2010年03月20日
朝青龍引退によせて
これをいつ書くべきかは迷っていたが、もはや春場所中のこのタイミングでしかあるまい。
朝青龍という力士の物語は,ほとんど私のブログ上での「観戦」時期と重なる。そのため非常に思い出深い力士であり,これが私の大学卒業と重なったこと,また彼が横綱に昇進した平成15年3月というのは私の人生をかけた大勝負である大学受験の始まった年であり,運命的なものさえ感じる。ちなみに,私の駒場時代にあたる12場所で,朝青龍は7連覇を含んで10場所優勝している。
朝青龍の取り口と言えば昔の吉野家のごとく三拍子そろっていて「早い,うまい,強い」であった。彼の特性といえばまず圧倒的に早く,相手のとまどっている間に朝青龍の技が決まっていた。絶対的な運動神経,反射神経をほこり,かつそれについていけるだけの筋肉があった。そして,かつ彼は圧倒的な技巧派であった。横綱にして技のデパートであり,変幻自在にとることができた。ゆえに「寄り切り」が多いという一見オーソドックスな勝ち方に見えるが,その実その寄り切りは多様であり,しかもがっぷり組まずに最後だけ捕まえて寄ってしまう,という珍しい動きをした。寄れないと見るやすぐに投げに移行する,しかも左の下手を基本としつつも左上手,右上手/下手,どこからでも投げられるという器用さがあった。対戦相手からすれば,どこから・いつ技が飛んでくるかわからないので,恐怖以外何者でもなかったであろう。なかでも特筆すべきは巻き替えの早さで,歴代の横綱の中でも比類無き「腕」の持ち主であった。平成22年名古屋場所で見せてくれた白鵬との巻き替え合戦は,もう二度と見られないほどの高レベルなものであった。
このような取り口ゆえに,「相手にあわせつつもかつ相撲をとらせず,圧倒的に勝つ」という横綱相撲とはほど遠い取り口になったという点についてしばしば批判を浴びるところではあったが,素行の点はおいておくとしても,これに関しては全く批判されるべきところではなく,むしろ新しい横綱像として賞賛されるべきであるということは,本ブログの読者であれば賛同していただけるのではないかと思う。
しかし,このような型がいつ頃完成したかといえば,大関在位の間ではなく,実は横綱に昇進して一年ほどだったのではないかと思う。見ていてそう思ったというのはある。特に関脇・大関の頃は,一時期の安馬のごとき軽さで,「早い」か「うまい」のみであり,どこか自信がなく,あせってさっくり負けたり,単純な力負けを喫することもしばしさ見られた。正直な話,彼が大関に昇進できたのは時期が良かったからであり,貴乃花や武蔵丸の身体がもう少しもてば,あのような大躍進は見られなかったであろう。運も実力の内であるとするならば,まさに彼は強かった。
大関在位わずか三場所通過もかなり運に助けられたところが見られるし,一年目の成績は優勝3/6で連覇なしと,後の大横綱にしてはぱっとしない。平成13〜15年の3年間では栃東と11回対戦しているが5−6で負け越し。魁皇にも12回対戦で5−7で負け越し。琴光喜にも15戦で9−6であり,取りこぼしのなさと勝負勘が特徴らしい特徴と言えた。特に栃東との激闘は多く,朝青龍の横綱前半のライバルが栃東,後半のライバルは白鵬,という印象がある。
やはり彼の型の完成期は平成16年の前半であり,その全盛期は17年初〜19年の前半頃であったと言える(19年7月場所後に,例のサッカー事件)。ただし,17年の後半から稽古のサボり癖がつき始め,周囲に思われていたよりも早く衰えていったのがもったいなかった。18年の一年間というのは白鵬がめきめきと伸びていった時期でもあり,思わぬライバル出現で寿命が伸びたと見るべきか縮んだと見るべきかは判断が難しい。張り差しが増えていったのも全盛期後半の時期であり,これは稽古不足の結果と言えるかもしれない。妙なオピニオンリーダー的なところがあったのか張り差しが大流行し,立ち合いが乱れて素行とは別に相撲協会をやきもきさせたところもあった。
平成20年以降は順調に衰えつつも,やや豪快な相撲ぶりがなりを潜め,型を変えつつあるところが見えた。それが功を奏したときもあれば,豪快な相撲を復活させた場所もあり,なんだかんだと引退直前13場所で優勝4度は,すでに最強とは言えなくも,普通の横綱としては十分に立派な成績である。現役を続けていればもう2回は優勝できたし,白鵬や琴欧洲,日馬富士との名勝負も生まれたことだろう。半ば自業自得とはいえ,土俵外の騒動で引退したことが本当に惜しまれる。しかし,それもまた朝青龍らしい最後ではあった。
