2010年02月28日
曜変天目茶碗見に行ってきた
静嘉堂文庫美術館が2年ぶりに曜変天目茶碗と、九十九(付藻)茄子を公開するといういうので、これは這ってでも行かねばなるまいと思い、二子玉川まで行ってきた。前回の展覧会は見事に見逃し、さらにその前は5年前ということで、両方とも見るのは今回が初めてであり、また静嘉堂まで行ったのも初めてである。静嘉堂文庫は三菱の創業者岩崎家が所有した漢文の古典を一般に公開するために建てられたもので、美術館も岩崎家所有の東洋美術品を公開するために後付で建てられた。
お目当ての品のうち付藻茄子は紹鴎(松本)茄子と一緒に入ったところに鎮座していた。茄子とはなすび形の茶入のこと。付藻茄子はお茶に興味がある人ならず、戦国時代マニアで知らなければモグリと言えるだろう逸品だろう。付藻茄子は別名松永茄子とも言う通り、松永久秀が所有しており、本来ならばお家取り潰しのところを付藻茄子を信長に献上して所領を安堵された。その後、本能寺の変、大阪夏の陣と戦災に遭い続け、粉砕されるところまでいったがその都度修復されてよみがえり、足利義政→村田珠光→松永久秀→信長→秀吉→秀頼→家康と受け継がれた、戦国時代をかけぬけた不死身の茶道具でもある。X線照射で見ると、バリバリに割れた様子を透視することができる。しかも、夏の陣の破砕の際の修復は、釉薬によるものではなく漆の重ね塗りであったことも判明している。確かに、陶器であることを忘れそうな滑らかさであった。いや、冷静に考えると陶器を漆器化するって発想が正気の沙汰じゃないような。言われるまで純粋な陶器だと思ってた。
松本茄子もその由緒では負けていない。その名の通り、日本茶道の開祖村田珠光の弟子であった松本珠報が手に入れ、さらにその弟子である武野紹鴎の所有するところとなった。そこからは付藻茄子と大体同じような経緯を辿り、信長→秀吉→秀頼→家康と受け継がれた。こちらもやはり何度か戦災に遭っており、特に大阪夏の陣で灰燼に帰しかけたところを漆塗りで修復された点は付藻茄子と共通するため、X線で見るとよく修復したなと思えるくらいひび割れている点も同じである。その後岩崎家の手に渡った点でも全く同じ。
曜変天目はさらに、なんかもういろいろと、とんでもなかった。じっと見ているだけで黒・紫・青・銀とゆらゆらゆらめいて色彩を変えた。原理は知っていてもやはり不気味で、他の色が変わる材質を知っていてもなお、恐ろしく神秘的であった。閉館1時間半前に入って、1時間ほどで全部見終わったが、そこから結局閉館までずっと単眼鏡で眺めていた。
曜変天目は中国の建窯で南宋の時代に生産されたが、なにせ偶然の産物なので極少数しか生産されなかった。現在では世界で三点しか残っていない。そのいずれもが日本にあるが(三点とも国宝)、最も優美で保存状態も良好なのが静嘉堂のものとされている。残り二点は両方とも関西であるため、東京で見たければ静嘉堂へ行くしかない。それもその三点ともに常設展でないため、本当に数年に一度しか見ることができない。今回はかなり貴重な機会だったと言えよう。
ではなぜこのような発色をするのかと言えば建窯の土の成分による、と化学的に解明はされているが、完全な再現はいまだなされていない(相当近いものは最近作れるようになった)。当時誰がどうやって作ったのか、なぜ製造方法が受け継がれず、南宋で途絶えたのか等の難問は、美術史学的にも解明されていない。そもそもこれだけキチガイじみて茶道具に思い入れがあるのは日本人くらいなので、研究が進んでないという事情もあるのだろうけど。
さて、他の物もかなりすばらしい茶器が展示されていたが、切りが無さそうな気がするので、二点だけ触れておく。まず、油滴天目茶碗。天目茶碗としては曜変の次に格が高い種類のものである……が、意外と数が多いので希少性という点ではかなり下がる。東博なんかだと常設展になっている時期もある。しかし、神秘的な外観という点ではこちらもなかなか負けておらず、名前の通り、黒一色の釉薬の海に銀色の斑点が飛び散っている。その滑らかな輝きは、確かに油の飛沫のように見える。これはこれで大好きな一品だ。
