2011年06月08日

G線上の魔王 レビュー

『車輪』の反省がいろいろと見られるが,そのせいで惜しいことになっている作品。なんだかんだで同人版の『A profile』もやってるのでるーすぼーいはこれで三作やっているが,彼は本当にヒューマンドラマを描きたいんだなと,本作までやってようやく確信した。しかし,るーすぼーいが世間的に評価されているのは,ヒューマンドラマよりも「飛び道具」的な仕掛けのおもしろさのほうが大きいはずである。実際私もそうだと思う。特に『車輪』は,ヒューマンドラマとしてはやや陳腐で,しかも飛び道具のための諸設定のアクが強すぎて,シナリオの側が随分振り回されていた。結果的に,仕掛け以外はあまり評価したくない作品であった。一章はかなり評判良かったが,私はあまり感動しなかった。(なお,『A profile』は飛び道具の仕掛けが弱く,やはりありがちなシナリオではあったがバランスは取れていたし,後の片鱗を感じ取れる作品ではあった。嫌いな作品ではない。)

それに比べると『G線』は,飛び道具が幾分後退し,ヒューマンドラマをうまく成立させようとしている努力は見られた。そして,それはある程度成功していたように思う。確かに人間の感情を主眼に置いた描き方であり,テキストも乗っていたし,椿姫・花音のシナリオはおもしろかった。ここは素直に評価したい。しかし,いかんせん飛び道具が作品全体を牽引している構造にはなっており,この飛び道具が弱かったため,終盤のインパクトを欠く作品となってしまっている。これはるーすぼーいがライターとして抱えるジレンマであり,しかも非常に解消しがたいものではないかと思う。

こう書くと「『車輪』と比較するから良くないのではないか」,「『G線』に期待するものが間違っていたのではないか」と言われるかもしれないが,それは間違いである。私は出来さえ良ければ,全く飛び道具のないヒューマンドラマでも評価したし,その意味で『G線』には何も期待していなかった。しかし,ふたを開けてみれば結局仕掛け頼りの構造にしたのはるーすぼーいの側である。ならば,作品論・作家論として「るーすぼーいはこの構造でなければヒューマンドラマを書きづらく,結果としてドラマと設定が飛び道具に振り回されるジレンマを持つ」と言うことは可能だろう。


それ以外では,聞いてよかったのか聞かずにいるべきだったのかが微妙なのだが,魔王の正体が遡及的過去形成だというのは正直な話,減点要素である。前から言っているように,確かに私はKanon問題において決定論犠牲説をとっているが,それは『Kanon』限定の話であり,そもそもKanon問題は生じる作品個々において判断されるべきだ,というのが私の正確な主張である。この観点から言って,『G線』も『Kanon』同様に,そこそこはぼかしておくべきだったのだ。作品内で匂わせてしまっている,かつ確定させたのはファンブック内での発言とはいえ,遡及的過去形成であることをライターの側が明言すべきではなかった。その上「ある章ではライターのほうでも決めてない」と言われてしまっては,飛び道具がずばり「魔王の正体」そのものであるだけに,こちらとしては仕掛けも何もあったもんじゃないだろこのゲーム,という感情を抱いてしまう。どうせそこまで考えてなかったのなら尚更,「あとは皆さんの想像にお願いします」にしておけば良かったのに。

これに関連して。本作の作品分岐は『Stein's Gate』及び『穢翼のユースティア』と同じで,メインヒロインへの一本道の途中各章から個別ルートが分岐し,サブヒロインのルートは短く終わるという,擬似的な一本道構造をとっている(『ユースティア』についてはそちらで書いた)。本作を遡及的過去形成で確定させたのは,この構造が関係あると思う。ぶっちゃけて言えば『ユースティア』も『シュタゲ』もこの構造のせいで個別ルートは半ばバッドエンドになるが,『G線』では魔王の正体が変わるおかげで,十全とは言えないにしても一応ハッピーエンドと言えるようにはなっている。これを踏まえれば,確かに遡及的過去形成を採用した意味が生きてくるので,必ずしもマイナス効果だけではなかったと言える。

しかし,それならそれで作中で,個別ルート内で魔王の正体をはっきりと明示させてしまい,「良かった……あのかわいそうな人は救済されたんだね」としておけば,何も問題なかった。それが出来なかった理由は割と明白で,仕掛けに不備があるので下手に作中で正体を確定させると思わぬ矛盾が生じる可能性があり,管理しきれなくなってやめたのだろう。これはこれで一つの英断だとは思う。だが,「魔王の正体」という飛び道具があまり強くなかった上に,正体が判明してからの,肝心のメインルートであるハルシナリオが終盤超展開の嵐なので,そこまでぶん投げたならいっそのこと『車輪』並の仕掛けでも良かったんじゃないのか?という疑問さえ浮上した。このシナリオと仕掛け(主に飛び道具)と設定と分岐構造のちぐはぐさが,ヒューマンドラマとしてはそれなりに悪くなかったのをぶち壊していると思う。結局,飛び道具を弱くした程度ではジレンマは脱却できなかった,という三段落前の話に戻ってしまう。るーすぼーい作品をやることはおそらく二度と無いと思うが,彼は次,ジレンマ脱却のためにまったく飛び道具なしで書いてみるべきだと思った。


じゃあメッタメタにけなして終わりかというと,クラシック好きとしてBGMの使い方は評価しておきたい。確かにアレンジの出来はピンきりだったり原曲ブレイクしすぎていているのもある(第九のアレンジであれはないだろと思っている)。が,選曲そのものとアレンジの方向性,またそのBGMが流れる場面とその原曲が持つ意味合いなどの兼ね合いは素晴らしく,この観点では概ね賞賛できる。たとえば,朝の曲がペール・ギュントのあれなど基本を踏まえる一方,ハチャトゥリアンの剣の舞がふぬけ風のアレンジになっていて気の抜ける場面での起用,小フーガト短調が「交錯」など。この点は考えられた配置をしていると思う。原曲の一覧へのリンクを張っておく。参照されたし。あとはアレンジさえ良ければこの点は文句なく満点だった。余談にはなるが,本作のタイトル画面は章が進むごとに変わり,タイトル画面曲の『G線上のアリア』が次第に楽器が増えて豪華になっていく。この仕掛けは他作品だと『月陽炎』では見たことがあったが,割と好きな仕掛けである。


今回はネタバレゾーン無し。点数としてはクラシックで下駄をはかせて75点弱くらい。下駄はかせなければもうちょっと低いし,ぶっちゃけて言えば椿姫・花音のほうが評価高いので,ハルシナリオだけ考えるならもうさらに低い。


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