2011年02月15日
エロゲ終末物と崇高論
・理想の終末と崇高(エロゲ文化私観)
おもしろい話なので,個別に取り上げる。いろいろエロゲネタバレ注意。
カントに則る古典的な定義では,崇高は数学的崇高と力学的崇高に分けられるが,「終末的崇高」は力学的崇高の一種であり,進化系・分家とも考えられるだろう。もっとも,廃墟を扱うのはロマン主義にとって常套手段であり,これまでの権威の破壊に伴う恐怖と畏敬については,崇高概念誕生の当初から存在していた。こうなってくると先祖探しをしてもしょうもないのだが,明確に結びついたという点ではやはりサルヴァトール・ローザが欠かせないだろう。正直な話,ジョン・マーティン一人に帰するのは違和感が大きい。
18から19世紀の変わり目に,ナショナリズムとともにヨーロッパ中で流行した崇高的ロマン主義は,非常に政治に近い概念であった。ゆえに,その芸術はウィーン体制下において抑圧された。美術の状況をそれぞれ見ると,イギリスでは政治から遊離し,ターナーらによって風景画と結びついた。アメリカでもハドソン・リヴァー派が有名である。フランスは当事者だけあって革命の熱気が収まらず,1830年の七月革命を題材とした《民衆を導く自由の女神》に代表されるように,歴史やオリエンタリズムがその題材となった。一方,ドイツは抑圧が激しかったために,崇高は打ち捨てられ,題材は同じなのに雰囲気の違う「感傷的(センチメンタル)」な作品が流行するようになった。この時期をビーダーマイヤー期と呼ぶ。
何が言いたいかといえば,崇高が飽きられるとセンチメンタリズムに流れるのは自然なことであり,あまり不思議なことではない。ただし,その変遷がエロゲで起きたのはおもしろい現象だ,ということ。私自身はそうした視点でエロゲを鑑賞していなかったので,『eden*』と『そして明日の世界より−』に関する指摘は目からウロコが落ちた。なるほど,言われてみればあの2作品はかりそめの崇高と,その後に訪れるセンチメンタルを描いた作品だ。この視点は非常に美学的でおもしろい。両作品とも,かりそめの崇高のために一応既存の権威を借用しているのは指摘しておくべき点で,『そして明日の世界より−』のほうは言うまでもなく主題歌が『Amazing Grace』。『eden*』のほうは「アスタリスクは赤い星で、マルスの星」という説明がなされているが,これはedenというタイトルがユダヤ・キリスト教系の由来であるため矛盾している。
挙げられていないところでは『SWAN SONG』が終末物だが,あれはセンチメンタルとは相当程遠く,むしろ崇高ではあるだろう。一方,『ネコっかわいがり』は崇高でもセンチメンタルでもなく,絶望感しかない。こうしたもの違いは,崇高とは極めて感覚的なもので,特に視覚に拠った概念だからということで説明できる。『SWAN SONG』は猛吹雪に閉ざされた環境に,廃墟となった教会(既存の権威)という描写があるからこそ,崇高である。『ネコっかわいがり』は世界壊滅の原因が病原菌にあるため,視覚的に弱い。さらに,世界の滅亡が最後の最後まで秘匿されるため,感傷的でもない。終末物としてはかなり特異であり,本作の特徴と言えるだろう。
あとはまあ,厳密にはエロゲではないけども『planetarian』も終末物でかつ崇高ですかね。『天使の二挺拳銃』もある意味終末物なんだろうけど,あれはゲーム自体の出来がなぁ……
おもしろい話なので,個別に取り上げる。いろいろエロゲネタバレ注意。
カントに則る古典的な定義では,崇高は数学的崇高と力学的崇高に分けられるが,「終末的崇高」は力学的崇高の一種であり,進化系・分家とも考えられるだろう。もっとも,廃墟を扱うのはロマン主義にとって常套手段であり,これまでの権威の破壊に伴う恐怖と畏敬については,崇高概念誕生の当初から存在していた。こうなってくると先祖探しをしてもしょうもないのだが,明確に結びついたという点ではやはりサルヴァトール・ローザが欠かせないだろう。正直な話,ジョン・マーティン一人に帰するのは違和感が大きい。
