2009年09月03日

正直、エロければ良いと思う

カバネル《ヴィーナスの誕生》の模写横浜美術館のフランス絵画展にようやく行ってきた。すごく魅力的な展覧会ではあったのだが、こう言ってはなんだがやはりやや遠いとめんどくさがってしまいなかなか行く機会が持てない。出不精ではないのだが、仕事を始めてからどうも体力が追いつかない。実のところ、結局お台場のガンダムは見そびれた。良くない傾向だ。

今回の展覧会の特徴は、フランスの近代絵画といってもありがちな自然主義、印象派だけを陳列したものではなく、きちんと新古典主義とアカデミーを持ってきてその比較を行ったことだ。それもアカデミーの画家たちを年代ごとに世代分けし、新古典主義から、それよりはさらに甘美な性質のいわゆる「フランス・アカデミスム」に移り変わっていたことや、アカデミスムでもロマン主義や自然主義が次第に受容されていったことの流れが説明されていた。そもそも印象派によって影の薄い時代で、日本人にとってはとっつきにくい話題ではあるので、鑑賞者にどの程度理解されたかは測りかねるものの、説明自体は悪くなかったように思うし、持ってこられた作品の質も、《ヴィーナスの誕生》はどうせなら本物持って来いよと思った以外は比較的良質であった。


気になった作品としていくつか。ドラロッシュの《クロムウェルとチャールズ1世》。知っている人は知っているそこそこ有名な作品。斬首されたチャールズ1世は、頭と身体がバラバラなまま棺に納められている。本作品でもよく見ると首と胴体にスキマがあり、血がしたたったまま凝固している。棺を開けているのが斬首した張本人、クロムウェルである。イギリスが共和制になった唯一の15年間を牛耳った男。彼は棺を開け、何を思うのか。優越感か、それとも600年続いたイギリス王朝を終わらせたことへの重みを感じているのか。様々な想像がつくその表情は極めて巧みである。歴史的に見れば、この後すぐイギリスは王室を復活させそのまま現代に至る。一方でフランスはナポレオンの退位後ブルボン朝が一時的に復活したものの再び革命で倒れ、七月王政と第二帝政を経て共和制となり現代まで続く。現代人から見ると対照的な歴史的経緯を持つ両国だが、本作品が描かれた1831年当時はやっと七月革命でブルボン朝が倒れ、七月王政が始まったばかりであったから、この先再び王政が続いていくという未来もまだ予想されえた時代であった。実際、カタログを読むと、クロムウェルとナポレオンは19世紀の間に長らく類比されてきたようだ。

カバネルの《ヴィーナスの誕生》……の模写。改めて見ても、この作品はエロすぎると思う。これで官能性と芸術性は別物とか言われても説得力がかけらもない。まあ、そもそもその二点を分けて考えること自体おかしいと思う、というのが私の立場ではあるのだけれど。しかし、やはりどうせなら本物が見たかった。どうせ人気ないから値段も下がっているだろうとは思うんだが、伝手がなかったか、それとも再評価の流れで保険料が高騰したか。

ジャン=ジャック・エンネルの《牧歌》。

カロリュス=デュランの《ヘベ》。見所はアバラ骨。カロリュス=デュランは割と有名人で、ロマン派かフランス・アカデミスムに分類される、この時代にしては随分と古い絵を描いていた人物である(本作品は1874年)。ただし本人は交友関係の広い人物で、ラファエロ・コランや印象派の面々とも親交があったようだ。

ラファエロ・コランの《フロレアル(花月)》。近年黒田清輝の師匠として急激に知名度が上がったイメージのあるラファエロ・コランの代表作。正直黒田のほうがうまく見えるのは日本人の美意識ゆえなのか。

ジャン=ポール・ローランスの《ラングドックの扇動者》。最後の歴史画家、と言われる。本作品は1887年の制作で、光のとり方や筆致の残し方などからロマン主義的と言えなくも無いが、それでもやはり大分古い。なお、ジャン=ポール・ローランスはラファエロ・コランに次いで日本人画家を弟子にとった人物でもある。なお、本作品は13世紀のアルビジョワ十字軍における残虐な異端審問を題材にとったもので、画家自身強烈な共和主義者、自由主義者であったから、大きく政治的意図を持った作品とも言える。なお、フランスで政教分離が確定したのは1905年のことである。

