2010年11月24日

油滴天目茶碗見に行ってきた

油滴天目(大阪市立東洋陶磁美術館所蔵)陶磁器を目の前にして足がすくんだのは,これが二度目である。


出光美術館の「天目と呉州赤絵」展に行ってきた。要するに福建省の窯に着目した展覧会である。陶磁器ゆえに一品一品が小さく,出光美術館の面積としては十分に多い約110点の展示。福建省は江南としては痩せた土地で,唐までは人口も多くなかった。大きく発展したのは宋代以降で,海外と取引する港湾都市として整備されたからである。主要な取引品は茶や綿布といった商品作物や手工業品,そして景徳鎮や竜泉窯の陶磁器である。結果的に,福建省自体でもこうしたものは作られるようになった。現在でも茶の名産地として名をはせている。

しかし,陶磁器に限れば長らく景徳鎮の質の悪い模倣にとどまっていた,というのが真相らしい。今回のキャプションで読んで驚いた。確かに展示品を見ると釉薬のかかり方が甘いのかそれとも質が悪いのか,くすんでいたりぼんやりとした色づきになってしまっており,ぱっとしない見た目のものが多い。陶磁器として輸出されたというよりも,茶や香辛料の入れ物として用いられていたことが多かったようだ。そう聞くと発見の過程は井戸茶碗に似ているのかとも思ったが,違いは福建省の陶磁器が日本の好事家の目に止まらなかったという点である。

それでも南宋・元・明の時代まで来ると模倣の段階を脱し,福建独自の陶磁器が生産されるようになる。その一つが明代末期に発展した呉州赤絵だが,こちらは私にとってはどうでもよかった。素朴な朱塗りの大皿というのが日本の茶人に評価されたという点に関してはわからなくはないが,はっきり言って同時期の景徳鎮の万暦赤絵に比べてダサく洗練されていない,というのが私の評価である。塗りも素朴と言えば聞こえはいいが単純に荒く,赤色の発色も良くないように見える。

そしてやはり評価するべきは,南宋時代に発展した天目茶碗である。天目茶碗は浙江省から福建省にかけてで生産されたものであるが,酸化鉄を多く含み黒色に発色する釉薬が厚めにかけられたものである。が,そのうち福建省の建窯で生産されたものの一部は土の成分により焼成の過程で化学反応が起き,銀色の斑点模様が発生する。これが日本で高く評価され,斑点模様の違いにより「曜変天目」「禾目天目」「油滴天目」などと分類され,珍重された。曜変天目茶碗(稲葉天目)を見たときの興奮っぷりは以前に記したとおりである。

天目茶碗はその透き通るような,一種陶磁器とは思えない澄んだ漆黒自体が,すでに魔術的な美しさを誇っている。しかし,そこに銀の斑点がつくとその美しさは増す。今回の目的はその最高傑作の一つ「油滴天目茶碗」であり,今回のために大阪東洋陶磁美術館から貸し出された(もちろん国宝)。ありがとう大阪市。完成するかも分からん近代美術館とか作ってなくて良いから,もっと東洋陶磁美術館に力入れてくれ。

実物の輝きはとてつもないものであった。見事な一面黒色の表面に銀色の斑点が踊る様は,まさに足がすくむようであった。本作品は高台まで釉薬がかかりきっておらず,あえてかなりの部分で地を見せているが(ほとんど高台脇まで地が見えている),そのおかげで釉薬の厚みがわかるようになっている。陶器の厚みよりも釉薬のほうが厚いのではないか。また,本作は陶磁器にしては珍しく口縁を金で縁取ってある。その結果,黒・青・銀の単純な世界はよりしっかりと器の内側に閉じ込められ,小さいながらも深みのある一つ世界を形成しているといえよう。この金縁をつけた職人のセンスには感嘆せざるをえない。また,そのせいか,例の稲葉天目は何か不気味であり,禍々しい領域に入っていたが,本作はやや落ち着いた美しさであった。


これは稲葉天目と並び,死ぬまでに一度は見ておく価値のある茶碗であろう。たとえ陶磁器に興味がなかろうとも,人類の生んだ創造的傑作の一つとして。


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