18から19世紀の変わり目に,ナショナリズムとともにヨーロッパ中で流行した崇高的ロマン主義は,非常に政治に近い概念であった。ゆえに,その芸術はウィーン体制下において抑圧された。美術の状況をそれぞれ見ると,イギリスでは政治から遊離し,ターナーらによって風景画と結びついた。アメリカでもハドソン・リヴァー派が有名である。フランスは当事者だけあって革命の熱気が収まらず,1830年の七月革命を題材とした《民衆を導く自由の女神》に代表されるように,歴史やオリエンタリズムがその題材となった。一方,ドイツは抑圧が激しかったために,崇高は打ち捨てられ,題材は同じなのに雰囲気の違う「感傷的(センチメンタル)」な作品が流行するようになった。この時期をビーダーマイヤー期と呼ぶ。
何が言いたいかといえば,崇高が飽きられるとセンチメンタリズムに流れるのは自然なことであり,あまり不思議なことではない。ただし,その変遷がエロゲで起きたのはおもしろい現象だ,ということ。私自身はそうした視点でエロゲを鑑賞していなかったので,『eden*』と『そして明日の世界より−』に関する指摘は目からウロコが落ちた。なるほど,言われてみればあの2作品はかりそめの崇高と,その後に訪れるセンチメンタルを描いた作品だ。この視点は非常に美学的でおもしろい。両作品とも,かりそめの崇高のために一応既存の権威を借用しているのは指摘しておくべき点で,『そして明日の世界より−』のほうは言うまでもなく主題歌が『Amazing Grace』。『eden*』のほうは「アスタリスクは赤い星で、マルスの星」という説明がなされているが,これはedenというタイトルがユダヤ・キリスト教系の由来であるため矛盾している。
挙げられていないところでは『SWAN SONG』が終末物だが,あれはセンチメンタルとは相当程遠く,むしろ崇高ではあるだろう。一方,『ネコっかわいがり』は崇高でもセンチメンタルでもなく,絶望感しかない。こうしたもの違いは,崇高とは極めて感覚的なもので,特に視覚に拠った概念だからということで説明できる。『SWAN SONG』は猛吹雪に閉ざされた環境に,廃墟となった教会(既存の権威)という描写があるからこそ,崇高である。『ネコっかわいがり』は世界壊滅の原因が病原菌にあるため,視覚的に弱い。さらに,世界の滅亡が最後の最後まで秘匿されるため,感傷的でもない。終末物としてはかなり特異であり,本作の特徴と言えるだろう。
あとはまあ,厳密にはエロゲではないけども『planetarian』も終末物でかつ崇高ですかね。『天使の二挺拳銃』もある意味終末物なんだろうけど,あれはゲーム自体の出来がなぁ……
Posted by dg_law at 00:21│Comments(2)│
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この記事へのコメント
正確には終末物ではないけど、最近だと『ソラノヲト』はかりそめの崇高→センチメンタルの例かもしれないと思った。Amazing Graceが作中で出て来て、かつ基本滅びつつある世界の日常を描いてる点では。
セールス的には滅びという名の絶望だけだったけど…
何だかんだで未プレイエロゲが多いので、手が空いたらやっときたいなあ。終末エロゲ。
スパイラルマタイ!
セールス的には滅びという名の絶望だけだったけど…
何だかんだで未プレイエロゲが多いので、手が空いたらやっときたいなあ。終末エロゲ。
スパイラルマタイ!
Posted by ネ右 at 2011年02月16日 00:43
お主なら天使ノ二挺拳銃につっこんでくれると思ってたのに!w
『ソラノヲト』見てないけどAmazing Grace人気だなおい……
まあ賛美歌自体が相当使いやすく,Amazing Graceは日本でも知名度高いってのが大きいんだろうけど。
俺自身,かなり好きな曲。『明日世界』のAmazing Graceはかなり聞いてるなぁ。
ブコメでも書いたけど,『終ノ空』はあえて出してない。まああの作品に崇高もセンチもないわね。哲学系だから,崇高は逆に出しにくいんでしょうね。
『ソラノヲト』見てないけどAmazing Grace人気だなおい……
まあ賛美歌自体が相当使いやすく,Amazing Graceは日本でも知名度高いってのが大きいんだろうけど。
俺自身,かなり好きな曲。『明日世界』のAmazing Graceはかなり聞いてるなぁ。
ブコメでも書いたけど,『終ノ空』はあえて出してない。まああの作品に崇高もセンチもないわね。哲学系だから,崇高は逆に出しにくいんでしょうね。
Posted by DG-Law at 2011年02月17日 00:25