2010年07月05日
風景画!風景画!
文化村のストラスブール美術館展に行ってきた。ストラスブールといえば独仏境界の街であり,独仏係争の地でもあり複雑な歴史をたどってきた街だが,それゆえにしばしばナショナリズムの目線で語られがちなところがある。今回の展示もそんな方向性だと,逆に見飽きすぎていて嫌だなと思っていたら,良い意味で普通の風景画中心の展覧会であった。一方で,ドイツ側のマイナーな風景画も少数ながら展示されており,これは非常に嬉しかった。こういった展示の機微が真にストラスブールが現代に果たしている役割を伝えるものではないか。機微すぎてどの程度の鑑賞者に伝わったのかは疑わしいが。というのも,今回画像がない理由なのだが,ドイツ系の画家の画像が,HPに一枚も無いのだ。せっかく貼ろうと思っていたのに。
作品は若干つまらないものもあったが,おおよそおもしろかったと言っていいだろう。第一章のテーマは「窓」で,これは非常に意義深い。「風景画は窓か壁か」という議論は風景画が誕生したルネサンスの当時から存在するし,窓=境界という観点からしばしば哲学的な命題を示すための道具となった。窓=額としてだまし絵的な使い方をする画家もいる。では今回の展示はどうだったかと言えば,これらを説明するには力不足であったと思う。そもそも作品数が5点しかないのに一章設けてしまったのは間違いではなかったか。
第二章は人物と風景画で,こちらも語れるトピックは多いのに作品数と質が力不足であったように思う。そもそもこのテーマでこの作品数で,周囲が全て自然主義であるのに,ぽつんと青騎士やピカソがあっても浮くだけだろう。だったら以って来ないほうが良かった。なお,こんなことを言うと「あいつはまたセンスの無いことを」と思われるかもしれないが,やはり私にはピカソがさっぱり理解できない。
そんな感じで前半ぐんにょりしながら過ぎたが,第三章「都市の風景」からが本番であった。この章から先はマイナーながら良いものが多く,時代・流派もおおよそ19世紀の100年間に固まっていた。若干異色ながらあるべき作品であると感じたのが《フランス軍のストラスブール入城,1918年11月22日》で,ここでは住民が歓喜している様子が描かれているが,これは一種のプロパガンダである。実際にはストラスブールのアイデンティティは「アルザス人」であって,ドイツの支配に甘んじていたわけでもなければ,フランス人の支配を歓迎していたわけでもない,ということが歴史家によって暴かれている。章立てせず,一作で語るこの姿勢を私は機微と呼びたい。もちろん一番多かったのはストラスブールを描いたアルザス出身の画家たちの作品で,「お前民族的にはどっちだよ!w」とつっこみたくなる画家名を見てニマニマしたのはきっと自分だけではあるまい(ちなみに,実際にはアルザス語というものがあるのでどちらでもないのだろう)。あとはユベール・ロベールの1点だけあった小品が印象的であった。
第四章「水辺の風景」,確かに海景画及びロイスダールをプレ・ロマン主義と位置づけるなら,オランダ・バロックがその系統の風景画の始祖になるだろう,とキャプションを読んで思った。展示としては小品が多くやや残念。これもこのテーマならどれだけでも広げられたような気がするのだが,手を広げすぎて拡散したか。第五章「田園の風景」,ここは至高であった。この章を見直すために図版を買ったようなものだ。ロマン主義的風景画が多く大変満足したのだが,キャプションには不満であった(※ 後述する)。第六章「木のある風景」。特に書くことはないのだが,カンディンスキーの非常に初期のポスト印象派じみた小品があって,ここから抽象画に進むのだから納得するようなそうでないような。
あと来週だけで終わるが,行く価値はあると思う。空いてるし。
作品は若干つまらないものもあったが,おおよそおもしろかったと言っていいだろう。第一章のテーマは「窓」で,これは非常に意義深い。「風景画は窓か壁か」という議論は風景画が誕生したルネサンスの当時から存在するし,窓=境界という観点からしばしば哲学的な命題を示すための道具となった。窓=額としてだまし絵的な使い方をする画家もいる。では今回の展示はどうだったかと言えば,これらを説明するには力不足であったと思う。そもそも作品数が5点しかないのに一章設けてしまったのは間違いではなかったか。
第二章は人物と風景画で,こちらも語れるトピックは多いのに作品数と質が力不足であったように思う。そもそもこのテーマでこの作品数で,周囲が全て自然主義であるのに,ぽつんと青騎士やピカソがあっても浮くだけだろう。だったら以って来ないほうが良かった。なお,こんなことを言うと「あいつはまたセンスの無いことを」と思われるかもしれないが,やはり私にはピカソがさっぱり理解できない。
