2011年04月25日

第188回『ゾロアスター教』青木健著,講談社選書メチエ

本書はゾロアスター教を中心とする,古代のアーリア人の宗教についての本である。「古代アーリア人」とは紀元前二千年紀の世界において中央アジアにいた原始的な遊牧生活を営んでいた印欧語系の集団である。この一部が紀元前1500年頃にインド北部に侵入し,また一部がイラン高原へ移住してイラン人となった。この時点ではいずれも世界全体から見れば辺境の諸地域に広がった少数派に過ぎないのだが,インドの一派はドラヴィダ人を征服,混血しながらガンジス川流域へ進出し,カースト制をインドに根付かせ,やがてヒンドゥー教へと発展する。一方,イラン人となった一派もアケメネス朝ペルシア帝国がオリエントを征服して,一躍歴史の最先端地域の表舞台に立った。

さて,この移住前後の中央アジアにおける古代アーリア人の宗教とはいかなるものであったのか。文献史料が存在しないため研究は困難だが,アケメネス朝以後のゾロアスター教やヒンドゥー教の共通点から類推は可能である,というのが20世紀のアーリア人研究の手法らしい。そもそも伝説に従えば,ゾロアスター教の開祖ザラスシュトラ・スピターマの出身地自体がソグディアナ地方(現在のウズベキスタン)にあたり,活動時期も紀元前12〜9世紀頃とされるから,まだ移住の途上の段階である。

そしてこのゾロアスター教は現在こそイスラーム教に染まる前のイラン人の代表的宗教のように扱われているが,実はその浸透に長い時間がかかっており,混在の状況が千年近く続いた。完全に他の古代アーリア人の宗教を駆逐しきったのはササン朝の国教に採用されてからだが,これも偶然によるところが大きい。ササン朝の開祖が,ゾロアスター教系の神官の家系でなければ,これほどの大繁栄を遂げることはできなかった。したがって聖典『アヴェスター』が国家主導で編纂されたのも,ササン朝の初期,3世紀後半頃である。これはその成立にゾロアスター教の影響が見られるユダヤ教と逆転して,『旧約』よりもかなり遅い成立になる。改めて言えば,本書はゾロアスター教の成立過程を追いながら,古代アーリア人の原初的宗教風景を描き出そうとするものである。

それでも,ザラスシュトラが天才的な宗教家であったことは疑い得ない。善悪二元論により,宗教が倫理性を持ったこと。救世主思想,終末思想と最後の審判(もっとも救世主思想と最後の審判は,正確には弟子の発想らしいが)。このあたりのエッセンスだけが抜き出されて,ユダヤ教に影響を与えた。一方,ゾロアスター教は乾燥地帯の遊牧民的な土着の色彩も濃く,有名な鳥葬,やたらと聖水として牛の尿を用いること,犬も聖獣の一種であること等々。この民族色を薄く出来なかったところがゾロアスター教の限界であり,世界宗教になれないどころかユダヤ教未満の脆弱さを露呈し,ほとんど滅んでしまった。なんと,『アヴェスター』の約70%は現存していない。

本書はその後のイラン人がたどった歴史も扱っている。イラン高原に残ったイラン人はイスラーム教に改宗しゾロアスター教は捨てたが,そこは世界宗教イスラーム教なので,教義に反しない範囲での生活習慣として,ゾロアスター教的要素は暗に生き残った。逆にインドに亡命したゾロアスター教徒は(いわゆるパールスィー),アフラ・マズダに対する信仰としてはぶれなかったが,それまでの理知的なゾロアスター教から儀式・祈祷中心のヒンドゥー教的色彩の強いものに変質してしまい,農耕民族になったため生活習慣としても「イラン人」ではなくなってしまった。こうして,別々の部分だけが残り,完全なゾロアスター教徒が現存していないところに,この宗教の悲劇がある。


総じて,非常に綺麗にまとまったゾロアスター教の紹介本と言える。著者はこの次に『マニ教』も刊行しているのであわせて読みたい。


ゾロアスター教 (講談社選書メチエ)
ゾロアスター教 (講談社選書メチエ)
クチコミを見る


この記事へのコメント
『新ゾロアスター教史』発売記念アゲ

ただし青木健先生の著書や主張にはわりと批判もあるようです
https://www.jstage.jst.go.jp/article/rsjars/83/3/83_KJ00005929517/_article/-char/ja/
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jorient/51/1/51_201/_article/-char/ja/
学問の世界はキビシー

青木先生の著作を読んでゾロアスター教=遊牧民出自のゾロアスターによる遊牧民的宗教だと理解していたら「ホラズム出身説は主流ではない」とか一刀両断にされていて震えました
青木先生の本は面白いのですが筆致がちょっと軽すぎないかなーと思っていたら内容も……ですかね

https://web.archive.org/web/20100406211504/http://d.hatena.ne.jp/Zarathustra1951-1967/20100309

孤立語と孤立した言語のあたりの間違いは言語学を少しでも囓ればすぐに分かるので言い訳できないですね。これはプロの犯行なのでは……
Posted by request his pen at 2019年04月03日 12:34
そうなんですよね。
この書評を書いた当時は全然知らなかったんですが,ちょっと後くらいに批判も多いことを知りました。

ホラズム出身説の否定のすぐ後ろに「初学者や他分野の研究者は,本書の概説を参考にすべきではない。」とあるのもなかなか強烈です……
今気づいたんですが,j-stageにある2つめの書評は春田晴郎先生によるものなんですね。あの人も分野が広いですね。
Posted by DG-Law at 2019年04月04日 10:15