2010年06月04日

カスパー・ダーフィト・フリードリヒについて(2):脇道、崇高概念について

予定通り(4)で終わらない目処が立ったので、修正しておく。案の定画業遍歴が長くなったのと、ここでついでに作品紹介をしたほうが簡潔でよいということに気付いたので、構成を以下のように変える。

5部作で、(1)思想形成、(2)崇高議論について、(3)人生と画業の遍歴・前編(4)画業遍歴・後編 (5)評価史と周辺の画家

さて、(2)は先に脇道にそれた、美術史ではない美学的な話を処理しておくことにする。脇道ではあるが、重要な話である。フリードリヒ等という画家にしか焦点の当たっていない話よりも、一般性があって重要な話かもしれない。


前回、フリードリヒの思想形成を追う過程で、彼は汎神論から自然崇敬へと導かれた、という点を思いっきり省略した。省略したのは、むしろ詳しく書く必要があったからである。この思考過程は我々現代の日本人からすれば特に不思議ではない道筋ではあるが、一方で、18世紀末のヨーロッパにおいては比較的新しい発想であった。そしてこの点を考察すると、ヨーロッパの思想史と崇高という概念に深く切り込むことになるため、別枠で説明する必要が生じるわけである。


さて、その18世紀末から少なくともその50年ほど前までのヨーロッパでは、風景画はランクの低いジャンルであった。さらに言えば、風景そのものが美しいものではないと考えられていた。それを覆したのは、イギリスの美学である。この辺りの事情は『暗い山と栄光の山』に非常に詳しい。17世紀以降の風景画をやろうとしている人間にとっては必読書にあたるはずだが、知名度がそれほど高い研究書ではないのが残念である。

このイギリス美学の過程で誕生した概念が「崇高」である。これについても『崇高の美学』という良著がある。しかし、当時において崇高という言葉はすでに流布されていたものの、その定義は一定ではなかった。これが後世の学者を大いに混乱させているのだが、整理しておく。イギリス発の崇高概念のまとめ役は、保守派の巨魁・政治学者でもあったエドマンド・バークである。彼は、「小さく」「整った」「かわいい」「直接的に快に結びつく」ものが美であるという定義に対し、「巨大で」「荒々しく」「一見では苦痛」でしかないが、それを乗り越えた結果「大いなる歓喜」が与えられるもの、これが崇高なるものであると定義した。ただし、バークの議論は非常に大雑把で基礎的な段階に留まっていることは指摘されうるだろう。それゆえに逆に、バークの崇高定義は以後の議論において延々と援用され、たたき台となることができたとも言える。


これがドイツの哲学者たちの話題となった。とりわけ、崇高美学に取り組んだ有名な哲学者がイマニュエル・カントその人である。カントは基本的な部分でバークの簡明な定義を受け継いでいる。しかし、カントはそこにやたらめったら難解な論考を加えた。これはすなわち、カントの本職とは実のところ哲学ではなく、倫理学であったからである。私の昔のブックレビューから引用しておく。

“カントの目指していたところは超感性的な道徳規範を、感性的な領域まで引き摺り下ろすという、現代学問で言えば倫理学の領域に当たる作業であり、それは『実践理性批判』ですでに達成されたかのように見えるからだ。にもかかわらずカントが『判断力批判』を上梓したのは、彼が「美とは道徳の象徴である」という、プラトン的な考えを持っていたからであり、『実践理性批判』を認識論の面から補足する必要性を感じたからだ。ゆえに、後世『判断力批判』が哲学や倫理学とは独立した「美学」という一大学問の基礎になるとは、カント自身は全く考えてもいなかったことだろう。”(『美と崇高の彼方へ −カント『判断力批判』をめぐって−』の書評より

カント美学の優れた点であり欠点でもあるのは、崇高を理性と結びつけた点にある。つまり、美なるものとは悟性と感性で受容されるものと定義した上で、崇高なるものは感性を破壊し(この時に苦痛が生じる)、代わりに理性で受容されるもの(この時に歓喜が生じる)、と再定義した。このややこしい論考は「崇高なるものほど強い影響力を持ったものが人間の理性と結びついていないはずがない」という結論の側から議論が始まっており、冷静に読解すると若干苦しいことがわかる。しかし、その割には「カントの美学は哲学と倫理学を結びつけるためのもの」であるという裏事情を知っている人間以外は、見事にだまし通せている。まあ、現代に至るまでだまし通せているせいで、カント以外の崇高論者の知名度が著しく低いわけだが、それはまた別のお話。

