2011年01月17日
第178回『印象派はこうして世界を征服した』フィリップ・フック著,中山ゆかり訳,白水社
原題は"THE ULTIMATE TROPHY How the Impressionist Painting Conquered the World"で,直訳すれば『究極のトロフィー 印象派絵画はいかにして世界を征服したか』である(本書の訳者あとがきより)。現代の美術市場において,印象派がなぜ特権的な地位を得たかについて,画商・競売人の立場から考察する。筆者自身がクリスティーズ及びサザビーズに勤めていた競売人であり,画商でもある(そして小説作家でもある,多才である)。
ざっくりと切ってしまえば,印象派が特権的な地位を得た理由はまず「古典主義からは脱していたが前衛すぎない絶妙な位置にあったこと」。この点は自然主義も同じであり,確かにミレーやコローといったバルビゾン派も印象派と同様に現代において非常に高値をつけている。しかし,自然主義の絵画は中途半端にサロンに認められてしまったため,新興ブルジョワからすればあっち側の存在であった。そこへ行くと印象派はまさに「わしが育てた」の状態であり,それでいてこれまでの規範から外れすぎてもいなかった。ただしその評価は極めて相対的なものであり,印象派の評価はポスト印象派や次の前衛が登場した頃に,急激に上昇した(1880〜90年代)ことは注視しなければならない出来事であろう。
新興ブルジョワとはわがままなのだ。片方では既存の上流社会に立ち入りたいと思いながら,もう片方で貴族社会などカビの生えたものだと感じているのだから。印象派の絵画はうまくそこにマッチしていた。初期の印象派の多くは中産階級出身でどちらかと言えばおぼっちゃまが多く,絵が売れなかった生活苦は「若い時の苦労は買ってでもしろ」的なものであったということは,これらのことと全くの無関係ではない。
また本書で特に注目しているのは,印象派は各国によって受容のされ方,経緯が全く違うということである。これはフランスとその国の歴史的関係や,その国の持つ芸術観と密接にかかわっている。ある意味フランス本国よりも早く印象派を受容したアメリカは,まさに上記に挙げた条件にぴたりと当てはまる国であったがゆえに印象派の絵画を熱望した。歴史が浅いという劣等感と優越感の入り交じった矛盾は「歴史ある国フランス」への羨望をたぎらせ,そのフランスで生まれた新しい絵画を,彼らは熱狂的に買いあさった。
一方で統一が遅れ,同時に社会基盤の整備も遅れていたドイツは,アメリカと同じような羨望をフランスに対して抱きながらも,歴史の古さでは劣っていないという葛藤となり,遅れたドイツを自覚してフランスから印象派を積極的に輸入しようとする層と,反フランスの立場から印象派を排斥する層にくっきり分かれた。その葛藤は近代の鬼子であるファシストにも受け継がれ,ナチスは一方で印象派を退廃芸術の走りとして批判しながら,押収したものを私物化する高級幹部もいた。結果的に先進国では最も受容の遅れた国はイギリスだが,これは本書に挙がっている反フランスというナショナリズム的な問題以外に,同じようなポジションの集団としてラファエロ前派がいたことは影響しているのではないか。
やがて印象派はその経済的な価値が遊離し,投機の対象となっていく。1990年代前半になってようやく崩れたアートバブルは1950年頃から長く続き,その間絵画の値段は上がり続けた。それを牽引したのは印象派の作品であった。またこれは,絵画の売り手が作家と直接つながりがあり,己の審美眼にかけて作品を売る画商から,ともかく高値で売って手数料を稼ぐ競売人に,印象派の売り手が移り変わった時期でもあった。とりわけサザビーズが興隆したのは1950年代であった。この流れにはバブル崩壊前の日本もかかわっている。斉藤了英の名前は,日本のなした悪しき歴史として美術史上に刻まれ続ける。
本書は当時の人々の記録や手紙を用いて,意外なほどストイックに書かれている。受容史というのは難しく学者でもあまりやりたがらないのだが,筆者は学者ではないがゆえに,逆にやりやすかったのだろうか。小説家であるだけに文章もおもしろく,これは翻訳の力もあるように思われる。原文はまったく参照していない立場ではあるが,日本語だけ読んだ感じでは名訳のように思われる。美術史に関心のある人には何の問題もなくお勧めできる本。
