2009年10月30日
うみねこの鳴く頃に 推理というよりは整理
以下、『うみねこ』ネタバレOKな方、追ってないけど何かしら情報を仕入れておきたい方はどうぞ。
まず、EP4までの情報でほぼ人間犯行説は立証可能ではないかと思う。では犯人は誰か?というと、バトラ以外は全員容疑者(犯人ではなく容疑者)と考えればすんなり行く。EP4でメタバトラがつぶやいていたように「赤字以外はもう何も信用できない」。しかし、誰かと誰かが結託していたというわけではない。16人がそれぞれ別の動機を持ち、特定の人物ないし自分以外の全員を抹殺するだけの動機が存在していた。よって、○○は△△という目的で××を狙っているが、逆に別の□□には■■の事情で狙われている、という状況に、事故死の可能性を考慮すれば、完全密室や全滅は特に不可思議な現象ではなくなる。
今ふと思い付いたのだが、『キラークイーン』の状況を想定してはどうだろうか。バトルロワイヤルのように、全員が全員殺しあっているわけではなく、ある人は特定の誰かを葬って生き残るのが勝利条件だが、別の人は誰も殺さず特定の行動をとれば条件を満たす、等。六軒島はあれに限りなく近い状況なのかもしれない。一人一人の動機や個々の事件に関して検証するのは、ちょっと馬鹿馬鹿しい。個々の動機は情報がそろいきっていないし、個々の事件に関しては下手するとノドカキムシールのようなものが出てくる可能性をまだ疑っているので、変に推理しても徒労に終わる可能性がある。今は「高性能小型爆弾」(笑)でも十分だろう。
少しだけ具体的な話をすると、まず間違いなくどのEPでも誰かしらの殺人にかかわっているのが絵羽と嘉音。絵羽は言うまでもなくEP3で少なくともバトラは殺害しているし、他の事件に関しても多くの状況で動機と殺害手段が成立する。嘉音は、家具云々はベアトの見せている幻想とすれば動機はジェシカ関連で十分すぎるし、何より不審な死亡が多すぎる。紗音との入れ替わり説さえ存在する。そして、確かに嘉音が画面上で殺されてから、メタ世界で赤字で死亡が宣言されるまでのタイムラグの間、生存していると考えれば方がつく事件は、バトラの推理を待つまでもなく多数ある。今はこの2人くらいしかなんとも言えない。
メタバトラが見せ付けられている魔法現象については、EP3のワルギリアやEP4のエンジェが説明している通りで問題ない。少し補足すると、魔法は信じるものには顕現し、信じないものには顕現しない。ただし、メタバトラに関してはメタベアトの映す光景を一方的に見せられているに過ぎないので、メタベアトのフィルターがかけられているのでこの限りではない。実際、下位世界バトラが魔法の存在を信じていないうちには下位世界ベアトと会っておらず、バトラが完全に屈してしまったEP2終盤以外においては金蔵とも出会っていない(現実の金蔵は1985年の親族会議前には死亡しているので、魔法現象でもない限り下位バトラが会えないのは当然のこと)。下位世界の登場人物の魔法に関する言動については、メタベアトのフィルターがかかっているためバトラ以外は全く信用できない。ゆえに、EP2の霧江さんが見てようがEP3のローザが見てようが、そんなものはベアト存在の根拠にはなりえない。
実はこの説明をEP2のうちに持ってこなかったのが本作最大の不満点であり、逆にEP4でも再度説明していることがEP4のテンポを相当悪くしている原因である。EP4にいたっては、EP3で魔法の種は完全に割れているのに、まだ見せたがるの?くどいよ?としか思えなかった。少なくとも「メタ世界」と下位世界はほぼ完全に乖離していること、メタ世界でバトラが見せられている光景はベアトのフィルターがかかっていること、この2点に関してはEP1のティーパーティーで公開しても良いくらいの情報だった。竜騎士はとことんこの説明の方法を誤ったと思う。私はこれが要因で5〜10点は評価を下げている。
碑文については興味が無い。自分では解けないからだ。しかし、おそらく当時の六軒島に黄金10tは存在しない。なぜなら、EP3後の生存帰還直後のエヴァが、金蔵からの当主継承が法的に認められるまでの間、経済的に困窮しているからだ。確かエヴァは当初の予定ではクラウスから3億ほどの融資で足りていたはずなので、延べ棒が5本あれば余裕である。それを持ち帰っていないということは、エヴァトリーチェ誕生の瞬間も含めて、あのあたりの描写は全てベアトのフィルターだったと考えるべきだ。ただし、後述するように、碑文の解読がメタベアトの行動にかかわっている可能性はある。
