2010年10月23日

9.18以後の個人的問題意識

私が9.18以後において一番恐れているのは「ニコマスコミュニティの崩壊」です。木星に関しては全く不満がありません。AKB商法は正直どうかと思いますが,どうせ買わない気がしたので本質的な問題ではありません。加えて,これは事実上撤回されましたし。竜宮プロデュース不可は正直手痛いんですが,所詮私は見る専なので,Pに比べれば,ダメージは少ないかと思われます。基本的に,千早スキーですし。

むしろ困難なのは,コミュニティが縮小することです。皆が萎縮してMADを作らなくなったらどうなるか。これははっきりと危機的な問題です。そして,これは現実的な問題になってきました。

ただし,この傾向は9.18から出現した新しい現象というわけでは,決してありません。週刊ニコランに(御三家なのに)アイマスが出現しなくなったことはしばしば話題になっていますし,週マスのptsも明らかに2010年初頭から低調なままです。衰退論争をやっていた時期からあまり回復したとは言えません。個人個人のPが「まだニコマスは終わっちゃいねぇ!」というのは自由であり,むしろ「どんどんやってくれたまえ!」と返事をしたいところですが,それは別個の概念の話であります。

9.18はこの傾向にとどめを指した,ないし拍車をかけたと言えるでしょう。それでも緩やかに見えるのはノベマス,架空のお陰でしょう。彼らは続き物が多いですし,ハリアーPのような人もいますから,ptsにも投稿数にも相当貢献しています。しかし,私は基本的に架空戦記民ですが,それでもニコマスの真髄はPVにあると思っています。PVが死んだらニコマスの半分は死んだも同然でしょう。

で,やはり質の問題は挙げざるをえない。はっきりと言えば,ここ2,3ヶ月ほどのシーンはあまりおもしろくありません。マイリストがそれほど増えていないのはそれが原因です。このとき,個々の作品を問題にしてもまったく意味がありません。最近だとこれこれなんかは文句なく質が高かった。

つまり,コミュニティの縮小は,必ずしも個々の作品の質とは相関関係がありません。一方,やはり総体で見れば,長期的には必ず影響がある。その”影響”が,09年頃からの緩やかな縮小が(多様化と綺麗な言葉で言い換えられてきましたが,PVだけで見ればやはり縮小ではあるでしょう),ここに来てボディーブローのごとく効いてきたという印象が,個人的にはあります。あくまで個人的には,と留保こそつけますが,数字にも表れているような気はします。また,以前私は「緩やかなら(コミュニティの)縮小でもいいじゃないか」と発言したことがありますが,9.18はその「緩やかなら」の部分を許してくれない事態を引き起こしかねない爆弾に成長しつつあります。

MMDで盛り返したのではないか?という意見には若干賛同しなくもないのですが,諸手を上げての賛同はできません。MMDはいまだ「その領域」には達していませんし,達することもないでしょう。MMDが到達できる程度の高みであるならば,そもそも私は「アイドルマスター」のPVにあれほど魅せられてはいません。と同時に,アイマス2のPVは十分に希望を持たせる物でした。あれでこそアイマスでしょう,センシティブトゥーンには未来があります。その意味で,有志の努力があれば自力でアイマス2ndを達成できるなどといった戯れ言にはなんら関心がありません。MMDは確かにニコマス世界を広げ,またコミュニティの延命にも多大なる貢献をしたでしょう。功績はそれで十分ではありませんか。(ただし,私が単純なMMDアンチではないことは,それこそ保管庫なりマイリストなりを見てもらえばおわかりになる通りです。MMDはMMDとして,その特質を活かしていくべきであり,本家を乗っ取るべき存在ではない。)

わがままな「見る専」は質が低下すればコミュニティから離れます。つまり,ハイクオリティな作品数の低下とコミュニティの縮小は間接的な相関関係があります。これがニコマス,及び「わただもんげ」意識で集合するニコマスコミュニティを愛する者にとって,最大の危機的状況を招いていると言えるでしょう。また,その意味において,9.18関連でのバンナム最大の失策は,実は「団結2010」の歌詞ではなかったか,とさえ考えております。何よりも問題なのは,私自身がそのわがままな見る専であるということです。「去る者は追わず」とは申しますが,去りたくもないし追ってほしいのです。少なくともアイマス2が発売し,ハイクオリティな新作PVが乱舞する状況までは,「最低限今の規模で」コミュニティが生存していてほしいなぁと思います。