2010年11月07日
けいおん!!雑感
今頃になって,というのはあるが,書いておかねば気がすまなかった。
私の周囲ではしばしば比較される『けいおん!!』と『キラ☆キラ』だが,この両者はバンド物特有の共通点を持つ。どっちも全力で青春を楽しんでいるという点においてである。バンド物と青春活劇の相性が良いのは,そのスピード感,高揚した最高の気分は一瞬で過ぎ去るという感覚がよく似ているからである。しかし,『けいおん!!』が奇妙なのは,本作品の基調とするテンポはゆったりまったりしていて,まるでバンド物らしくない,という点だ。考えてみると,これだけゆったりまったりバンド物を描いた漫画・アニメというのは相当に珍しいのではないだろうか。私もそんなに例を知っているわけではないが,バンド物は大概展開が早い。ロックの持つイメージの強さもあるだろう。(無論,けいおん!!はロックとは割と縁遠いが。)
にもかかわらず,『けいおん!!』は間違いなく優れた青春活劇である。sasaharaさんの「BECKは苦労は描いていても努力は描いていなかった。けいおんはその逆。」というブコメは非常に示唆的である。そう,彼女らはさして苦労をしていない,がその分全力で楽しんでいたのである。そう,自らの生に自覚的で,異常な速さで過ぎ去る時間を惜しまないという姿勢は意外と難しい。この点,私は彼女らに大変共感する。私自身,全力で高校生活の3年間を楽しんだという自負がある。だからこそ,私は『けいおん!!』を全力で感動することが出来たと思う。特に20話に関して言わせて貰えば,加えて高校時代文化祭の実行委員をやっていて,ライブイベントにも無縁の存在ではなく,機材の準備とかしてたし,友人たちのバンドが出演したこともあった。こうした経験は今考えても貴重であった。
もちろん,誰に感情移入して楽しんだかというのは人による。唯たち自身に感情移入していた人たちもいるだろうし,梓にしていた人もいるだろう。クラスメイトたちかもしれないし,和や憂や純かもしれない(自分は割と和の視点だったかな)。誰に感情移入したかは,その人の人生経験により大きく異なる。だからこそ,そのために『けいおん!!』はあれだけサブキャラ・モブキャラを絡ませ,立体的な放課後ティータイムの周辺を描き出そうとしていた。つまり,描き方さえ工夫すれば苦労はせずとも青春は出来るし,楽しめるし,人を感動させることは可能なのだ。またそれを通して彼女らは心身ともに成長した。これ以上何を望むのだ。
20話以降,三年生の文化祭が終わった後から突然イベントの消化が早くなるのは,決してペース配分をミスったからでも,消化すべき学校行事がなくなったからでもない。あれは梓の体感スピードの変化なのだ。あずさはバレンタインの季節になってようやく,喪失感を味わうことになった。これはアニメという,一週間に一話ずつしか進まないという特性を逆に生かした妙味であった。視聴者の一週間は,作中ではたった1/3日であったり,逆に一ヶ月であったりするのである。この感覚こそが,視聴者と梓の視点を結びつける。
そして,バンドと青春の相性の良さを全力で生かしていると同時に,描写が非常に丁寧であるのが,けいおん!!というアニメであった。人格的な成長も,音楽的成長も,どちらもしっかり描かれている。これはネット上の先行研究にもよく現れている。懐かしい話をすると,15話の「マラソン!」がネット上でそれなりに批判されていたことで,それまで着実に成長していたように見えた唯が一期のようなずぼらに戻ってしまったように見えたからだ。つまり,大多数の視聴者であっても,だらだら見ているようできちんと彼女らの成長を感じ取っていたことがわかる。
これは論評ではなく完全な感想だが,Utauyo!Miracleはここ最近のアニソンでは例がないくらいクリティカルヒットした曲であった。歌詞も曲調も。それ以外でも,『けいおん!!』は本当に名曲が多い。アニメが終わって一ヶ月以上経っても延々と聞き続けていることを考えると,これはもう当分作業用BGMに入れっぱなしになりそうである。音楽にも恵まれたというのは,本作品において大変な僥倖であった。
