2009年11月12日

四国旅行記 二日目 鳴門〜徳島〜高知

二日目、朝7時頃起床。徳島のローカル番組を見ながら身支度をして、7時半からホテルの朝飯を食べ、8時半出発のバスに乗って鳴門大橋へ。8時50分頃鳴門公園着。ここまで来れば鳴門大橋は目の前。(今ぐぐったら正式には大鳴門橋らしい。まあどうでもいいですね。)

この鳴門大橋だが、当初の予定では瀬戸大橋同様、自動車道と電車の両方を通す予定だったのだが、採算の見込みがとれないとしてJRに断られて、挙句明石大橋の側はそもそも電車の通す構造で造らなかった。これは鳴門大橋の建設が1976年に始まって1985年に終了し、明石大橋の建設が1986年に始まって1998年に終了したことから事情を読み取っていただけるかと思う。要するに、バブルの煽りをもろに受け、予算が立たなかったのだ。しかし、せっかく造ってしまった電車用の空間をなんとか利用できないものかと考えた徳島県は、せめて徒歩や軽車両で淡路島まで渡れるように一応の道を通す予定だったようだが、それも結局鳴門から約500mの地点で留まり、淡路島まで届いてはいない。現在はもっぱら観光用に利用されている。500mの地点からは、渦潮が真下に見られるのだ。

そういういきさつで造られたものなので、てっきり入場料は取られないもんだと思っていたら、きっちり500円取られた。こんな観光資源逃すはずもないか。床は部分的に強化ガラスになっており、高所恐怖症の人間には耐え難い光景が広がっているが、確かに景色は、横を見ても真下を見ても、抜群に良かった。

鳴門のプチ渦潮










一応造ってしまった歩道は現在非常用として閉じられているが、淡路島まで通じてはいるらしい。今Wikipediaを見たら、撮ったものと全く同じ写真があった。やはり、ここの写真は撮りたくなるものなのだろう。↓

淡路島へと続く道(予定)










渦は干潮もしくは満潮時に最も巨大になり、今の時期だと9時50分頃が干潮なので、その1時間前であるこのタイミングはけっこうベターだったはずにもかかわらず、プチ渦潮しか見られなかった。しかし、それでも十分に見ごたえはあった。少なくとも500円払う価値はあったと言える。渦潮に結局30分近く見とれ、9時半頃鳴門大橋を後にして、大塚国際美術館に向かった。


さて、今回の旅行の最大の目的であった大塚国際美術館であるが、さすがにとんでもなく巨大であった。「オロナミンCとカロリーメイトで建てられた」と考えればその財力も納得が行くような気分がしてくるから不思議だ。展示作品は全て陶板で制作されており、西洋の名画が古典古代から現代に至るまで約1,000点再現されている。チョイスとしては特Aクラスの画家の作品を数十点ずつ並べるというタイプではなく、むしろ「こんなの美術史に詳しい人じゃないと喜ばないだろ」というBクラスレベルの画家までの作品を、一人の画家につき1〜5点ずつ程度並べての1,000点である。ゆえに、知ってる人は知ってて喜ぶけど、とりあえず美術の教科書程度の知識はある、という人が行っても意外と楽しめないかもしれない、とは思った。

たとえば、ルネサンス期ならばジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ(《東方三博士礼拝》)、アンブロージョ・ロレンツェッティ(《善政の寓意(シエーナ市庁舎)》)、ジャン・フーケ(《聖母子》)、アルトドルファー、カルロ・クリヴェッリ、ルカ・シニョレッリなど。名前だけでわくわく来るメンバーである。ヨアヒム・パティニールの《カロンのいる風景》を入れてきたあたりはさすがである。古典古代なら青柳正規先生など、そうそうたるメンバーが監修していたのだから、「さすが」というのも失礼な話だけれど、意義を理解して発注を受け入れた大塚美術館の職員に向けられるべき賞賛かもしれない。

他にバロック期ならばサルヴァトール・ローザ、ピーテル・デ・ホーホ、ホッベマ、ヨルダーンス、ヤン・ステーン、ダーフィト・テニールス、ジュリオ・ロマーノなど。ロココでは若作りの天才ヴィジェ・ルブラン、ヴェネツィア景観画で有名なカナレットがいる。ロマン派ではライト・オブ・ダービー、我らがC.D.フリードリヒ、ルンゲ、オーバーベック(ナザレ派)、そしてハドソン・リヴァー派までいたのには驚いた。ナザレ派やハドソン・リヴァー派など、日本での知名度は皆無に近いのではないかと思う。なんとロシア人画家の作品まで4点存在し、それらはアイヴァソフスキーのロマン主義的風景画、レーピンの《ヴォルガの船曳》、レヴィタンの《静かな修道院》、そしてクラムスコイの《忘れえぬ女》である。

