2010年10月06日
第170回『十二世紀ルネサンス』伊東俊太郎著,講談社学術文庫
古典的名著。しかし世界史履修者であっても「12世紀ルネサンスってなんだっけ?」って人も多いと思われるので説明しておく。
古代ローマ帝国が崩壊し,異民族の侵入が相次いだ西欧は,その価値を知らぬ異民族と,その価値を忌避したキリスト教徒により,古代ギリシア・ローマの優れた文明が徹底的に破壊された。なぜこのようなことが起こってしまったのか。破壊ももちろんだが,それ以前の問題として,古代ローマの共通語はラテン語であった。これはあくまで今の英語のような立ち位置での共通語であって,ガリアの人はフランス語の原型を話してただろうし,ゲルマン人は古ゲルマン語を話していただろう(イタリア半島の人間にとってはもちろん「現地語」でもあっただろうが)。その中で古代ギリシア語の占めていた立場といえば,もちろんギリシア人にとっては現地語であったが,それ以外の人間にとっては学術用語か,上流階級の趣味でしかなかった。ゆえに,古代ギリシア・ヘレニズムの文献はほとんどラテン語に訳されず,ギリシア語のまま読まれた。ゆえに,4〜7世紀にわたる中世初期の大破壊の後,西欧からはギリシア語文献が消え去り,誰もがギリシア語をろくに読めないという状況が出来上がった。
結果としてそれらを保存したのは中東の地域であった。少し後にイスラーム教が勃興し,彼らが中東を支配するようになると,これらの文明の成果は発掘され,再評価が始まった。アラブ人やイラン人はビザンツ帝国からの亡命者を積極的に取り入れ,彼らの一部はイスラームに改宗した。そしてギリシア語の知識や文献がイスラーム圏に大量に流入し,それらが一斉に翻訳され,さらなる学問の発展が見られた。
その間に西欧でも多少なりとも文明が復活し,イスラーム圏との交渉,つまり商業取引(香辛料貿易)であったり,戦争(十字軍)が行われるようになる。こうして,西欧にも,イスラームによる翻訳・再編集を介して,再び古代ギリシア・ローマの文明が入り込み,再評価の光が当てられるようになった。この西欧における古代文明の再評価が起こったのは12世紀であったため,「12世紀ルネサンス」と呼ぶ。14世紀以降に開始される本番のルネサンスの前哨である。「12世紀ルネサンス」がなければ,西欧にはプラトンもアリストテレスも,ユークリッドもプトレマイオスもなかった。実のところ,西欧が直線的に受け継いできたと思われていたもののほとんどは,イスラームを経由したものであり,それも古代文明をそのまま輸入したわけではない。つまりイスラームは単なる媒介だったわけではなく,イスラーム学問の成果の土台の上に本番のルネサンス以後の西欧学問の発展があった。
前述の通り,本書は日本に「12世紀ルネサンス」を広めるのに決定的な役割を果たした古典的名著である。元は伊東俊太郎先生の講演を再録したもので,それが文庫化されるにあたり再編集されたものである。第1講から第5講は12世紀ルネサンスとは何か,という丁寧な説明で,いかにそのインパクトがすごかったか,その具体的な翻訳経路はどういったものか,についても説明されている。
ただし,本書の精髄は第6講と第7講である。第6講は伊東俊太郎氏の博士論文から現在の研究の最前線の歩みを説明した章で,実証的な文献学とはかくあるべきものなのか,という点で非常に感心させられる。文学部の学者はどれもこれも根性の要る仕事だと思うが,中でもやはり文献学者の根性は半端ない。でもけっこうこういう作業好きな自分もいる。うなるほど金と時間があったらこういう研究の手伝いとかしてみたい。
第7講は打って変わって恋愛についての議論である。すなわち,ロマンティックな恋愛劇の起源は本当に西欧だけのものか,イスラームから輸入されたものとの融合で誕生したものではなかったか。12世紀ルネサンスの文明交流を,古代文明の還流とだけ見るのは過小評価ではないか。これは親しみやすい話題である上に,新たな視点を与えてくれる話であろう。
古典的名著だが,それ以上に読む価値のある本である。
十二世紀ルネサンス (講談社学術文庫)
著者:伊東 俊太郎
講談社(2006-09-08)
おすすめ度:
販売元:Amazon.co.jp
