2009年09月09日
海外で活躍する品々
サントリー美術館のシアトル美術館アジア館展に行ってきた。19世紀の日本や中国、朝鮮はまだ自分たちの持っている絵画や工芸品の美術的価値を認識してなかったために、特にアメリカに対して、大量の美術作品が安価に流出した。日本に至っては、そもそも浮世絵が向こうに伝わったのは陶磁器の包み紙として使われていたから、というのは有名な話である。今にして思えばどういう国家的損害だよ、と思えるが。
まあ200年も昔に伝わってしまったものはしょうがないとして、そんな東洋の無駄遣いの結果の一つが、このシアトル美術館アジア館である。確か、中国美術の先生に「一生に一回は行け」とか言われたような記憶もあって、今回の特別展に足を運ぶことになった。とは言いつつも、今回中国美術は数点しか来ておらず、やはりサントリー美術館らしく日本美術中心ではあった。悔しいが、非常におもしろかった。
いつものように気になったものをいくつか。まず、浦島蒔絵手箱。開けたらふたの裏に浦島太郎が玉手箱開けてる場面という、とても不安になる漆器。『二河白道図』。鎌倉時代の作品で、浄土宗成立に影響を及ぼした人物である中国初唐の僧、善導が描かれている。某仏教徒に教えてあげよう。『長谷寺縁起絵巻』、室町時代後半の作品。絵が非常にかわいらしく、イラスト的というか漫画的というか。
雲谷等顔『山水図』。瀟湘八景には二景足りないがためにこのようなタイトル。なぜあと二つ描かなかった。足りなかったのは江天暮雪と烟寺晩鐘か。この大胆な余白の使い方からして、入りきらなかったんだろう。切られたのがこの二つというのはなんとなく理解できなくもない。部分的に雪だったり煙だったりするのも、確かにねぇ。桃山時代の作例で、雲谷は雪舟を目標としたらしい。言われてみるとそんな風に見えなくもない。
『竹に月図』。典型的な金碧障壁画。しかし、右隻は初夏、左隻は春で季節が違うという珍しい題材のとり方をしている。また、右隻の右上部と、その真下の右下部に月らしきものが見えるが、これらの円は長い年月の間に金箔が貼られたり銀箔が貼られたりして、太陽になったり月になったりしたらしい。しかも、最初に作られたときには、上部のほうの円は無く、後から描き加えられたものだそうだ。図録の解説では、これらの数度の改変はそれぞれの時代の美意識を表象している、としているが、確かに趣深い。現在のバージョンとしては、空に浮かぶ月と、水面に写る月という解釈が正しいようである。
『烏図』(今回の画像)。江戸時代初期の作品で、金地一面に黒で烏の大群が描かれている。アイデアだけ見ると宗達の『鶴下絵和歌絵巻』に近く琳派っぽいが、それにしても不気味で不吉である。図録を読んだところ、この時代の題材としてはあまり珍しくないようだ。
狩野重信『竹に芥子図』。これも江戸時代初期の作品。個人的な見たところでは「狩野派の癖に宗達の真似してみたらセンスが足りなかった、どうしてこうなった」という感想だったのだが、図録を読んだところ、芥子という題材自体が狩野派では珍しく、同時代では宗達が芥子を描いていた、ということが指摘されていた。どうやら宗達とは直接つながりはなかったものの、狩野重信はやや中央から距離があり、比較的自由な活動をしていた男らしい。納得したと同時に、それでも狩野派には違いないな、と思った。
尾形光琳『山水図』。逆に琳派が山水画を描いてみた、という感じ。金地に墨のみ。簡素で、溌墨に近い描写だが、これはこれで悪くない。与謝蕪村『寒林夜行図』。最初全く蕪村に見えなかった。が、言われてみると木々の描き方がそれっぽい。中国山水画の技法である三遠(平遠、深遠、高遠)が全て巧みに使用されている。蕪村の術中にはまっている気はするが、北宋絵画好きならにやにやする作品。
続きまして、中国美術。まず、殷代の青銅器が綺麗な保存状態で展示されていた。加えて、西周時代とされる玉璧。これもすばらしく、まさに玉璧としか言いようがない。唐代の銀のお碗に至っては現代の作例かと思えるほどだった。残ってるところには残ってるもんなんだなぁ。他の器として、紅釉瓶と粉彩梅樹椿文盤の二品を挙げたい。どちらも清の中期頃の作品だが、恐ろしく出来が良い。前者の、紅色の釉による磁器はけっこう好きだが、近現代の作品でしか見たことが無かったのでこれは新鮮だった。後者は梅と椿の樹が碗の裏まで描かれているもので、物珍しくは無いものの、絵も白磁の出来も抜群に良い。今回どれが欲しいと言われたら、これが一番欲しい。絵画は数が少なかったが、文伯仁の『山水図』だけ挙げておく。明末の有名な画家である。