さて、そうするともう一つの大きな問題は非メタベアト、下位世界ベアトとは何か?という問題である。EP4の赤字にて
………右代宮戦人。今から私が、あなたを殺します。
………そしてたった今。この島にはあなた以外誰もいません。この島で生きているのは、あなただけです。島の外の存在は一切干渉できません。
………この島にあなたはたった一人。そしてもちろん、私はあなたではない。なのに私は今、ここにいて、これからあなたを殺します。
と言われてしまった以上、完全人間犯行説の立場をとる場合であっても、六軒島にベアトが存在しないと言い張るのはかなり苦しい。かつベアトは現実に存在はするが物体的には存在しない、かといって羽生のような非現実的な存在ではないということで詰めていく場合、これはもうベアトとは概念的な何かである、という説明しかつかない。wikiにある「ベアト法律説」は良い線をついているような気がする。この説が現状彼女を最も簡単に説明しうる。
もう一つ重要な要素として、(メタ)ベアトの能力である「無限」とは、ベルンカステルの言葉を借りれば「迷路を無限に再構築するようなもの」らしい。一方『ひぐらし』では、梨花がループするたびに世界の構成が少しずつ違っていたが(鉄平が雛御沢に帰ってくるかどうか等)、その状況は梨花や三四が決定しているわけではなくランダムで、梨花自身がループしてみないとわからない、というものであった。ということは、ベアトの能力は世界を構成するたびに「誰をどこに配置するか」「誰に何を見せるか」「どこで何が起きるか」といった、梨花ではランダムに任せるしかない要素を自らの意志で自由に構成することができる能力ということなのだろう。なるほど、無限にループを繰り返し、3つのサイコロの目が6でそろうまで耐えるという戦法のベルンでは勝てないわけだ。ベアトは出目が確定する直前に、団扇で風を起こして出目を変えることが出来る。もっと具体的に言えば、ベアトがゲーム盤に雛御沢を採用していた場合、毎回鉄平が雛御沢に帰ってくる、等の嫌がらせを仕掛けることが可能だった、ということになるだろう。
で、このベアトの能力の説明は犯人複数説の一助となる。つまり、EPが変わる事に誰が誰に殺されるのか、殺害方法や事故死さえも含めて、全てベアトのコントロール下である。○○は、××には△△の理由で狙われているが、□□には■■の理由で狙われている。ゆえに、EP1では××に殺されたが、EP2では□□に殺された、などは容易に成り立ちうる。そして、碑文の解読であるが、これは解読に成功した者は死なないようにメタベアトが世界の設定をいじっている、と考える。もちろん、科学的に無理の無い範囲、ではあるが。ランダムで起きる現象を起こすか起こさないか、程度の途中介入は許されるだろう。それでも完全人間犯行説は成立しうる。無論、実は碑文の解読と解読者の生死は一切関連性が無い可能性も、現状では否定されえないが。
メタベアト考察からもう一つ見るべきものとして、バトラがベアトに赤字で「そなた(右代宮戦人)の罪により、この島の人間が、大勢死ぬ。誰も逃さぬ、全て死ぬ。」と宣言しているが、一方で「右代宮戦人がもしも六軒島に戻ってこなかったら、事件は起こらなかった」は復唱拒否している。復唱拒否ということは否定されたわけではなく、かつ肯定されたわけでもない。つまり、幾人かの動機には関係しているものの、全く無関係な動機を抱く人も存在するため(少なくとも絵羽はそうだろう)、「バトラが六軒島に戻っておらずとも事件が起きたかは、(メタ)ベアトにすら想定不可能である。よって赤字での復唱が不可能であった。」という推理を立てておく。ただし、では実際にそのバトラの罪とは何であったか、それがどう1986年の連続怪死事件にかかわっているかについては全くの不明である。それを論じるには、現状全く情報が足りていない。伏線の気配すらない。