私の周囲ではしばしば比較される『けいおん!!』と『キラ☆キラ』だが,この両者はバンド物特有の共通点を持つ。どっちも全力で青春を楽しんでいるという点においてである。バンド物と青春活劇の相性が良いのは,そのスピード感,高揚した最高の気分は一瞬で過ぎ去るという感覚がよく似ているからである。しかし,『けいおん!!』が奇妙なのは,本作品の基調とするテンポはゆったりまったりしていて,まるでバンド物らしくない,という点だ。考えてみると,これだけゆったりまったりバンド物を描いた漫画・アニメというのは相当に珍しいのではないだろうか。私もそんなに例を知っているわけではないが,バンド物は大概展開が早い。ロックの持つイメージの強さもあるだろう。(無論,けいおん!!はロックとは割と縁遠いが。)
にもかかわらず,『けいおん!!』は間違いなく優れた青春活劇である。sasaharaさんの「BECKは苦労は描いていても努力は描いていなかった。けいおんはその逆。」というブコメは非常に示唆的である。そう,彼女らはさして苦労をしていない,がその分全力で楽しんでいたのである。そう,自らの生に自覚的で,異常な速さで過ぎ去る時間を惜しまないという姿勢は意外と難しい。この点,私は彼女らに大変共感する。私自身,全力で高校生活の3年間を楽しんだという自負がある。だからこそ,私は『けいおん!!』を全力で感動することが出来たと思う。特に20話に関して言わせて貰えば,加えて高校時代文化祭の実行委員をやっていて,ライブイベントにも無縁の存在ではなく,機材の準備とかしてたし,友人たちのバンドが出演したこともあった。こうした経験は今考えても貴重であった。
もちろん,誰に感情移入して楽しんだかというのは人による。唯たち自身に感情移入していた人たちもいるだろうし,梓にしていた人もいるだろう。クラスメイトたちかもしれないし,和や憂や純かもしれない(自分は割と和の視点だったかな)。誰に感情移入したかは,その人の人生経験により大きく異なる。だからこそ,そのために『けいおん!!』はあれだけサブキャラ・モブキャラを絡ませ,立体的な放課後ティータイムの周辺を描き出そうとしていた。つまり,描き方さえ工夫すれば苦労はせずとも青春は出来るし,楽しめるし,人を感動させることは可能なのだ。またそれを通して彼女らは心身ともに成長した。これ以上何を望むのだ。
20話以降,三年生の文化祭が終わった後から突然イベントの消化が早くなるのは,決してペース配分をミスったからでも,消化すべき学校行事がなくなったからでもない。あれは梓の体感スピードの変化なのだ。あずさはバレンタインの季節になってようやく,喪失感を味わうことになった。これはアニメという,一週間に一話ずつしか進まないという特性を逆に生かした妙味であった。視聴者の一週間は,作中ではたった1/3日であったり,逆に一ヶ月であったりするのである。この感覚こそが,視聴者と梓の視点を結びつける。
そして,バンドと青春の相性の良さを全力で生かしていると同時に,描写が非常に丁寧であるのが,けいおん!!というアニメであった。人格的な成長も,音楽的成長も,どちらもしっかり描かれている。これはネット上の先行研究にもよく現れている。懐かしい話をすると,15話の「マラソン!」がネット上でそれなりに批判されていたことで,それまで着実に成長していたように見えた唯が一期のようなずぼらに戻ってしまったように見えたからだ。つまり,大多数の視聴者であっても,だらだら見ているようできちんと彼女らの成長を感じ取っていたことがわかる。
これは論評ではなく完全な感想だが,Utauyo!Miracleはここ最近のアニソンでは例がないくらいクリティカルヒットした曲であった。歌詞も曲調も。それ以外でも,『けいおん!!』は本当に名曲が多い。アニメが終わって一ヶ月以上経っても延々と聞き続けていることを考えると,これはもう当分作業用BGMに入れっぱなしになりそうである。音楽にも恵まれたというのは,本作品において大変な僥倖であった。
Posted by dg_law at 01:34│Comments(0)