2011年02月11日

第181回『サイコバブル社会』林公一著,技術評論社

ネット上で林先生と言えば,探偵ナイトスクープ顧問料理人の林先生か,精神科医で「まさかとは思いますが、この「弟」とは、あなたの想像上の存在にすぎないのではないでしょうか。」で有名な林先生の二人であると思う。ちなみに,ぐぐると1・2番目に後者が出てきて,3番目に前者が出てくる。本書の著者は言うまでもなく,後者の精神科医のほうの林先生である。本書は現在の精神病を取り巻く状況を描く。具体例として鬱病(うつ病),アスペルガー障害,アルコール依存症,PTSDが挙げられているが,それぞれ挙げられていることに違う意味を持つ。

たとえば,うつ病は近年知名度が上昇し,「うつ病患者をむやみに励ましたらダメ」という程度は誰でも知っているレベルにまで到達した。一方,精神病としての「うつ病」と,巷で言われるうつ病には乖離が存在する。精神病とは脳の機能不全・異常による精神の変調であるから,明確に病気である。しかし,特にうつ病の場合,表面上は正常の落ち込みと見分けがつかないところが困難であるため,正常な落ち込みまでもうつ病と素人判断される風潮が広まってしまった。

なぜ林先生がこれだけばっさり行ったのかについての説明がなされている。何かはっきりした原因で気分が落ち込んでいる状態で,かつその原因をとりのぞけば復調するものは,「正常な気分の落ち込み」であり,うつ病ではない。この方の場合,原因は失恋で明白であり,脳の機能に異常が見られないのだから,精神病ではない,というのが林先生の判断である。

加えて,あまりにもうつ病が特権的地位を得てしまったため,擬態うつ病などという現象まで登場した。うつ病と診断されれば,周囲の人がいたわってくれる。だから皆,気分が落ち込んだ時にはうつ病と診断されたがる。しかし,擬態うつ病患者に薬を投与しても,治らないどころか悪化する可能性がある。林先生はこれを大きく危惧している……といった具合である。


共通して言えることは,精神病の場合「正常」と「異常」の境界があいまいで専門家にも判断が難しく,患者本人や社会の要請により境界はしばしばゆらめく。ではグレーゾーンをひとまずすべて異常と判断し,治療するほうが良いのではないか?とする意見も多い。しかしそのためには膨大な精神科医が必要で医療費も膨れ上がる。実際,近年の精神科医の開業数や,抗うつ剤の売上は完全に右肩上がりである。ゆえに,サイコバブルは製薬会社の仕業という陰謀論まで存在する。

一方,前述のうつ病のように,必ずしもなんでもかんでも異常と判断することが良いとは限らない。うつ病と擬態うつ病の関係に限らず,それぞれの精神病にはそれぞれ特有の問題がつきまとう。そもそも,誰かしら人生のどこかのタイミングで大きく落ち込んだり,何かに依存することや,たまたまその集団の空気をまったく読めなかったりすることはある。それらを含めて,なんでもかんでも異常として診断いたら,冗談抜きで,むしろ健常者が消滅してしまう。これがサイコバブル社会の正体である。その根底にあるのは,精神病の生半可な知識の流布と急激に成長する精神病世界に社会が追いついていないことだ。安易な診断をしてしまうことを,林先生は精神科医にも世間にも警鐘を鳴らしている。

だが,本書はその予測を立てているだけで,解決策は提示していない。まあ問題が巨大すぎて簡単に解決策を提示できるようなものでもないが,何かしら言ってほしかったとは思う。また,段落変えが多く,「だ・である」調と「です・ます」調が統一されていない部分があるため,ちょっと読みづらかった。しかし,誰しもが言いづらい内容をずばっと言い切った本書の挑戦心は大きく買いたいと思う。本書の内容を主張しにくい風潮そのものが,サイコバブルを生んでいる原因であり,本書が出版されたこと自体に意義があるのではないか。


サイコバブル社会 ―膨張し融解する心の病― (tanQブックス)サイコバブル社会 ―膨張し融解する心の病― (tanQブックス)
著者:林 公一
技術評論社(2010-06-25)
販売元:Amazon.co.jp
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