仁清焼の壺も良かった。黒釉がこれだけべっとりと用いられた仁清も珍しいが、これが不思議といつもの「吉野山」の紅色の図柄とあっていて、シックな雰囲気が漂っている。金泥も多めに舞っているので、漆器のような様相もなくもない、おもしろい作品。
お目当ての品のうち付藻茄子は紹鴎(松本)茄子と一緒に入ったところに鎮座していた。茄子とはなすび形の茶入のこと。付藻茄子はお茶に興味がある人ならず、戦国時代マニアで知らなければモグリと言えるだろう逸品だろう。付藻茄子は別名松永茄子とも言う通り、松永久秀が所有しており、本来ならばお家取り潰しのところを付藻茄子を信長に献上して所領を安堵された。その後、本能寺の変、大阪夏の陣と戦災に遭い続け、粉砕されるところまでいったがその都度修復されてよみがえり、足利義政→村田珠光→松永久秀→信長→秀吉→秀頼→家康と受け継がれた、戦国時代をかけぬけた不死身の茶道具でもある。X線照射で見ると、バリバリに割れた様子を透視することができる。しかも、夏の陣の破砕の際の修復は、釉薬によるものではなく漆の重ね塗りであったことも判明している。確かに、陶器であることを忘れそうな滑らかさであった。いや、冷静に考えると陶器を漆器化するって発想が正気の沙汰じゃないような。言われるまで純粋な陶器だと思ってた。
松本茄子もその由緒では負けていない。その名の通り、日本茶道の開祖村田珠光の弟子であった松本珠報が手に入れ、さらにその弟子である武野紹鴎の所有するところとなった。そこからは付藻茄子と大体同じような経緯を辿り、信長→秀吉→秀頼→家康と受け継がれた。こちらもやはり何度か戦災に遭っており、特に大阪夏の陣で灰燼に帰しかけたところを漆塗りで修復された点は付藻茄子と共通するため、X線で見るとよく修復したなと思えるくらいひび割れている点も同じである。その後岩崎家の手に渡った点でも全く同じ。
曜変天目はさらに、なんかもういろいろと、とんでもなかった。じっと見ているだけで黒・紫・青・銀とゆらゆらゆらめいて色彩を変えた。原理は知っていてもやはり不気味で、他の色が変わる材質を知っていてもなお、恐ろしく神秘的であった。閉館1時間半前に入って、1時間ほどで全部見終わったが、そこから結局閉館までずっと単眼鏡で眺めていた。
曜変天目は中国の建窯で南宋の時代に生産されたが、なにせ偶然の産物なので極少数しか生産されなかった。現在では世界で三点しか残っていない。そのいずれもが日本にあるが(三点とも国宝)、最も優美で保存状態も良好なのが静嘉堂のものとされている。残り二点は両方とも関西であるため、東京で見たければ静嘉堂へ行くしかない。それもその三点ともに常設展でないため、本当に数年に一度しか見ることができない。今回はかなり貴重な機会だったと言えよう。
ではなぜこのような発色をするのかと言えば建窯の土の成分による、と化学的に解明はされているが、完全な再現はいまだなされていない(相当近いものは最近作れるようになった)。当時誰がどうやって作ったのか、なぜ製造方法が受け継がれず、南宋で途絶えたのか等の難問は、美術史学的にも解明されていない。そもそもこれだけキチガイじみて茶道具に思い入れがあるのは日本人くらいなので、研究が進んでないという事情もあるのだろうけど。
さて、他の物もかなりすばらしい茶器が展示されていたが、切りが無さそうな気がするので、二点だけ触れておく。まず、油滴天目茶碗。天目茶碗としては曜変の次に格が高い種類のものである……が、意外と数が多いので希少性という点ではかなり下がる。東博なんかだと常設展になっている時期もある。しかし、神秘的な外観という点ではこちらもなかなか負けておらず、名前の通り、黒一色の釉薬の海に銀色の斑点が飛び散っている。その滑らかな輝きは、確かに油の飛沫のように見える。これはこれで大好きな一品だ。
仁清焼の壺も良かった。黒釉がこれだけべっとりと用いられた仁清も珍しいが、これが不思議といつもの「吉野山」の紅色の図柄とあっていて、シックな雰囲気が漂っている。金泥も多めに舞っているので、漆器のような様相もなくもない、おもしろい作品。
Posted by dg_law at 21:40│Comments(0)│