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古代ローマ帝国が崩壊し,異民族の侵入が相次いだ西欧は,その価値を知らぬ異民族と,その価値を忌避したキリスト教徒により,古代ギリシア・ローマの優れた文明が徹底的に破壊された。なぜこのようなことが起こってしまったのか。破壊ももちろんだが,それ以前の問題として,古代ローマの共通語はラテン語であった。これはあくまで今の英語のような立ち位置での共通語であって,ガリアの人はフランス語の原型を話してただろうし,ゲルマン人は古ゲルマン語を話していただろう(イタリア半島の人間にとってはもちろん「現地語」でもあっただろうが)。その中で古代ギリシア語の占めていた立場といえば,もちろんギリシア人にとっては現地語であったが,それ以外の人間にとっては学術用語か,上流階級の趣味でしかなかった。ゆえに,古代ギリシア・ヘレニズムの文献はほとんどラテン語に訳されず,ギリシア語のまま読まれた。ゆえに,4〜7世紀にわたる中世初期の大破壊の後,西欧からはギリシア語文献が消え去り,誰もがギリシア語をろくに読めないという状況が出来上がった。
結果としてそれらを保存したのは中東の地域であった。少し後にイスラーム教が勃興し,彼らが中東を支配するようになると,これらの文明の成果は発掘され,再評価が始まった。アラブ人やイラン人はビザンツ帝国からの亡命者を積極的に取り入れ,彼らの一部はイスラームに改宗した。そしてギリシア語の知識や文献がイスラーム圏に大量に流入し,それらが一斉に翻訳され,さらなる学問の発展が見られた。
その間に西欧でも多少なりとも文明が復活し,イスラーム圏との交渉,つまり商業取引(香辛料貿易)であったり,戦争(十字軍)が行われるようになる。こうして,西欧にも,イスラームによる翻訳・再編集を介して,再び古代ギリシア・ローマの文明が入り込み,再評価の光が当てられるようになった。この西欧における古代文明の再評価が起こったのは12世紀であったため,「12世紀ルネサンス」と呼ぶ。14世紀以降に開始される本番のルネサンスの前哨である。「12世紀ルネサンス」がなければ,西欧にはプラトンもアリストテレスも,ユークリッドもプトレマイオスもなかった。実のところ,西欧が直線的に受け継いできたと思われていたもののほとんどは,イスラームを経由したものであり,それも古代文明をそのまま輸入したわけではない。つまりイスラームは単なる媒介だったわけではなく,イスラーム学問の成果の土台の上に本番のルネサンス以後の西欧学問の発展があった。
前述の通り,本書は日本に「12世紀ルネサンス」を広めるのに決定的な役割を果たした古典的名著である。元は伊東俊太郎先生の講演を再録したもので,それが文庫化されるにあたり再編集されたものである。第1講から第5講は12世紀ルネサンスとは何か,という丁寧な説明で,いかにそのインパクトがすごかったか,その具体的な翻訳経路はどういったものか,についても説明されている。
ただし,本書の精髄は第6講と第7講である。第6講は伊東俊太郎氏の博士論文から現在の研究の最前線の歩みを説明した章で,実証的な文献学とはかくあるべきものなのか,という点で非常に感心させられる。文学部の学者はどれもこれも根性の要る仕事だと思うが,中でもやはり文献学者の根性は半端ない。でもけっこうこういう作業好きな自分もいる。うなるほど金と時間があったらこういう研究の手伝いとかしてみたい。
第7講は打って変わって恋愛についての議論である。すなわち,ロマンティックな恋愛劇の起源は本当に西欧だけのものか,イスラームから輸入されたものとの融合で誕生したものではなかったか。12世紀ルネサンスの文明交流を,古代文明の還流とだけ見るのは過小評価ではないか。これは親しみやすい話題である上に,新たな視点を与えてくれる話であろう。
古典的名著だが,それ以上に読む価値のある本である。
十二世紀ルネサンス (講談社学術文庫)著者:伊東 俊太郎
講談社(2006-09-08)
おすすめ度:
販売元:Amazon.co.jp
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Posted by dg_law at 00:38│Comments(0)│