2010年12月02日
毎年見よう

円山応挙は多種多様な描き方のできる画家である。画法の研究者でもあり,身近なところでは狩野探幽に近い。狩野派的な描き方もできれば琳派に似せることもでき,西洋的な遠近法も試すかと思えば漢画に特有な三遠法で描くこともある。様々な技法を収得しているからこそ,描きたいものに最もふさわしい型でえがくことができる。しかし器用貧乏になることなく,そうして完成されていったのが,写実的ながらもあえて言えばロマン派的なダイナミックさを持つものが,やはり応挙らしい画風といえよう。
今回の展覧会では作品数こそそれほど多くないものの,画風の確立に至るまでの様々な様式に触れている様子がわかるよう,別の観点から言えば江戸絵画史をたどることができるような作品構成になっており,目が飽きることは無い。ただし,個人的な趣味から言えば《波濤図》(重要文化財)はあまり好きではない。あれは枯れてもない応挙が無理やり枯れたように描いた結果,ああなってしまったのではないかと思われる。(その点では長谷川等伯との比較がおもしろい。等伯も器用な画家で漢画から金碧障壁画まで当時流行の画風は一通り描けたが,老いると一辺倒に水墨画しか描かなくなった。なんでも描けながら「枯れず」,むしろ円熟味だけが増していった応挙と対照的である。)
他では,わざわざ大乗寺から持ってきた超大作《松に孔雀図襖》(同様に重文)が目を惹いた。その空間構成も色彩も,部屋一面を囲む襖全面を意識した効果も,どれを考えても抜群の出来である。しかし,やはり至高の作品は《雪松図屏風》であると言わざるをえない。ここには応挙の学んできた画風の全てが現れている。黄金の大気に浮かぶ二本の松の樹はまさに濃絵であり,しかし松は写実的で,視線の動きを明確に意識した構図は計算されつくしている。前回も書いたが,やはり金と墨しか使っていないとは思えず,紙の地の白はどう考えても浮き出ている。なんという神々しさか。
大変満足して美術館を出て,気分よく次の美術館に行こうと自転車にまたがったはいいが,「最寄の駅は同じ東京駅だろ」と向かった出光美術館は案外と遠く,15分くらいかかり,その上月曜休館日だった(そりゃそうだ,火曜休館だった応挙展のほうがおかしい)。非常にうなだれつつどうせだから,と皇居近くの喫茶店で読書しながらぼけーっとしていていたらいつの間にか15時半を回っており,今度は相撲のために急いで自転車をこぐ羽目になり,挙句本郷通りの途中,淡路町から御茶ノ水への坂道で力尽きて結局間に合わなかったという落ちまでついた。なんとも締まらない一日。
Posted by dg_law at 08:00│Comments(0)│