印象派はこうして世界を征服した
著者:フィリップ フック
白水社(2009-07)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る
ざっくりと切ってしまえば,印象派が特権的な地位を得た理由はまず「古典主義からは脱していたが前衛すぎない絶妙な位置にあったこと」。この点は自然主義も同じであり,確かにミレーやコローといったバルビゾン派も印象派と同様に現代において非常に高値をつけている。しかし,自然主義の絵画は中途半端にサロンに認められてしまったため,新興ブルジョワからすればあっち側の存在であった。そこへ行くと印象派はまさに「わしが育てた」の状態であり,それでいてこれまでの規範から外れすぎてもいなかった。ただしその評価は極めて相対的なものであり,印象派の評価はポスト印象派や次の前衛が登場した頃に,急激に上昇した(1880〜90年代)ことは注視しなければならない出来事であろう。
新興ブルジョワとはわがままなのだ。片方では既存の上流社会に立ち入りたいと思いながら,もう片方で貴族社会などカビの生えたものだと感じているのだから。印象派の絵画はうまくそこにマッチしていた。初期の印象派の多くは中産階級出身でどちらかと言えばおぼっちゃまが多く,絵が売れなかった生活苦は「若い時の苦労は買ってでもしろ」的なものであったということは,これらのことと全くの無関係ではない。
また本書で特に注目しているのは,印象派は各国によって受容のされ方,経緯が全く違うということである。これはフランスとその国の歴史的関係や,その国の持つ芸術観と密接にかかわっている。ある意味フランス本国よりも早く印象派を受容したアメリカは,まさに上記に挙げた条件にぴたりと当てはまる国であったがゆえに印象派の絵画を熱望した。歴史が浅いという劣等感と優越感の入り交じった矛盾は「歴史ある国フランス」への羨望をたぎらせ,そのフランスで生まれた新しい絵画を,彼らは熱狂的に買いあさった。
一方で統一が遅れ,同時に社会基盤の整備も遅れていたドイツは,アメリカと同じような羨望をフランスに対して抱きながらも,歴史の古さでは劣っていないという葛藤となり,遅れたドイツを自覚してフランスから印象派を積極的に輸入しようとする層と,反フランスの立場から印象派を排斥する層にくっきり分かれた。その葛藤は近代の鬼子であるファシストにも受け継がれ,ナチスは一方で印象派を退廃芸術の走りとして批判しながら,押収したものを私物化する高級幹部もいた。結果的に先進国では最も受容の遅れた国はイギリスだが,これは本書に挙がっている反フランスというナショナリズム的な問題以外に,同じようなポジションの集団としてラファエロ前派がいたことは影響しているのではないか。
やがて印象派はその経済的な価値が遊離し,投機の対象となっていく。1990年代前半になってようやく崩れたアートバブルは1950年頃から長く続き,その間絵画の値段は上がり続けた。それを牽引したのは印象派の作品であった。またこれは,絵画の売り手が作家と直接つながりがあり,己の審美眼にかけて作品を売る画商から,ともかく高値で売って手数料を稼ぐ競売人に,印象派の売り手が移り変わった時期でもあった。とりわけサザビーズが興隆したのは1950年代であった。この流れにはバブル崩壊前の日本もかかわっている。斉藤了英の名前は,日本のなした悪しき歴史として美術史上に刻まれ続ける。
本書は当時の人々の記録や手紙を用いて,意外なほどストイックに書かれている。受容史というのは難しく学者でもあまりやりたがらないのだが,筆者は学者ではないがゆえに,逆にやりやすかったのだろうか。小説家であるだけに文章もおもしろく,これは翻訳の力もあるように思われる。原文はまったく参照していない立場ではあるが,日本語だけ読んだ感じでは名訳のように思われる。美術史に関心のある人には何の問題もなくお勧めできる本。
印象派はこうして世界を征服した著者:フィリップ フック
白水社(2009-07)
販売元:Amazon.co.jp
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Posted by dg_law at 01:00│Comments(0)│