実はもう少し後日談があるのだが、別記事で。
まあ200年も昔に伝わってしまったものはしょうがないとして、そんな東洋の無駄遣いの結果の一つが、このシアトル美術館アジア館である。確か、中国美術の先生に「一生に一回は行け」とか言われたような記憶もあって、今回の特別展に足を運ぶことになった。とは言いつつも、今回中国美術は数点しか来ておらず、やはりサントリー美術館らしく日本美術中心ではあった。悔しいが、非常におもしろかった。
いつものように気になったものをいくつか。まず、浦島蒔絵手箱。開けたらふたの裏に浦島太郎が玉手箱開けてる場面という、とても不安になる漆器。『二河白道図』。鎌倉時代の作品で、浄土宗成立に影響を及ぼした人物である中国初唐の僧、善導が描かれている。某仏教徒に教えてあげよう。『長谷寺縁起絵巻』、室町時代後半の作品。絵が非常にかわいらしく、イラスト的というか漫画的というか。
雲谷等顔『山水図』。瀟湘八景には二景足りないがためにこのようなタイトル。なぜあと二つ描かなかった。足りなかったのは江天暮雪と烟寺晩鐘か。この大胆な余白の使い方からして、入りきらなかったんだろう。切られたのがこの二つというのはなんとなく理解できなくもない。部分的に雪だったり煙だったりするのも、確かにねぇ。桃山時代の作例で、雲谷は雪舟を目標としたらしい。言われてみるとそんな風に見えなくもない。
『竹に月図』。典型的な金碧障壁画。しかし、右隻は初夏、左隻は春で季節が違うという珍しい題材のとり方をしている。また、右隻の右上部と、その真下の右下部に月らしきものが見えるが、これらの円は長い年月の間に金箔が貼られたり銀箔が貼られたりして、太陽になったり月になったりしたらしい。しかも、最初に作られたときには、上部のほうの円は無く、後から描き加えられたものだそうだ。図録の解説では、これらの数度の改変はそれぞれの時代の美意識を表象している、としているが、確かに趣深い。現在のバージョンとしては、空に浮かぶ月と、水面に写る月という解釈が正しいようである。
『烏図』(今回の画像)。江戸時代初期の作品で、金地一面に黒で烏の大群が描かれている。アイデアだけ見ると宗達の『鶴下絵和歌絵巻』に近く琳派っぽいが、それにしても不気味で不吉である。図録を読んだところ、この時代の題材としてはあまり珍しくないようだ。
狩野重信『竹に芥子図』。これも江戸時代初期の作品。個人的な見たところでは「狩野派の癖に宗達の真似してみたらセンスが足りなかった、どうしてこうなった」という感想だったのだが、図録を読んだところ、芥子という題材自体が狩野派では珍しく、同時代では宗達が芥子を描いていた、ということが指摘されていた。どうやら宗達とは直接つながりはなかったものの、狩野重信はやや中央から距離があり、比較的自由な活動をしていた男らしい。納得したと同時に、それでも狩野派には違いないな、と思った。
尾形光琳『山水図』。逆に琳派が山水画を描いてみた、という感じ。金地に墨のみ。簡素で、溌墨に近い描写だが、これはこれで悪くない。与謝蕪村『寒林夜行図』。最初全く蕪村に見えなかった。が、言われてみると木々の描き方がそれっぽい。中国山水画の技法である三遠(平遠、深遠、高遠)が全て巧みに使用されている。蕪村の術中にはまっている気はするが、北宋絵画好きならにやにやする作品。
続きまして、中国美術。まず、殷代の青銅器が綺麗な保存状態で展示されていた。加えて、西周時代とされる玉璧。これもすばらしく、まさに玉璧としか言いようがない。唐代の銀のお碗に至っては現代の作例かと思えるほどだった。残ってるところには残ってるもんなんだなぁ。他の器として、紅釉瓶と粉彩梅樹椿文盤の二品を挙げたい。どちらも清の中期頃の作品だが、恐ろしく出来が良い。前者の、紅色の釉による磁器はけっこう好きだが、近現代の作品でしか見たことが無かったのでこれは新鮮だった。後者は梅と椿の樹が碗の裏まで描かれているもので、物珍しくは無いものの、絵も白磁の出来も抜群に良い。今回どれが欲しいと言われたら、これが一番欲しい。絵画は数が少なかったが、文伯仁の『山水図』だけ挙げておく。明末の有名な画家である。
実はもう少し後日談があるのだが、別記事で。
Posted by dg_law at 13:34│Comments(0)│