2010年04月06日

モンゴル展、是か非か

江戸東京博物館の「チンギス・ハーン モンゴルの至宝展」に行ってきた。これに対してダライ・ラマ14世が遺憾の意を表明していたので、そういう意味でも気になって行ったのだが、思ったほど偏向してもいなかったような気がする。「中国政府は、日本国民を欺き、中国政府がチベット文化とモンゴル文化の善意の保護者であると信じさせようとしてい」るのが問題らしいのだが、ダライ・ラマはそもそも日本において、それほど遊牧民の文化自体の知名度が全く高くなく、理解されていないということを知っておくべきだ。いかにチベットやモンゴルの文化が迫害・捏造されていようとも、日本人がそれを知る権利が阻害される理由はなく、また知らなければ反対運動もとれない。今回の展示に関して言えば、偏向するならもっと基礎的な部分で捏造するだろう。


だが、気にならない場面がなかったわけではない。

・キャプションに誤字の修正の後が通常ではありえないほど多い。慣れていない人、つまり中国から来た学芸員か、日本人だが逆にモンゴル史に詳しくない人がやったか。後者だとは思われるが。

・歴史的用語の表記が一部不統一である。特に人名。それもフビライ・クビライといったレベルである。もう一つ例を挙げれば、オゴタイ・ウゴタイなど。「オゴデイ」という発音ならまだわかるが(これが最もモンゴル語に近い)、ウゴタイに変化してしまうのはペルシア語発音であり、今回の展示と脈絡がない。フラグ・フレグも同様。

・説明が難解で、けっして初学者向けの展示ではない。そもそも最も多いであろう「遊牧民?何それ?」という層に対して、高校世界史を最低限とする説明はいかがなものだろうか。…

・不自然なまでに隋唐についてスルーしている。ただし、鮮卑から北魏が誕生したことは紹介され、北魏が浸透王朝であることは説明されている。にもかかわらず、北魏から隋唐王朝が誕生したことはまったく説明されていない。北魏を「モンゴル高原の文化と中原の文化を融合させた」と説明しているかたわら、その後継の唐の特徴は触れられていない。しかも、あるキャプションでは唐の説明なしにいきなり契丹が登場するので、非常にわかりにくいことになっている。

・柔然の展示がない。匈奴、鮮卑、突厥、契丹の展示はあるにもかかわらず、である。隋唐同様、北魏の周囲には触れてはいけないタブーでもあるのだろうか。

・突厥やウイグル、キルギスがトルコ系であるという点はあまり強調されていない。イラン系の遊牧民にいたってはほとんどいなかったことになっている。まるで、モンゴル高原にはモンゴル系しかいなかったかのようである。


最後に、今回の展示は、遊牧民というのはどれもこれも同じではなく、民族ごと・部族ごとによって大きく習俗が異なるものであり、農耕民同様多様性に富んだ多民族の文化である、ということが十分強調されていた。精巧な金銀細工も展示され、ぱっと周囲の入場客を見渡しただけでも、けっこうなカルチャーショックを与えていたようであった。日本人における遊牧民への理解が増せばそれは非常にすばらしいことではないかと思う。

また、今回は中国・内モンゴル自治区からの出土物のみの展示であり、その点も十分に強調されていた。内モンゴルは古代から漢民族と北方遊牧民係争の地であり、現在の自治区域南端はほぼ明代の万里の長城の遺跡に接する。技術の発展により農耕が広く可能となったため、清の時代に漢民族の入植が進み、現代では住民の8割以上が漢民族である。ゆえに新疆やチベットのような独立・自治強化の要求は強くない。

確かに、かかる状況にもかかわらず過度に遊牧民の故地であったことを強調する今回の展示は確かに文化の収奪と言えなくもないが、かと言ってこれ以外に内モンゴルの観光資源は乏しいのもまた事実であり、そもそも過去の歴史の産物である出土品を活用して何が悪いという話でもある。敏感にならなければならない話題ではあるが、今は純粋に内モンゴルについての知識を増やすのが良いだろう。