2011年09月07日

東方projectに関する一推察 特異点・転換点としての永夜抄

『東方永夜抄』は,弾幕STGのシリーズとしての転換点だったのではないか,という推察。


『紅魔郷』は出落ちとされる。東方なのに西洋ネタを持ってきた点を指してそう呼ばれるが,それに加えて一作目ということもあり,旧作から追ってない大半のユーザーのために,霊夢と魔理沙(とゲーム自体)の紹介にとどめ,設定の説明などは行っていない。それに対して『妖々夢』は以後続く和風のネタとなり,加えて旧作からアリスを連れてきて,冥界を登場させ,なにより八雲紫を登場させた。1作で,ゲームのシステムとは直接関係のない,幻想郷の設定に最低限必要不可欠なものと主要メンバーをおおよそ揃えてしまったように思う。それに比べると,永夜抄はゲームシステムとしても複雑で凝ってるし,幻想郷の根幹には関係のない月関係者を登場させた。ここで前期三部作のシナリオを比較してみると,『紅魔郷』だけ話が軽くて浮いている。これは『紅魔郷』が一作目であるため,紅霧というオーソドックスな異変らしい異変を用意したためであろう。また,幻想郷の危機どころかそもそも幻想郷の設定自体が固まっていない。『妖々夢』は春が来ないという大規模な異変で,『永夜抄』は月の様子がおかしい上にふたを開けてみると大結界も危ういという,幻想郷随一の危機であった(原因そのものは永琳の杞憂であったが)。

しかし,『萃夢想』こそ時系列的に微妙だが,『永夜抄』から『花映塚』,『文花帖』と普通の弾幕STGではないゲームが続き,丸3年経過してからやっと出たのが『風神録』だった。システムは神主本人の発言通りボムとしてのスペカさえない一気にシンプルなものになり,ストーリーとしても外界からの侵入者ではあるが,幻想郷を危機に陥らせるようなものではなかった。ここで残りの正規ナンバーのストーリーも思い返してみると,シリアス度は決して高くない。『地霊殿』は悪霊が湧き出てきたというやや危険度が高い異変だったが,実際には神奈子の手のひらの上でお空が踊っていただけだったに過ぎず,実は霊夢が出向くまでもない異変であった。『星蓮船』は言うまでもないし,『神霊廟』もああいうオチだった(と店舗販売開始まではぼかしておく)。正規ナンバー以外では唯一,『緋想天』が博麗神社倒壊という危機が発生したものの,異変の張本人はただのかまってちゃんだった。いずれにしても,『妖々夢』・『永夜抄』に匹敵する幻想郷そのものの危機は存在しないように思われる。

してみると『永夜抄』が東方projectのストーリー展開における転換点だったのではないか,という推察が浮上してくる。では,なぜ神主は『永夜抄』でストーリーを軟化させる方向に転換したのか。本人に聞くのが一番手っ取り早いのではあるが,おそらく本人は「そこまで深く考えてない」とか答えそうなところである。しかし,実際にインタビューをする機会もなく,この場は別に真っ当な検証をしているわけではないので,単なる邪推に留めたい。邪推の内容としてはひどく単純で,おそらく神主は『永夜抄』製作中か完成時に東方にシリアス路線は向かないということに気づいたのではないか,というものである。というよりもこの2つは表裏一体である。なぜなら,あくまで東方は「弾幕ごっこ」であるということを貫くのであれば,異変は霊夢が失敗したら幻想郷が傾くようなものであってはならないからである。神主は東方諸作品が満身創痍になったら1面からやり直せるのは,実際のところ異変にほとんど緊急性がなく異変を起こす側も解決される前提で起こしているから,というようなことを述べていたが,これに則るのであれば,『妖々夢』は確かに一日2日冬が伸びたところで大したことはなく,シリアスさは若干低下する。一方,『永夜抄』はこの観点でも危うい。一夜限りの解決が求められている上に,いかに時間を止めているとはいえ,そう何度もチャレンジできるような尺ではないはずである(まあ強引に解決するなら,万能工具である紫が時空の境界を操ってこっそり時間を戻している等の言い訳はできなくはないが……)。

