2010年11月17日
クライヴもガンディーもタゴールも見てきたということに……
・「『太宰メソッド』の欠陥あるいは限界」(Togetter)
→ これ,まさにその通りで。「太宰メソッド」は便利だし,はてなの生んだ偉大なる発明だと思う。周知されていないのであれば知られるべき言葉。
→ ただ,実はそこまで万能な言葉ではない。「差別感情無しに差別は存在しうる」現状で,個人が世間に対し何が出来るかというと,実はそんなに無い。
→ ところがここで太宰メソッドを使ってしまうと,それは事実の確認にもならない。単なる差別主義者たたきに堕してしまう。
→ 結局使いどころは考えよう,としか言えない。差別そのものよりも,差別構造の抱える問題は難しい。
・近代のお節介に救われた俺は,近代とどう付き合えばいいのだろう?(Danas je lep dan.)
→ これは実はけっこう深刻な問題で。
→ 近代主義という普遍性はとても強力なもので,実はガンディーですら「近代のもたらした豊かさは独立運動を大きく妨げた」というような主旨のことを述べている。
→ 近代の豊かさや悪習の排除は非常にわかりやすい合理性を備えた,間違いなく一種の正義である。しかし,人間には愚行権もあれば,それで掬い取れない行動もあり,全てが合理的なわけではない。また,人類の多様性の保全が合理的だと考えるのならば,これは近代主義と対立するであろう。
→ これは近代主義と植民地主義の対立というよりも,啓蒙思想と伝統の対立と言った方が正しいのかもしれない。近代のお節介さにおいて最も重要なのは教育であり,そのお節介さはまさに啓蒙主義であり,もう一歩進めば「マニフェスト・ディスティニー」に由来する。
→ 加えて,近代が導入されないことで被害を受けるのは大体社会的弱者であり,抵抗するのは既得権益層であるということも念頭に入れれば,さらにこれが根の深い問題であると考えることができるだろう。
→ 少なくとも,複数指摘が入っているような,各論で賛成・反対を決められるものではない。理念の問題なのだから。
・アドワイチャ(Wikipedia)
→ 亀が長生きなのは知ってたけど,250年超えというのは恐れ入る……
→ ロバート・クライヴに飼われていたらしいが,彼はインドからフランスを追い出し,イギリスのインド覇権を確定させたプラッシーの戦い(1757年)の立役者である。
→ つまり,イギリスのインド統治が始まる前から生きていたということになる。完全に歴史上の「生物」である。
→ 人間の愚行の数々を,彼はどう見てきたのであろうか……亀なんだから何も考えてないだろうけど。
・体育が出来ない奴にしかわからないこと(おはようwwwお前らwwwwwwww)
→ ほとばしるほど「あるあるwwwwww」しかないスレ。
→ 美術教育の話でもそうだったが,本当に出来ない子はマジで「ボールの蹴り方」からわからない。それほど高度な教育を要求しているはずじゃないのだが。思ったとおりに身体を動かすというのは不器用な子にとって至難の業である,ということはもっと認識されるべき。
→ ちなみに自分自身,小学校まで本気で「走り方」がわからなかった。その体格で50m10秒超えはありえない,と長らく言われ,ようやく体得した中学生になって途端に8秒を割った(大体クラスの平均値くらい)。
→ じゃあ体格に恵まれていたかと言われればそれも違い,長年の持病喘息ゆえに幼少時は体育が強制的に休みであったため,身長だけ伸びて典型的なもやし体型になってしまった。多少なりとも「骨と皮だけの身体」から脱却したのは,中学で剣道部に入ってからである。
→ もっともこれ自体,成長して喘息が多少なりをひそめたため,激しい運動が許可されたから剣道ができるようになったという事情があり,もっと喘息が長引いたらという仮定は考えたくもない。自分の中では割と大きいトラウマ,コンプレックスかもしれない。
→ しかし,結局生来の不器用さは解消されず,運動テスト・体力テストの類で平均を超えたのは50m走と走り幅跳びのみであった。剣道やってたのに握力が全国平均以下とかどうしようもないね。
→ ふと思い出したけど,逆上がりできるようになったのも中学生になってから。これも,筋力が足りなかったのもあるだろうが,やり方が根本的にわからなかったのが原因であったと思う。
→ ブコメが同窓会すぎるので,同感の方はご覧あれ。
→ これ,まさにその通りで。「太宰メソッド」は便利だし,はてなの生んだ偉大なる発明だと思う。周知されていないのであれば知られるべき言葉。
→ ただ,実はそこまで万能な言葉ではない。「差別感情無しに差別は存在しうる」現状で,個人が世間に対し何が出来るかというと,実はそんなに無い。
→ ところがここで太宰メソッドを使ってしまうと,それは事実の確認にもならない。単なる差別主義者たたきに堕してしまう。
→ 結局使いどころは考えよう,としか言えない。差別そのものよりも,差別構造の抱える問題は難しい。
・近代のお節介に救われた俺は,近代とどう付き合えばいいのだろう?(Danas je lep dan.)
