2010年08月21日

鍋島の青

染付松樹文三足大皿サントリー美術館の鍋島焼展に行ってきた。鍋島焼とは,江戸時代の前期に盛んに出荷された陶磁器である。伊万里(有田焼)との違いは,同じ佐賀鍋島藩の藩窯ではあるものの,あちらが国内の好事家や海外輸出向けの制作を行っていたのに対し,鍋島焼と呼ばれるほうは国内の藩や徳川幕府への贈答品としての意味合いが強い。また,伊万里は色絵付けが多く,柿右衛門や金襴手といった種類のものが有名であるが,鍋島焼はそれに比較して落ち着いたデザインで,基本的には白磁に青の二色を基調とする染付が多い。

輸出向け,大衆向けのほうが豪華で派手で,国内の上流階級に向けたもののほうがシックなデザインというのもおもしろい話である。これは名前にも現れている。同じ鍋島藩の藩窯であるにもかかわらず,有田で焼かれた物はその輸出港である「伊万里」の名を冠し,逆に大川内山で焼かれた物は国内でしか流通せず,専ら鍋島藩の贈答品であったため「鍋島焼」と呼ばれるようになった(また,「有田焼」は名前が通っているが,「大川内山焼」は聞いたことがない)。ただし,現代においては本流であるはずの鍋島焼よりも伊万里のほうが高く評価され有名になってしまったため,鍋島焼を伊万里の一様式(鍋島様式)と分類することもある。また,伊万里として作られた染付碗は存在するが,逆に鍋島焼として作られた金襴手は存在しないという点も,大衆における鍋島焼の影の薄さに影響を与えているのであろう。

考えてみれば当たり前の話で,伊万里は売れれば良いのだからその点生産統制を厳格にする必要はないが,鍋島焼は藩の威信がかかっているため,発注以外の品を作られては困る。しかし,統制が創造性を次第に欠如させるのは世の常で,伊万里は明治まで生き残り,江戸時代のものは「古伊万里」と区別されるほど発展するが,鍋島は18世紀の後半頃から次第に質を落とし,むしろ明治になって藩窯という縛りから解放されてから復活を遂げている。ただし,明治期以降の鍋島は「色鍋島」と呼ばれるように,確かに麗しい白磁の地や鮮やかな青を基調とした点は鍋島焼の後継だが,随分とカラフルになってしまっていて,それは鍋島焼のアイデンティティとしてどうなんだろうなぁと思わなくもない。まあ私としてはジレンマのあるところで,染付展を見に行っておいてなんだが,知ってる人は知ってる通り私的な趣味としてはカラフルな伊万里のほうが好きだったりするので,評価が難しい。


本展覧会は鍋島焼のシックなデザインをじっくりと鑑賞するには十分な質と量を兼ね備えている。伊万里はそう珍しくもなく,陶磁器に強い美術館に行けば必ずあるが,単なる染付ではない鍋島焼を見る機会というのは,実はあまりない。その意味では貴重な展覧会である。出品物はサントリー自前の物も多いが,それ以外に東京国立博物館・出光美術館から借りてきた物,佐賀県から持ってきた物,そして個人蔵の物もかなりある。染付が好きなら必見であろう。「青磁染付」という,技術的にはわかるがお前何回焼成したん?と言いたくなるようなものもあった。青磁なのか白磁なのかはっきりしてほしい。あと「壺文」についてはどういうことなの……と言わせていただく。あれなんですか,メタなんですか。

「十四代 今泉今右衛門」作,つまり現代の鍋島焼の作品も出品されていた。最も新しいのは2010年,要するに今年焼いたものだ。骨董品の展覧会に来て老いてこう言ってはなんだが,現代の陶磁器の出来は伝統に科学の力が加わってるだけあって,本当にすばらしいと思う。こと陶磁器においては骨董的価値よりも美しさを重視する自分としては,もうこっちで展覧会やってくれよと思う。そういえば,現代鍋島焼には銀箔が貼られていてお洒落だなと思ったのだが,あれは14代目の考案なのだろうか。ミュージアムショップも,この期間ばかりは鍋島焼猛プッシュであった。いつもなら染付そっちのけで伊万里売ってるのに……この裏切り者。


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