そんな感じで前半ぐんにょりしながら過ぎたが,第三章「都市の風景」からが本番であった。この章から先はマイナーながら良いものが多く,時代・流派もおおよそ19世紀の100年間に固まっていた。若干異色ながらあるべき作品であると感じたのが《フランス軍のストラスブール入城,1918年11月22日》で,ここでは住民が歓喜している様子が描かれているが,これは一種のプロパガンダである。実際にはストラスブールのアイデンティティは「アルザス人」であって,ドイツの支配に甘んじていたわけでもなければ,フランス人の支配を歓迎していたわけでもない,ということが歴史家によって暴かれている。章立てせず,一作で語るこの姿勢を私は機微と呼びたい。もちろん一番多かったのはストラスブールを描いたアルザス出身の画家たちの作品で,「お前民族的にはどっちだよ!w」とつっこみたくなる画家名を見てニマニマしたのはきっと自分だけではあるまい(ちなみに,実際にはアルザス語というものがあるのでどちらでもないのだろう)。あとはユベール・ロベールの1点だけあった小品が印象的であった。
第四章「水辺の風景」,確かに海景画及びロイスダールをプレ・ロマン主義と位置づけるなら,オランダ・バロックがその系統の風景画の始祖になるだろう,とキャプションを読んで思った。展示としては小品が多くやや残念。これもこのテーマならどれだけでも広げられたような気がするのだが,手を広げすぎて拡散したか。第五章「田園の風景」,ここは至高であった。この章を見直すために図版を買ったようなものだ。ロマン主義的風景画が多く大変満足したのだが,キャプションには不満であった(※ 後述する)。第六章「木のある風景」。特に書くことはないのだが,カンディンスキーの非常に初期のポスト印象派じみた小品があって,ここから抽象画に進むのだから納得するようなそうでないような。
あと来週だけで終わるが,行く価値はあると思う。空いてるし。
腕利きの学芸員であっても,専門分野から外れるとちょっと調べたら出てくるようなことしかかけなくなるのは仕方がないことだと思う。また,私はプロの仕事は尊重すべきだと考えているので,普段はこんな物言いはしない。と留保をつけた上で。
フィリップ=ジャック・ド・ルーテルブールという,いかにもアルザス人な名前の画家の作品,カタログno.47《スランベリス湖水地方》についてである。ルーテルブールは生後すぐにパリへ移住し,画家である父の元で修行して主にロンドンで活躍したそうだ。この絵も湖水地方でわかる通り,イギリスのウェールズ北方での風景画であるが,実写かどうかはわからない(カプリッチオである可能性はある)。問題はキャプションに「このような圧倒的な自然の表現は,ドイツの画家フリードリッヒを思い起こさせる」とあることだ。
さて,私は本作品の雄大な自然描写がロマン主義的で,非常に優れたものであることは全く否定しない。どころか本企画展において最も満足の行くものであった。しかし,この作品からフリードリヒを連想することは,まったく不可能であるということは言わざるをえない。本作品とフリードリヒ作品の間には,ロマン主義的であるという点以外に,まったくの共通点がないからである。私はこのキャプションを書いたストラスブール美術館の学芸員であるセリーヌ・マルクルさんが,なぜコンスタブルを先に連想しなかったのかが不思議で仕方が無い。
まず,フリードリヒは定規で引いたかのごとくカンバスをきっちりと分割し,幾何学的な構成を作る。特に水平線を意識し,すっぱりと画面を二分割するように引くという特徴がある。それゆえに,フリードリヒが理神論者であるだとか,黄金比を意識していただとか,半ばトンデモじみたことを言う研究者さえいる。が,本作品は構図に関してあまりにも自然であり人工的ではない。またフリードリヒは中央に巨大な物を設置するか,そうでなければ何も置かないという構図を得意とするが,両端にはあまり物を置かず,特にピクチャレスク的構図は避ける傾向がある。が,本作品は真逆である。さらに,フリードリヒはカンバスに象徴的な意味内容を充溢させるが,本作は単純に美しいだけである。ついでに言えば描法もけっこう違う。最後に,そもそもルーテルブールの生没年は1740-1812であり,フリードリヒよりもかなり早い。影響関係があるわけないし,そうでなくとも似るわけがない。
同じ企画展内ならば,隣に展示されていたカルル・ロットマンのno.51《バイエルンの風景》のほうが幾分フリードリヒに近いが,こちらはそもそもバイエルンの宮廷画家で生没年も1789-1850なので,もろにフリードリヒを見ている可能性も高い。
こんな感じの文句をアンケート欄に書いて投じてきたが,文化村としては「今頃言われても」だろうし,「そんなこと言われても」だろうなぁ。
Posted by dg_law at 21:01│Comments(0)│