2010年01月26日

第155回『マキアヴェッリ語録』塩野七生著、新潮文庫

本書はマキャベリの著作の要約でも解説でもない。あくまで「抜粋」である。この形態をとった理由に関しては、著者が序文で比較的長めに説明している。その理由について、本書の要約となるとどうしてもマキャベリの文章を改変することになるが、できる限り生の文章を提供したかったから。また、本書に列挙されている具体例の解説をしだすとどうしても16世紀のイタリア史の細かな知識が必要になり、煩雑になること。古典が敬遠されがちなのは膨大な「註」がついているからではないか、ということ。なお、『君主論』については森鴎外も「文章紆曲にして証例冗漫」と評していることが紹介されている。そして、研究史や評価史を省いたのもマキャベリと直接対話をしてほしかったから、だそうだ。

正直な話をすると、まあ今までの塩野七生の著作やその他の歴史関係の本でマキャベリの思想自体は大体知っていたが、この序文は価値があった。塩野七生はしばしば序文にこういった「読者に」というものをつけるが、これ自体がうまい具合に文章全体における前菜となっており、どういった意図をもって読んでほしいのかを明確に示されるため、自然とこちらも読書態度を構えやすくなる。だが、本書の場合は極端なことを言えば塩野七生本人の文章はここだけなのだ。自然、アンティパストが最も予測のつかない味であり、滋味となるだろう。

しかし、抜粋という形式がそこまで正解だったとは思えない。「普遍化できるからこその思想」とは言うが、マキャベリの箴言には決して普遍化しえず、冷徹・現実主義的というよりは性悪説の立場にたったに過ぎないものも多い。臨機応変と書くか、そんな逃げが嫌なら場合わけするしかないだろうというような状況を設定した場合、常に彼は極端でかつ高圧的な態度の一択を勧めがちである。だが、それがより悪い状況を招くなんて例はいくらでもある。

しかしそれはマキャベリにもわかっていることで、だからこそマキャベリは自分の説を補強ないし擁護するための説明や例示を尽くしたのだ。ゆえに、何も知らない人、特に塩野七生著作に慣れてない人、マキャベリ入門書のつもりで読んだ人には、思わぬ誤解を与えてしまっている可能性がある。その意味で、抜粋はどうだったのかなぁと、読み終わってから思った。


マキアヴェッリ語録 (新潮文庫)マキアヴェッリ語録 (新潮文庫)
著者:塩野 七生
販売元:新潮社
発売日:1992-11
おすすめ度:4.5
クチコミを見る


この記事へのトラックバックURL