最後に、赤字は本当に真実なのか?という問題について。これについては竜騎士を信用するしかないわけで、これが裏切られた場合は本気で暴動が起きると思うのだが、唯一これがとても気にかかる。同じことはEP3から気になっていた。なんで句読点や!だけ白い文と、ちゃんと全部赤い文があるんだ?ひょっとして前者は引っ掛けか?これが竜騎士の気まぐれじゃなくて使い分けの意味があるのだとしたら、これでも十分暴動が起きるレベルのような。
今ふと思い付いたのだが、『キラークイーン』の状況を想定してはどうだろうか。バトルロワイヤルのように、全員が全員殺しあっているわけではなく、ある人は特定の誰かを葬って生き残るのが勝利条件だが、別の人は誰も殺さず特定の行動をとれば条件を満たす、等。六軒島はあれに限りなく近い状況なのかもしれない。一人一人の動機や個々の事件に関して検証するのは、ちょっと馬鹿馬鹿しい。個々の動機は情報がそろいきっていないし、個々の事件に関しては下手するとノドカキムシールのようなものが出てくる可能性をまだ疑っているので、変に推理しても徒労に終わる可能性がある。今は「高性能小型爆弾」(笑)でも十分だろう。
少しだけ具体的な話をすると、まず間違いなくどのEPでも誰かしらの殺人にかかわっているのが絵羽と嘉音。絵羽は言うまでもなくEP3で少なくともバトラは殺害しているし、他の事件に関しても多くの状況で動機と殺害手段が成立する。嘉音は、家具云々はベアトの見せている幻想とすれば動機はジェシカ関連で十分すぎるし、何より不審な死亡が多すぎる。紗音との入れ替わり説さえ存在する。そして、確かに嘉音が画面上で殺されてから、メタ世界で赤字で死亡が宣言されるまでのタイムラグの間、生存していると考えれば方がつく事件は、バトラの推理を待つまでもなく多数ある。今はこの2人くらいしかなんとも言えない。
メタバトラが見せ付けられている魔法現象については、EP3のワルギリアやEP4のエンジェが説明している通りで問題ない。少し補足すると、魔法は信じるものには顕現し、信じないものには顕現しない。ただし、メタバトラに関してはメタベアトの映す光景を一方的に見せられているに過ぎないので、メタベアトのフィルターがかけられているのでこの限りではない。実際、下位世界バトラが魔法の存在を信じていないうちには下位世界ベアトと会っておらず、バトラが完全に屈してしまったEP2終盤以外においては金蔵とも出会っていない(現実の金蔵は1985年の親族会議前には死亡しているので、魔法現象でもない限り下位バトラが会えないのは当然のこと)。下位世界の登場人物の魔法に関する言動については、メタベアトのフィルターがかかっているためバトラ以外は全く信用できない。ゆえに、EP2の霧江さんが見てようがEP3のローザが見てようが、そんなものはベアト存在の根拠にはなりえない。
実はこの説明をEP2のうちに持ってこなかったのが本作最大の不満点であり、逆にEP4でも再度説明していることがEP4のテンポを相当悪くしている原因である。EP4にいたっては、EP3で魔法の種は完全に割れているのに、まだ見せたがるの?くどいよ?としか思えなかった。少なくとも「メタ世界」と下位世界はほぼ完全に乖離していること、メタ世界でバトラが見せられている光景はベアトのフィルターがかかっていること、この2点に関してはEP1のティーパーティーで公開しても良いくらいの情報だった。竜騎士はとことんこの説明の方法を誤ったと思う。私はこれが要因で5〜10点は評価を下げている。
碑文については興味が無い。自分では解けないからだ。しかし、おそらく当時の六軒島に黄金10tは存在しない。なぜなら、EP3後の生存帰還直後のエヴァが、金蔵からの当主継承が法的に認められるまでの間、経済的に困窮しているからだ。確かエヴァは当初の予定ではクラウスから3億ほどの融資で足りていたはずなので、延べ棒が5本あれば余裕である。それを持ち帰っていないということは、エヴァトリーチェ誕生の瞬間も含めて、あのあたりの描写は全てベアトのフィルターだったと考えるべきだ。ただし、後述するように、碑文の解読がメタベアトの行動にかかわっている可能性はある。
さて、そうするともう一つの大きな問題は非メタベアト、下位世界ベアトとは何か?という問題である。EP4の赤字にて
………右代宮戦人。今から私が、あなたを殺します。