朝青龍という力士の物語は,ほとんど私のブログ上での「観戦」時期と重なる。そのため非常に思い出深い力士であり,これが私の大学卒業と重なったこと,また彼が横綱に昇進した平成15年3月というのは私の人生をかけた大勝負である大学受験の始まった年であり,運命的なものさえ感じる。ちなみに,私の駒場時代にあたる12場所で,朝青龍は7連覇を含んで10場所優勝している。
朝青龍の取り口と言えば昔の吉野家のごとく三拍子そろっていて「早い,うまい,強い」であった。彼の特性といえばまず圧倒的に早く,相手のとまどっている間に朝青龍の技が決まっていた。絶対的な運動神経,反射神経をほこり,かつそれについていけるだけの筋肉があった。そして,かつ彼は圧倒的な技巧派であった。横綱にして技のデパートであり,変幻自在にとることができた。ゆえに「寄り切り」が多いという一見オーソドックスな勝ち方に見えるが,その実その寄り切りは多様であり,しかもがっぷり組まずに最後だけ捕まえて寄ってしまう,という珍しい動きをした。寄れないと見るやすぐに投げに移行する,しかも左の下手を基本としつつも左上手,右上手/下手,どこからでも投げられるという器用さがあった。対戦相手からすれば,どこから・いつ技が飛んでくるかわからないので,恐怖以外何者でもなかったであろう。なかでも特筆すべきは巻き替えの早さで,歴代の横綱の中でも比類無き「腕」の持ち主であった。平成22年名古屋場所で見せてくれた白鵬との巻き替え合戦は,もう二度と見られないほどの高レベルなものであった。
このような取り口ゆえに,「相手にあわせつつもかつ相撲をとらせず,圧倒的に勝つ」という横綱相撲とはほど遠い取り口になったという点についてしばしば批判を浴びるところではあったが,素行の点はおいておくとしても,これに関しては全く批判されるべきところではなく,むしろ新しい横綱像として賞賛されるべきであるということは,本ブログの読者であれば賛同していただけるのではないかと思う。
しかし,このような型がいつ頃完成したかといえば,大関在位の間ではなく,実は横綱に昇進して一年ほどだったのではないかと思う。見ていてそう思ったというのはある。特に関脇・大関の頃は,一時期の安馬のごとき軽さで,「早い」か「うまい」のみであり,どこか自信がなく,あせってさっくり負けたり,単純な力負けを喫することもしばしさ見られた。正直な話,彼が大関に昇進できたのは時期が良かったからであり,貴乃花や武蔵丸の身体がもう少しもてば,あのような大躍進は見られなかったであろう。運も実力の内であるとするならば,まさに彼は強かった。
大関在位わずか三場所通過もかなり運に助けられたところが見られるし,一年目の成績は優勝3/6で連覇なしと,後の大横綱にしてはぱっとしない。平成13〜15年の3年間では栃東と11回対戦しているが5−6で負け越し。魁皇にも12回対戦で5−7で負け越し。琴光喜にも15戦で9−6であり,取りこぼしのなさと勝負勘が特徴らしい特徴と言えた。特に栃東との激闘は多く,朝青龍の横綱前半のライバルが栃東,後半のライバルは白鵬,という印象がある。
やはり彼の型の完成期は平成16年の前半であり,その全盛期は17年初〜19年の前半頃であったと言える(19年7月場所後に,例のサッカー事件)。ただし,17年の後半から稽古のサボり癖がつき始め,周囲に思われていたよりも早く衰えていったのがもったいなかった。18年の一年間というのは白鵬がめきめきと伸びていった時期でもあり,思わぬライバル出現で寿命が伸びたと見るべきか縮んだと見るべきかは判断が難しい。張り差しが増えていったのも全盛期後半の時期であり,これは稽古不足の結果と言えるかもしれない。妙なオピニオンリーダー的なところがあったのか張り差しが大流行し,立ち合いが乱れて素行とは別に相撲協会をやきもきさせたところもあった。
平成20年以降は順調に衰えつつも,やや豪快な相撲ぶりがなりを潜め,型を変えつつあるところが見えた。それが功を奏したときもあれば,豪快な相撲を復活させた場所もあり,なんだかんだと引退直前13場所で優勝4度は,すでに最強とは言えなくも,普通の横綱としては十分に立派な成績である。現役を続けていればもう2回は優勝できたし,白鵬や琴欧洲,日馬富士との名勝負も生まれたことだろう。半ば自業自得とはいえ,土俵外の騒動で引退したことが本当に惜しまれる。しかし,それもまた朝青龍らしい最後ではあった。
Posted by dg_law at 12:00│Comments(0)