してた。ネタバレ終わり。

絵と音楽については文句なし。個人的なことを言うなら、誉田君の歌声はあまり好きじゃない。うーん、まあ70点弱。あ、ライブDVDは別評価ということで。あれを含めるといやがおうにも高評価せざるをえなくなるでしょう。


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この記事へのコメント
はじめまして
突然ですがちょっと見てて気になったので

>エロゲ批評でするべきは相対的評価ではない。絶対的評価である
どういう意味ですかね?
評価し得るベクトルが少なくとも二つ以上ある時点で
絶対的評価はできないですよね
仮にベクトルごとに見たとして
作文技術の程度の話だとするならば「祝福のカンパネラ」のような
はっきり悪いといえる作品もありますし
プロット・ストーリー構成の起伏・規模の小ささ・物足りなさならば
型月が出た時点でほとんどの作品にみられます
エロゲ本来の意味ではさらに顕著ですよね

言い換えると絶対的評価の最大値が上がっている現状で
佳作とか良作とかいった表現は二段階の絶対的評価、つまりは
相対的評価に他ならないのではないかと思うんですが

絶対的評価を目指すべき、という意味だったならば
申し訳ありません
Posted by oraka at 2009年08月12日 21:22
そういう意味では全然ないです。「『キラ☆キラ』本編と比べて(テキストを中心に)レベルが下がっているが、"低い"ではなく"下がっている"を理由として評価を定めてはならない。"低い"で考えるべきだ」くらいの意味です。要するに、本作は『キラ☆キラ』のFDではありますが、次このライターに全く別の作品で出会ったとしてもほぼ同じような評価になる可能性が高いですね。
「ストーリーの起伏も薄かったが〜〜」の部分は、単純にこの作品にストーリーの起伏を求めていなかったので「どうでもよい」、なので糾弾するべきポイントは「あくまでテキストのテンポの悪さに絞りたい」という文脈です。
加えて「と考えるならば」と前提を挟んでいるように、別に相対評価そのものを否定しているわけではありませんし、このレビュー自体に『キラ☆キラ』本編との比較を多分に含んでいるような気もしますしね。


それはそれとして、
>評価し得るベクトルが少なくとも二つ以上ある時点で
>絶対的評価はできないですよね
というのは極めておっしゃるとおりであって、「エロゲというものは言ってみれば総合芸術のような形態をとっているからこそ、その評価や批評はおもしろいものになる」といったことは、私自身昔このブログで論じたところであります。しいて言うなら、絶対的な評価軸は「萌え」や「おもしろさ」といった抽象的なものにならざるをえない。

それこそ『カンパネラ』も眠くなる作品と言われても仕方がないと思いますがw、私はあの作品大好きです。絵が良い音楽が良いというのももちろんありますが、そういう単純には計れない良さがある。いつまでも浸っていたくなる世界が構築されているという点で、あれはエロゲらしい(=総合芸術らしい)エロゲだったと言えるかもしれません。
Posted by DG-Law at 2009年08月13日 03:24
>>エロゲ批評でするべきは相対的評価ではない。絶対的評価である
これなんですが、先に書いたことに加えて絶対的評価はできない、
と考えているので、どこから持ってきたんだろうと思っただけなんです
ぱっと考えてもプレイする人の好み、ゲームの完成度、プレイ目的に値段で
変数2つとステージ2つですから何をどうして絶対的評価にしているのだろう?と
テキストの完成度における絶対値では?と思ったので



カンパネラはですね、最初のチェルシーと出会うところで「あなたの物腰から、……が判断できます」とか
そこだけかな、とおもったら「それをみれば、………なことは当然だよ」(うろおぼえです)のような台詞が延々と
物書きとしてのプライドを捨てたような口調・文体に激昂して画面割りそうなほどだったのであそこまで断定的な言い方になってしまいました
仮に伏線だったとしてもそれを続けるなよ!読めねえよ!と
はぴねす!がすごく好きなのでそのときの落胆はもう(杏璃のかわいさは異常)
ローカルルールみたいなものなのでよくないとは思っているんですが文が主媒体である以上私はあのゲームを酷評しかできないのです
Posted by oraka at 2009年08月13日 18:27
>ぱっと考えてもプレイする人の好み、ゲームの完成度、プレイ目的に値段で
そういう考え方もできますが、もっと細分化も可能ではないでしょうか。エロゲの場合、変数や態度は無数に考えられます。
そこを無理やり標準化して同列で評価するから、エロゲ批評のおもしろみがあるのかもしれない、と考えています。
おっしゃる通り、エロゲによらずなんでもそうですが、究極的には絶対的評価って存在しないんですよねぇ。ただし、重ねて言いますが、上記の場合の絶対的評価とは「『キラ☆キラ』本編との評価は切り離して考えた場合」という意味ですので、そうとって読んでください。


『カンパネラ』のほうに関してですが、人によって評価軸は様々なので、物書きとしてのローカルルールがなってないから低評価、というのも十分許されると思います。
先日このブログで『さくらシュトラッセ』のレビュー書きましたが、あれだって飲食関係者にとってはあまりにもなってない、リアリティに欠ける描写が多かったそうですが、そういう事情で低評価する人がいても別に良いでしょう。
その上で申し上げますが、何の部門のローカルルールかは知りませんが、実質的に何の制限もないといえるエロゲの文章に、他の部門のローカルルールをぶつけるのはやや狭量かもしれません。小説に近いものもあればアニメやドラマの脚本(ト書きを流している状態)に近いものもある。
確かに「当然」や「物腰」という抽象的な言葉を使ってお茶を濁すやり方は文章レベルが低いと言わざるをえないのは確かですが、レスター(主人公)ならやっても許される空気が作品の側にあったとも思いますね。
Posted by DG-Law at 2009年08月14日 15:56