→ これは実はけっこう深刻な問題で。
→ 近代主義という普遍性はとても強力なもので,実はガンディーですら「近代のもたらした豊かさは独立運動を大きく妨げた」というような主旨のことを述べている。
→ 近代の豊かさや悪習の排除は非常にわかりやすい合理性を備えた,間違いなく一種の正義である。しかし,人間には愚行権もあれば,それで掬い取れない行動もあり,全てが合理的なわけではない。また,人類の多様性の保全が合理的だと考えるのならば,これは近代主義と対立するであろう。
→ これは近代主義と植民地主義の対立というよりも,啓蒙思想と伝統の対立と言った方が正しいのかもしれない。近代のお節介さにおいて最も重要なのは教育であり,そのお節介さはまさに啓蒙主義であり,もう一歩進めば「マニフェスト・ディスティニー」に由来する。
→ 加えて,近代が導入されないことで被害を受けるのは大体社会的弱者であり,抵抗するのは既得権益層であるということも念頭に入れれば,さらにこれが根の深い問題であると考えることができるだろう。
→ 少なくとも,複数指摘が入っているような,各論で賛成・反対を決められるものではない。理念の問題なのだから。
・アドワイチャ(Wikipedia)
→ 亀が長生きなのは知ってたけど,250年超えというのは恐れ入る……
→ ロバート・クライヴに飼われていたらしいが,彼はインドからフランスを追い出し,イギリスのインド覇権を確定させたプラッシーの戦い(1757年)の立役者である。
→ つまり,イギリスのインド統治が始まる前から生きていたということになる。完全に歴史上の「生物」である。
→ 人間の愚行の数々を,彼はどう見てきたのであろうか……亀なんだから何も考えてないだろうけど。
・体育が出来ない奴にしかわからないこと(おはようwwwお前らwwwwwwww)
→ ほとばしるほど「あるあるwwwwww」しかないスレ。
→ 美術教育の話でもそうだったが,本当に出来ない子はマジで「ボールの蹴り方」からわからない。それほど高度な教育を要求しているはずじゃないのだが。思ったとおりに身体を動かすというのは不器用な子にとって至難の業である,ということはもっと認識されるべき。
→ ちなみに自分自身,小学校まで本気で「走り方」がわからなかった。その体格で50m10秒超えはありえない,と長らく言われ,ようやく体得した中学生になって途端に8秒を割った(大体クラスの平均値くらい)。
→ じゃあ体格に恵まれていたかと言われればそれも違い,長年の持病喘息ゆえに幼少時は体育が強制的に休みであったため,身長だけ伸びて典型的なもやし体型になってしまった。多少なりとも「骨と皮だけの身体」から脱却したのは,中学で剣道部に入ってからである。
→ もっともこれ自体,成長して喘息が多少なりをひそめたため,激しい運動が許可されたから剣道ができるようになったという事情があり,もっと喘息が長引いたらという仮定は考えたくもない。自分の中では割と大きいトラウマ,コンプレックスかもしれない。
→ しかし,結局生来の不器用さは解消されず,運動テスト・体力テストの類で平均を超えたのは50m走と走り幅跳びのみであった。剣道やってたのに握力が全国平均以下とかどうしようもないね。
→ ふと思い出したけど,逆上がりできるようになったのも中学生になってから。これも,筋力が足りなかったのもあるだろうが,やり方が根本的にわからなかったのが原因であったと思う。
→ ブコメが同窓会すぎるので,同感の方はご覧あれ。
Posted by dg_law at 12:00│Comments(3)│
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この記事へのコメント
初めまして
長い間こちらのブログを読ませていただいていましたが、今回の記事で疑問に思うことがありましたので初めてながらコメントさせていただきます。
疑問に思ったのは太宰メソッドというこちらで初めて聞いた言葉の定義です。紹介先での議論を読んでいても感じた疑問ですが、太宰メソッドの定義は「世間に責任転嫁して差別を正当化する」ことなのですか、それとも太宰治の『人間失格』での本来の主張「世間じゃない、個人だ」なのでしょうか?
