2011年06月21日
第192.5回『悪霊(1)(2)』ドストエフスキー著,亀山郁夫訳,光文社古典新訳文庫
完結してないのにうっかり買ってしまい,読み通したはいいが物語があまりにも複雑で登場人物が多く,3巻が出るまでに内容を忘れそうであるため,半ば備忘録的に感想を残しておこうと思った。よって,ナンバリングは0.5回である。
論点は2つ。第一点。既読の『罪と罰』,『カラマーゾフの兄弟』でもそうだったが,ドストエフスキーは物語の雰囲気を作り出し,それをだれさせないまま維持することが巧みで,ストーリーテラーとしては(当たり前だが)超一流であるということを再確認した。ただし,物語の雰囲気はゆっくり創り上げていくタイプなので,どうしても冒頭は物語の方向性がつかめず,どこに連れていかれるのかわからない不安感がある。『カラマーゾフ』は遺作なだけあって,あれだけ長編であるにもかかわらず割とつかみはばっちりであったが,『罪と罰』はラスコーリニコフが実際に行動し始めるまでよくわからなかった。本作の場合はこの欠点がやや大きく,第1部の第1章は訳者が読書ガイドにも書いている通り,その後の展開の下地に過ぎず物語的には本筋とほとんど関係の無い描写が続く。真の主人公であるニコライ・スタヴローギンが登場するまでに100ページもかかるのは少々やり過ぎではないか。
その後も2章・3章は準備段階が続きどうしたものか,と戸惑うのが典型的な読者像ではないかと思うのだが,これだけじっくり雰囲気をつくってきただけあって,第1部のラスト,シャートフがスタヴローギンにグーパンチしたところから突然弾ける。第2部以降の『悪霊』の雰囲気は一言で言って狂騒以外何物でもないと思うが,第2部に入った途端,第1部の展開は全て嵐の前の静けさの演出に過ぎなかったのだということを悟らされ,かつ狂騒の雰囲気は収まるどころか次第に増していく。読んでいてこちらがはらはらさせられる,まだ何も事件が起きていないのに。無論狂騒の張本人はピョートル・ヴェルホヴェンスキーであり,第1部の時点ではスタヴローギンとともに「こういう悪目立ちする奴はいる」という程度の印象だったのに,第2部になって随分キャラが深くなった。こいつこそ紛れもなく悪霊だ。第3部はとうとういろいろ事件が起きていき,狂騒はクライマックスへと向かっていくわけだが,楽しみにしておく。と同時に,中短編ではこの方式で雰囲気作りができないわけで,どうしているのか気になった。次は『地下室の手記』でも読もうか。
もう一つは,ドストエフスキーは真っ当な恋愛描写ができないのではなかろうかと。これを某人には言ったら,「中二病的に女性を神格化させたらなかなかだけど,具体的な人として恋愛を書くのは苦手かも」という返答をもらった。これには完全に同意である。これはまあ美点というよりは欠点だと思うのだが,ドストエフスキーの場合,何を書かせても社会的になるか宗教的になってしまうところは多分あって,こと恋愛劇に限ればこれは相当余分な要素がくっついてしまっているのではないかと思う。おかげで本作でも足が悪く精神も病んでいるマリヤ・レビャートキナについては描写が豊富だが,ダーリヤやリーザについては特筆すべき動きがない。
前出の某人はついでに「そういうリアルな人の機微はチェーホフ先生に任せておきましょう」とも言っていた。まあチェーホフ読んだことがないので何とも言えないが,私が最近読んだものとしてはトルストイの描写の細かさとは大きな違いだなと思った。最後に。また足の悪い女のかよ。カラマーゾフとネタかぶってんよ(カラマーゾフのほうが後だけど)。
悪霊〈1〉 (光文社古典新訳文庫)
著者:フョードル・ミハイロヴィチ ドストエフスキー
販売元:光文社
(2010-09-09)
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悪霊〈2〉 (光文社古典新訳文庫)
著者:フョードル・ミハイロヴィチ ドストエフスキー
販売元:光文社
(2011-04-12)
販売元:Amazon.co.jp
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論点は2つ。第一点。既読の『罪と罰』,『カラマーゾフの兄弟』でもそうだったが,ドストエフスキーは物語の雰囲気を作り出し,それをだれさせないまま維持することが巧みで,ストーリーテラーとしては(当たり前だが)超一流であるということを再確認した。ただし,物語の雰囲気はゆっくり創り上げていくタイプなので,どうしても冒頭は物語の方向性がつかめず,どこに連れていかれるのかわからない不安感がある。『カラマーゾフ』は遺作なだけあって,あれだけ長編であるにもかかわらず割とつかみはばっちりであったが,『罪と罰』はラスコーリニコフが実際に行動し始めるまでよくわからなかった。本作の場合はこの欠点がやや大きく,第1部の第1章は訳者が読書ガイドにも書いている通り,その後の展開の下地に過ぎず物語的には本筋とほとんど関係の無い描写が続く。真の主人公であるニコライ・スタヴローギンが登場するまでに100ページもかかるのは少々やり過ぎではないか。
その後も2章・3章は準備段階が続きどうしたものか,と戸惑うのが典型的な読者像ではないかと思うのだが,これだけじっくり雰囲気をつくってきただけあって,第1部のラスト,シャートフがスタヴローギンにグーパンチしたところから突然弾ける。第2部以降の『悪霊』の雰囲気は一言で言って狂騒以外何物でもないと思うが,第2部に入った途端,第1部の展開は全て嵐の前の静けさの演出に過ぎなかったのだということを悟らされ,かつ狂騒の雰囲気は収まるどころか次第に増していく。読んでいてこちらがはらはらさせられる,まだ何も事件が起きていないのに。無論狂騒の張本人はピョートル・ヴェルホヴェンスキーであり,第1部の時点ではスタヴローギンとともに「こういう悪目立ちする奴はいる」という程度の印象だったのに,第2部になって随分キャラが深くなった。こいつこそ紛れもなく悪霊だ。第3部はとうとういろいろ事件が起きていき,狂騒はクライマックスへと向かっていくわけだが,楽しみにしておく。と同時に,中短編ではこの方式で雰囲気作りができないわけで,どうしているのか気になった。次は『地下室の手記』でも読もうか。
もう一つは,ドストエフスキーは真っ当な恋愛描写ができないのではなかろうかと。これを某人には言ったら,「中二病的に女性を神格化させたらなかなかだけど,具体的な人として恋愛を書くのは苦手かも」という返答をもらった。これには完全に同意である。これはまあ美点というよりは欠点だと思うのだが,ドストエフスキーの場合,何を書かせても社会的になるか宗教的になってしまうところは多分あって,こと恋愛劇に限ればこれは相当余分な要素がくっついてしまっているのではないかと思う。おかげで本作でも足が悪く精神も病んでいるマリヤ・レビャートキナについては描写が豊富だが,ダーリヤやリーザについては特筆すべき動きがない。
前出の某人はついでに「そういうリアルな人の機微はチェーホフ先生に任せておきましょう」とも言っていた。まあチェーホフ読んだことがないので何とも言えないが,私が最近読んだものとしてはトルストイの描写の細かさとは大きな違いだなと思った。最後に。また足の悪い女のかよ。カラマーゾフとネタかぶってんよ(カラマーゾフのほうが後だけど)。
悪霊〈1〉 (光文社古典新訳文庫)著者:フョードル・ミハイロヴィチ ドストエフスキー
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Posted by dg_law at 00:20│Comments(0)│