(余談。はっきり言って、この表のカントの思考回路全貌と、いかにして裏事情が発見されうるかという点についてはやりだすと非常に難解であるので、興味がわいた方は各自自分で調べてみて欲しい。ここに挙げている2冊はともに役立つはずである。他には小田部胤久『象徴の美学』を挙げておく。さらに言えば、まずカントは芸術を「美的技術」と定義しているため、崇高なるものはそもそも芸術作品ではない。現代人の感覚からするとむちゃくちゃだが、ここをあげつらっても仕方あるまい。いずれにせよ、カントは異常な理性信奉者であり、啓蒙思想の最後を飾るにふさわしい人間であった。)


この崇高論に反旗を翻した人々は多いが、中でも有名なのはシラーである。シラーはカントの崇高概念から再び理性を取り除いたが、代わりに崇高の「一度苦痛が訪れる(ほどの巨大さ・荒々しさ)」という点を強調し、崇高を「悲劇的なもの(パテーティッシュ)」であると説いた。シラーにおいて悲劇芸術の究極目的は超感性的なものの表現であり、中でも崇高の反動的な歓喜は悲劇に対する抵抗であると定義しなおした。ただし、道徳論から崇高を振り切っているわけではなく、反動的な歓喜とはすなわち悲劇に対する自由意志の勝利に由来すると言ってしまう。これはすなわち純粋な崇高なるものなどは存在せず、結局バーク的な非常に感覚的な崇高論とは相容れないものとなった。


そしてこのシラーの著作を、若き日のフリードリヒが読み漁った、というわけだ。ようやく影響関係が明らかになってきた。さて、ここまででもフリードリヒにおける崇高概念がカントやシラーとは大きく異なることが自明である。汎神論的・プロテスタント的宗教的要素の強いフリードリヒの崇高概念は、画家であるにもかかわらず、まるで一人の思想家のごとく彼独自のものである。

まず、カント哲学における崇高との違いは、フリードリヒの表現した崇高なるものには理性が介在しないという点にある。これは、道徳を人間の本質・理性に追求したカントと、厳格なルター派であるフリードリヒというポジションの根本的な違いに由来するだろう。そしてフリードリヒにとって崇高なるものの与える歓喜とは、宗教的な恍惚感を与えるものに近い。理性の介在する余地がない。

さらにシラーの崇高論とも、特にパテーティッシュな(悲劇的な)要素が必ずしも含まれないという点で異なっている 。汎神論的に言って、雄大な自然はただそこにあるだけで神を象徴するものであり、「崇高なるもの」となる。というわけで、フリードリヒの崇高概念は誰に最も近いかと言えば、おそらくフリードリヒ本人はその著作を直接読んだことがないであろう、バークのものということになるかと思われる。

ただし、ではフリードリヒの崇高は道徳論を振り切っているかと言えば、それは疑問である。フリードリヒの崇高は「自然は宗教的象徴の塊」という一点に依拠しているため、宗教的なのだ。結局、宗教は道徳論なのか?という非常に巨大な論点に回帰し、その結論が出ることは無いだろう。しかし、フリードリヒ自身はこの点に無自覚であったのではないか。シュライアーマッハーの議論において、神学と宗教学が無自覚的に未分化であったのと同様に。ひとまずのところ、フリードリヒが道徳について云々述べたことや、それを絵画で表現したことは、おそらく一度たりともない。

もう一点だけ触れておこう。カントは「イタリア人とフランス人は美的感情に優れ、ドイツ人とイギリス人は崇高的感情に優れる」と述べたことがある。そしてこの点に関する批判は見られなかった。シラーも特に否定はしていない。このような意識は当時のヨーロッパにおいて、どうも普遍的だったようである。これがフリードリヒにも影響し、崇高概念を尊ぶ民族と反フランス感情が結びついたことで、彼の崇高を感じさせる絵画は一層民族主義的な性格を帯びるようになったという点。そしてフリードリヒ自身がこれらの点に自覚的だったということと、政治活動に積極的に活用していたということは、指摘されてしかるべきであろう。


まとめ? それぞれの崇高概念の要点

バーク → 感性的・主観的・人間の感性に依拠
カント → 合理的・主観的・人間の理性に依拠
シラー → 感性的・客観的・人間の自由意志に依拠
フリードリヒ → 感性的・主観的・汎神論的な畏敬の念に依拠

他に同時代に崇高論を論じた人間といえばバウムガルテンがいるが、私自身があまり詳しくない(というか翻訳が無い)ので語れない。しかし、バークとカントの間に挟まり、崇高を合理的・客観的なものと判じているとシラーが論じていた。おそらく、感性に依拠させるのだろう。