………そしてたった今。この島にはあなた以外誰もいません。この島で生きているのは、あなただけです。島の外の存在は一切干渉できません。
………この島にあなたはたった一人。そしてもちろん、私はあなたではない。なのに私は今、ここにいて、これからあなたを殺します。
と言われてしまった以上、完全人間犯行説の立場をとる場合であっても、六軒島にベアトが存在しないと言い張るのはかなり苦しい。かつベアトは現実に存在はするが物体的には存在しない、かといって羽生のような非現実的な存在ではないということで詰めていく場合、これはもうベアトとは概念的な何かである、という説明しかつかない。wikiにある「ベアト法律説」は良い線をついているような気がする。この説が現状彼女を最も簡単に説明しうる。
もう一つ重要な要素として、(メタ)ベアトの能力である「無限」とは、ベルンカステルの言葉を借りれば「迷路を無限に再構築するようなもの」らしい。一方『ひぐらし』では、梨花がループするたびに世界の構成が少しずつ違っていたが(鉄平が雛御沢に帰ってくるかどうか等)、その状況は梨花や三四が決定しているわけではなくランダムで、梨花自身がループしてみないとわからない、というものであった。ということは、ベアトの能力は世界を構成するたびに「誰をどこに配置するか」「誰に何を見せるか」「どこで何が起きるか」といった、梨花ではランダムに任せるしかない要素を自らの意志で自由に構成することができる能力ということなのだろう。なるほど、無限にループを繰り返し、3つのサイコロの目が6でそろうまで耐えるという戦法のベルンでは勝てないわけだ。ベアトは出目が確定する直前に、団扇で風を起こして出目を変えることが出来る。もっと具体的に言えば、ベアトがゲーム盤に雛御沢を採用していた場合、毎回鉄平が雛御沢に帰ってくる、等の嫌がらせを仕掛けることが可能だった、ということになるだろう。
で、このベアトの能力の説明は犯人複数説の一助となる。つまり、EPが変わる事に誰が誰に殺されるのか、殺害方法や事故死さえも含めて、全てベアトのコントロール下である。○○は、××には△△の理由で狙われているが、□□には■■の理由で狙われている。ゆえに、EP1では××に殺されたが、EP2では□□に殺された、などは容易に成り立ちうる。そして、碑文の解読であるが、これは解読に成功した者は死なないようにメタベアトが世界の設定をいじっている、と考える。もちろん、科学的に無理の無い範囲、ではあるが。ランダムで起きる現象を起こすか起こさないか、程度の途中介入は許されるだろう。それでも完全人間犯行説は成立しうる。無論、実は碑文の解読と解読者の生死は一切関連性が無い可能性も、現状では否定されえないが。
メタベアト考察からもう一つ見るべきものとして、バトラがベアトに赤字で「そなた(右代宮戦人)の罪により、この島の人間が、大勢死ぬ。誰も逃さぬ、全て死ぬ。」と宣言しているが、一方で「右代宮戦人がもしも六軒島に戻ってこなかったら、事件は起こらなかった」は復唱拒否している。復唱拒否ということは否定されたわけではなく、かつ肯定されたわけでもない。つまり、幾人かの動機には関係しているものの、全く無関係な動機を抱く人も存在するため(少なくとも絵羽はそうだろう)、「バトラが六軒島に戻っておらずとも事件が起きたかは、(メタ)ベアトにすら想定不可能である。よって赤字での復唱が不可能であった。」という推理を立てておく。ただし、では実際にそのバトラの罪とは何であったか、それがどう1986年の連続怪死事件にかかわっているかについては全くの不明である。それを論じるには、現状全く情報が足りていない。伏線の気配すらない。
最後に、赤字は本当に真実なのか?という問題について。これについては竜騎士を信用するしかないわけで、これが裏切られた場合は本気で暴動が起きると思うのだが、唯一これがとても気にかかる。同じことはEP3から気になっていた。なんで句読点や!だけ白い文と、ちゃんと全部赤い文があるんだ?ひょっとして前者は引っ掛けか?これが竜騎士の気まぐれじゃなくて使い分けの意味があるのだとしたら、これでも十分暴動が起きるレベルのような。
Posted by dg_law at 18:26│Comments(0)│