また,スペカルールの明確化自体はかなり早い。現実世界の時系列を追ってみると,スペカルールの制定内容・目的が明確になったのが『東方求聞史紀』で,これは『永夜抄』よりもかなり後になる。しかし,まず手がかりとして『永夜抄』前からすでに連載が始まっていた『東方香霖堂』がある。1話で霊夢は名無しの本読み妖怪をぼこぼこにしているが,そのときにスカートがやぶけた話しかしていない。2話(旧1話後編)はその朱鷺子がリベンジに来るが返り討ち。そして注目すべきは第3話(旧2話)で,ここで霊夢と魔理沙はスペカルールでの戦闘を行い,朱鷺の鍋を赤味噌で作るか白味噌で作るかという至極くだらないことを決めている(霊夢が勝って赤味噌に)。この公開のタイミングは2004年3月。『永夜抄』体験版の公開が翌月となる。また,『紅魔郷』のおまけにて「向こう2作の仕様ができている」と書いており,『紅魔郷』時点で,少なくともゲームの仕様上は前期三部作がすべて練られていたということになる。さらに,幻想郷掲示板のログまで追うと,2002年12月には「スペカルールを思いついたから東方を作った」という主旨の書き込みを行っている。

が,にもかかわらず二作目が『妖々夢』で,三作目が『永夜抄』であった。『永夜抄』が設定として重すぎ,取り扱いが困難であったため,それを解消するべく作られたのが『儚月抄』である,という連載開始時点での神主の発言で確認されるように,少なくとも『永夜抄』のストーリーが東方として浮いていたことは本人も自覚していた,ということはここで確認しておきたい。『永夜抄』にまつわるこのような自己矛盾は,おそらく本人がけっこう気にしたところではないか。なお『儚月抄』は,作品の質に関する賛否両論を横に置いておくとしても,『永夜抄』をシリアスゆえの荷重から解放することには明確に失敗している。結局のところ,やはり東方原作に(もしくは神主の創作手腕に)完全なシリアスは向かなかった。

おりしも『永夜抄』発売の頃に第一次東方ブームが訪れ,ファンの人数が急増した。元々大ヒットする予定で作られた作品群でもなく,予想外の事態であったのだろう。この先展開するのであれば,あまり設定を明確に定めるのは好きではないとはいえ,最低限スペカルールとストーリーが衝突してしまうのはまずい。そこで一旦,小休止として普通の弾幕STG以外のものを作ってみたり,『香霖堂』に加えて『三月精』の連載を初めてみたりと手を広げ,次の路線への葛藤を解消していったのがこの3年間だったのではないか。というのがこの推察の結論である。

蛇足ながらもう二点ほど指摘すると,まず前期三部作は6ボス,EXボスの能力が穏やかに弾幕STGするには突飛であるか,本人の設定がえらいことになっている。まあ八雲紫は仕方がないとして除外しても,「運命」「破壊」「死」「永遠と須臾」ときて,永琳に至っては「天才」と来た。月の都創設者の一人というのは後付け設定としても,飛んでいる。それに対し,『風神録』以後は神様が登場するなどラスボス・EXボスの位格や(弾幕外の)強さは維持されても,「概念」を操作するような類の能力は出てきていない。「乾坤」はとても具体的だし,「核」「無意識」「魔法」「正体」と物騒ではあっても「運命」や「死」に比べれば落ち着いている。これも,突飛な能力は弾幕ごっこに向かないという判断からではないだろうか。

次に,『永夜抄』までは古代日本の逸話を題材にするとしても神話を持ち出さなかったのに対し,『風神録』以後は明確にその志向がみられる。『地霊殿』はほぼ神話外の話だが(八咫烏をカウントするか否か),代わりに和の古い妖怪を多数出しており,この傾向も『風神録』以後に共通する(『永夜抄』以前の1〜4ボスはカタカナが多く,例外は慧音くらいで,白沢も元は中国の妖怪)。『永夜抄』も結果的には日本神話に通じていくのだが,この点が『儚月抄』での最大の後付け設定であり,そして『儚月抄』が本来の目的を果たせなかった理由のような気がしてならない。日本神話につなげたせいで,ストーリーが軽くなる方向に働かず,ああした事態になったのではないか。

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