2010年04月21日

ギヨーム・フランソワ・ブラングィン

西美の(ウィリアム・)フランク・ブラングィン展を見てきた。誰?という人が多いと思うが、私も無論知らなかった画家である。イギリス人だがベルギー生まれで、フランスで先に評価されたために、今ひとつ国籍のあやふやな人である。フランス語読みしたものがこの記事のタイトル。


知名度の低さは仕方がない、と展覧会を見終わって思えた。理由は大きく三つ。まずはその画風である。どの勢力にも属していない。そういう意味では、19世紀末から戦間期にわたる、ポスト印象派からボナール、フォヴィスム、キュビスム、抽象表現主義と多種多様な流派が跋扈していた時代らしい画家ではある。しかし、ブラングィンはそれだけ派閥があってなお、どれにも属さない。だから研究しにくく、研究者がつかなければ展覧会も開催されにくく、埋もれていったのではないか。

二つ目に、代表作の多くが焼けていることが原因である。本展覧会はそもそも西美50周年記念の一環であり、ブラングィンは渡欧中の松方幸次郎と仲が良く、松方の美術館の設計も任されたほどだった。これは松方がブラングィンの画風を気にいっていたというのもあるが、それ以上に松方は川崎造船所の社長、ブラングィンは若い頃生活の糧のために船乗りをやっており、画家になってからもしばしば船の絵を描いている、という共通点があった。実際彼らの話は船の話題で大いに盛り上がっていたらしい。松方はブラングィン最大のパトロンであり、その代表作はロンドンに保管されていた。松方のコレクションの半分はパリ、ロンドンに保管されていたためである。このうち、パリのものは生き残って二次大戦後、西美を作るという条件で日本に返還された。しかし、ロンドンのものは39年に火災に遭うという不幸に見舞われ(二次大戦とは関係の無い出火だった模様)、結果、ブラングィンの代表作のほとんども灰と化した。これも研究や展覧会が進まなかった大きな理由である。

そして三つ目として、そもそもそこまでうまい画家でもないなという印象を持った。誤解の無いように言っておくが、これは美術館に飾られないというクオリティという意味ではない。ただ、どれだけ研究が進んだところで、一流の画家として名を馳せるだけだけの特徴があるかと言われると疑問である。あえて言えば自然主義の遺風を残しつつ、ポスト印象派やボナールの影響もあり、ヴラマンクに近いところもあるような感じで、確かにどの流派にも属さないのだがとてもどこかで見たことがあるような画風になっている。そもそもブラングィンという画家は本職が装飾で、ウィリアム・モリスに弟子入りしていたこともあった。それこそ、松方幸次郎に美術館の設計を任されていた。油彩画も描いた、というだけのことなのだ。この辺の事情も、研究が今ひとつ進んでこなかった事情ではないかと推測する。

常設展にも足を運んだが、本年度の新収蔵品お披露目はまだのようだ。というか、そもそもあるのかどうかも知らないのだが。ちなみに、今回金券(無料券)で入ったが、研究室から卒業の餞別としていただいたもので、次回からはいよいよ一般となる。



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