ポール=フランソワ・カンサックの《青春の泉》。全然知らない画家だが、1889年の作品にしては随分とかっちかちのアカデミスムな絵で、女性が官能的なのはいいとしても背景までしっかり描かれていてやや驚いた。題材はアーサー王物語の場面らしいのだがマイナーである。


以下、暇な人向け。

19世紀のフランス美術を概観するならば次のようになるだろう。フランス革命により豪華絢爛で貴族的なバロック・ロココ様式の人気が落ちると、古代ギリシア・ローマ風の均整のとれた、清新さを感じる古典様式への人気が高まる。しかし、これは突然起こったわけではなく、実際にはバロック・ロココ様式の陰で古典主義は生き延びており、とりわけフランスではクロード・ロランやプッサンといった人材を輩出し特に強く古典主義が残っていたという風土があった。フランス革命直前の肖像画を見ても、古典主義的なものが多いように思う。

ともかく、フランス革命で貴族と手を切り離されても、政治的動乱をうまいこと切り抜けたフランスアカデミーを席巻したのはこの新古典主義であり、ダヴィドやアングル、グロ、ジェラールといった面々が有名である。彼らは全員今回の展覧会に出品されている。古典古代の復活や均整を目指すという点ではルネサンスや古典主義と同じかもしれないが、光や色彩に関する技術はやはりバロック・ロココを経たものであり、"新"がつく意義はそこにあるのだろう。

しかし、フランス美術はそこから多様な展開を見せる。つまり、悪く言えばつまらないと言える新古典主義に対しての反動が発生した。色彩を変えてみたり、筆致を荒くしたり(新古典主義では筆致が残っていたらアウト)、わざとパースを崩してみたり、と実に様々な工夫が見られる。

これらのうち、劇的な場面や人間の感情を描くことを目指し、題材を古典古代の神話から現代(当時の現代)に至るまでの歴史的事象や文学作品などからとった派閥をロマン主義という。代表的な画家は、フランスに限ればジェリコーやドラクロワ。だが、今回の展示ではジェリコーは来ていない。1810年代にはすでに芽生え始め、40年頃までにはアカデミーに受容された。題材的には新古典主義とさして変わらないし、「線(均整)か色(感情)か」という論争自体はルネサンス以来延々と続く決着のつかない論争であったので、ロマン主義の登場は、守旧的な人物たちから見てもそれほど敵意を向けるべきものでもなかった。実際、ダヴィドの弟子からもロマン主義に転向した人物が多く、今回の展示でも、ドラロッシュやオラース・ヴェルネがこちら側の人間として展示されていたのはやや驚きであった。

ロマン主義よりはやや遅れて登場したのは、身近な題材を取り上げ、現在の現実を描き出そうとした自然主義の画家たちであった。ミレーやコロー、クールベはその有名な画家たちである。三人とも今回の展覧会に作品が来ていた。彼らは特に、人物と背景を分け、人物はそこそこくっきり描くが、背景はぼかして描くという特徴がある。確かに、人間の目の構造や焦点といったことを考慮に入れれば、そのほうが「自然」なのだ。この考え方は、自然主義画家たちの活躍していた50-60年代からはややタイムラグがあるが、70年代頃にはアカデミーに受容されていった。黒田清輝ら日本人画家たちの師匠であったラファエロ・コランも、半ば自然主義的なアカデミーの人間であった。

一方でこの時代には、新古典主義的な均整から、極端に理想化され美化された人間を描く方向へ特化し、結果的にそれはそれで官能的すぎて元の新古典主義からは乖離したアカデミーの画家たちも現れた。これが近年注目を浴び始めた「フランス・アカデミスム」の一派である。代表的な画家として、カバネル、ブグロー、ジェロームらがいる。この三人の作品も全て今回の展覧会に来ていた。とりあえず、女性の身体はS字である。

以前は「印象派の登場にかたくなに反対した」というレッテルが貼られ(事実ではあるのだが)、存在自体が忘却されかかっていたが、現在これはこれで19世紀フランス美術の多様性の一つではないかということで再評価が始まっている。今回の展覧会も大きな流れではその一つといえる。


そしてこの新古典主義からの脱却、すなわち「筆触を残す」「色彩を生かす」を図り続けた数十年間の先に登場し、あまりにも先鋭化しすぎてとうとうアカデミーに受け入れられず激しく反発された一派こそが、印象派である。ここから先は私が語るところはないと思われるので、ここで筆を置く。

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