印象派ではジョン・シンガー・サージェントがいたのが興味深い。見当たらなかったが、後からパンフを見る限りベルト・モリゾもいたようだ。メアリー・カサットもいたらしい。これも見過ごしていたがラファエロ前派のアルマ=タデマ、ワッツ、ウォーターハウスもいたようだ。実は旅行の日程の都合上3時間半ほどで見なければならず、印象派に入ったところで3時間を使っていたためかなりすっ飛ばし気味に見ていったためである。これはもう一度行く必要があるだろう。ブーグロー、カバネル、ホドラー、セガンティーニ、マックス・リーバーマン、ルドン、ドニ、エゴン・シーレ、ベックリーン、シュトゥックといった面々もいた。

ここで3時間半を使い果たしたためほぼ完全に見られなかった現代画家のゾーンだが、パンフを見るとユトリロ、ルオー、ローランサン、ブラック、クレーなどドイツ表現主義の主だった面々、マレーヴィチ、キリコ、イヴ・クライン、ラウシェンバーグ、マーク・ロスコなどがいたようなので、要するにこちらも充実していたのだろう。あまり興味が無い現代美術ではあるが、こういったコンセプトの美術館で見られないとなるとやはり惜しい。


逆に、いるべき知名度としては誰が省かれたのかを考えてみるとけっこうおもしろい。まず、ルネサンスではピサネロがいなかった気がする。バロックでは、「花のヤン」のほうのヤン・ブリューゲルがいなかった。ロココでは、ティエポロはいたものの彼の本領を発揮できるフレスコ画ではなかったために威力半減である。将来的にはぜひ製造して欲しいところである。フランスの新古典主義からグロ、これは意外な人が省かれている。あと、ヴラマンクがいなかった。DiL曰く「ヴラマンクがいなかったのは大きな失点と言いうるかも」。無論、これらの要求というのは過度なものであり、大塚国際美術館が現状でも十分コンセプトにのっとった優れた美術館であるということは言うまでも無いことである。

ここまでずらっと画家の名前を挙げてきたが、やはりこの美術館で最も優れていたのは動かせないフレスコ画や教会の再現である。カンバス画と違い、これらは本来現地に赴かなければ絶対に見られないものの類である。なかでも最大の目玉はやはりシスティーナ礼拝堂であろう。しかし陶板を見ると「やはり将来行かねばなるまい」という気分にさせられるから困る。

システィーナ礼拝堂@大塚国際美術館










他にもこういう再現系としてはジョットのスクロヴェーニ礼拝堂、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロが所有していて今はウルビーノのパラッツォ・ドゥカーレにあるストゥディオーロ(書斎)、ゴヤの黒い家、モネの大睡蓮などがある。


せかされるように大塚国際美術館を出て、バスで徳島駅へ。けっこうギリギリな乗り換えの中で買った昼飯は阿波尾鶏の駅弁。これは思ってた以上にうまかった。徳島線に乗ったが、この特急剣山がアンパンマン列車であった。

アンパンマン列車










乗車中はずっとアンパンマンの各種主題歌&キャラソン(?)が流され続けており、懐かしいなとか知らないキャラだとか言う話で盛り上がった。やなせたかしが高知県出身なので大いにフィーチャーしているところへ、他の四国三県も乗っかっている形らしい。それにしてもなぜ徳島線で?とは思うが。徳島線でどんどん山の奥へ向かい、阿波池田からは土讃線の特急南風に乗る。『秘境駅』を買った理由でもある路線だが、確かに超ド田舎で景色がすばらしかった。しかし、例によって車窓からの風景は撮影が難しく(ry。

しかし、かなり高知駅が近くなってきてもまだまだずっと山の中なので、一体どれだけ狭いんだ高知平野、と4人でぼやいていた。結局、特急で高知の二つ前の駅、時間にして15分ほどの土佐山田までずっと山の中であった。なんだかんで18時頃に高知駅に到着すると、まずホテルで荷物を降ろし、再びるるぶを紐解いて高知市内の鰹のうまそうな店を探す。これも高松のうどん同様どこに行っても存在していたわけだが、一応鰹以外も食べたいということで、いろいろ食べられそうな「司」に入った。

ウツボも鯨もクエも食べたが、ウツボはぶっちゃけて言えば鶏肉であったし、クエは意外と普通の白身魚という感じがした。しかし、確かに鯨は意外とうまかったと言わざるをえない。鯨ベーコンのイメージは捨てよう、そうしよう。kome曰く「捕鯨反対とかふざけてんの?これはどんどん捕るべき」と、まるで無関心だった捕鯨問題に言及しだし、店に入る前とは90度ほど意見が変わっていた。鰹は言うまでもなく絶品であった。人生でけっこう鰹は食べてきているが、タタキに限れば人生で一番おいしい鰹を食べたと思う。あとはどろめ(鰹の心臓)やらちちこやら沖ニロギやらちゃんばら貝といった珍品を端から食べていき、最後に焼鯖の姿寿司を食べて終了。日本酒はもちろん司牡丹と酔鯨。値段はえらいことになったが、見なかったことにした。料理のデジカメでの撮影を忘れたのだけが悔やまれる。

ホテルに帰り、この日は大貧民で盛り上がった。同じように日付が変わった頃に就寝。三日目はここから本土に帰るだけの日である。