こちらのブログでも両方の意味で使われているように思いましたのでコメントさせて頂いた次第です
長い間こちらのブログを読ませていただいていましたが、今回の記事で疑問に思うことがありましたので初めてながらコメントさせていただきます。
疑問に思ったのは太宰メソッドというこちらで初めて聞いた言葉の定義です。紹介先での議論を読んでいても感じた疑問ですが、太宰メソッドの定義は「世間に責任転嫁して差別を正当化する」ことなのですか、それとも太宰治の『人間失格』での本来の主張「世間じゃない、個人だ」なのでしょうか?
こちらのブログでも両方の意味で使われているように思いましたのでコメントさせて頂いた次第です
Posted by 閲覧者 at 2010年11月18日 12:00
後者でしょうね。
少なくとも私は「差別の原因を世間にアウトソーシングしても,実は自分が(無意識的に)差別意識を持ってしまっているということを,対象に自覚させる」手法が,太宰メソッドだと思っています。
世間を構成するのは個人,ですからね。
しかし,実際には個人から乖離した「世間」なるものは実在すること。(あまりピックアップされませんがこれは社会学の問題でもあります,社会を形成するのは個人か集団か。)
加えて,「世間」という巨大な存在に対し,個人個人の意識の改善という手法は,着実ではあるかもしれないが,焼け石に水であること。
また,太宰メソッドを用いて啓蒙する側の人間が,実際には太宰メソッドを差別主義者叩きの材料として用いてしまいがちであること。
などが,太宰メソッドの示す限界ではないかと思います。
少なくとも私は「差別の原因を世間にアウトソーシングしても,実は自分が(無意識的に)差別意識を持ってしまっているということを,対象に自覚させる」手法が,太宰メソッドだと思っています。
世間を構成するのは個人,ですからね。
しかし,実際には個人から乖離した「世間」なるものは実在すること。(あまりピックアップされませんがこれは社会学の問題でもあります,社会を形成するのは個人か集団か。)
加えて,「世間」という巨大な存在に対し,個人個人の意識の改善という手法は,着実ではあるかもしれないが,焼け石に水であること。
また,太宰メソッドを用いて啓蒙する側の人間が,実際には太宰メソッドを差別主義者叩きの材料として用いてしまいがちであること。
などが,太宰メソッドの示す限界ではないかと思います。
Posted by DG-Law at 2010年11月19日 09:32
ご回答ありがとうございます
やっとリンク先の議論を読んでのモヤモヤが解けました。
わざわざ解説までしていただきありがとうございます。
話の内容が高度で頭がついていかない今回のようなこともありますが、いつも楽しく読ませてもらってます
やっとリンク先の議論を読んでのモヤモヤが解けました。
わざわざ解説までしていただきありがとうございます。
話の内容が高度で頭がついていかない今回のようなこともありますが、いつも楽しく読ませてもらってます
Posted by 閲覧者 at 2010年11月19日 22:15