2011年11月10日

素晴らしき日々―不連続存在― レビュー

(11/14ネタバレゾーンに追記有。)非常に評判の良い2010年の傑作。SCA自本人は下敷きにしただけと言っているが,実質的には『終ノ空』のリメイクである。ただし,ある大きな設定の変更が行われており,それに伴う部分の物語が改変されているほか,『終ノ空』にはなかった5・6章が追加され,変更された部分の設定が掘り下げられている。結果的に,物語全体として共通している部分は3〜4割ほどになるかと思う。

追加された設定自体はよくあるものなので,『終ノ空』との相違点を探しながらプレーすれば,4章冒頭でネタばらしされるまでにあっさり気づくと思う(私自身は2章中盤で気づいた)。その後は「ああ,設定がこう変わったから,ストーリー展開をこう変えざるをえなかったのか」,「ここは無理してでも残したっぽいなw」というのを探す観点で進めていくと,これはこれでなかなか楽しめる。たとえば三角木馬のシーンが『終ノ空』から引き継がれているわけだが,絶対に要らないだろと思っていたらうまいこと使ってて感心させられた。無論,『終ノ空』未プレイのほうが新鮮な気持ちで楽しめると思う。

ついでに言えば,全く同じトリックが使われた某作品も未プレイなら尚更楽しめるかなと思う。正直に言えば,トリックの使い方としてはあちらのほうが一枚上手だった。使い方がちょっと違うので,比較自体が不毛とも言えるが……本作は優れた作品であるため,すでに多くの論評・考察がなされている。その中では,案外となされていないのが某作品との比較なのかなと思うので,ちょっとだけ考えてみた。詳しくはネタバレ隔離の下で比較しているのでそちらへ。


先にネタバレしない範囲で感じたことを。SCA自は物勧めるのとキャラを描写するのは本当にうまくなった。キャラの描写としては特に,『H2O』のいじめ描写を踏まえているからこそ,2・3章は特に光ったというレビューを読んで,なるほどその通りだろうと納得した。間宮卓司にしろ高島ざくろにしろ橘希実香にしろ,いじめられる側の心理が非常に秀逸で欝になる事この上ない。あまりにも陰惨なので,これが原因でギブアップする人もいるんじゃないだろうか。

物の方も。本作も相変わらずシナリオとはあまり関係ないSCA自の衒学趣味満載で,これも『H2O』ではあまりにも脈絡なさすぎてちょっとげんなりしたが,『終ノ空』やあれに比べれば格段の進歩である。特に『シラノ・ド・ベルジュラック』は本当に読みたくなった。で,東大図書館に『シラノ』を借りに行ったら『猫とともに去りぬ』と一緒に借りられてたわけだが,明らかに動機が同じである。怒らないから出てきなさい今度飲みましょう。ついでに,ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』はかなり昔に読んだことがあるが,当時は何を言っているのかさっぱりわからなかった。クザーヌスの『学識ある無知について』も部分的に読んだことあるが,感想としては由岐と同じで,とにかくこの人はがんばって三位一体を論証したかったんだな,という程度である。

あとは,クラシック好きとして一言だけ言わせてもらうと,「主よ,人の望みの喜びよ」を印象的に使ったエロゲは,『しろくまベルスターズ』以来2作目。にもかかわらず印象が違いすぎる。『しろくま』は素直で,単純に神への感謝の念が感じられ,思わず「ハッピーホリデーズ!」と叫びたくなる。これに対し,『素晴らしき日々』の使い方は卑怯,もしくは皮肉が効き過ぎと表することができよう。無慈悲な神なんていなくていい,というのは本作のテーマに沿ってるし,こうした使い方をしても似合うほどこの曲は深い情念をたたえているのは確かなのだが,やはり私としてはこの曲はあくまで神への賛歌であってほしいものだ。素直に聞けなくなったら恨む(笑)んだぜ。(曲と,ついでに引用文献のまとめはこちらに。


さて,以下は某作品との比較について。困ったことに某作品の名前を出した瞬間,どちらか片方をプレイしてない人に対して完全なるネタバレになるので,以下は必ず最低限『すば日々』をクリアしていること,かつ比較される某作品の見当がある程度ついている人のみ推奨,ということにしたい。万が一,それでもネタバレを踏んでしまった場合は大変申し訳ないが,がんばって見なかったことにしてください。

『俺たちに翼はない』との関連性について。どちらも解離性同一性障害が叙述トリックの核として使われている。だが,『俺つば』が正面から切り込んでったのに対し,こちらは「魂」の存在や宗教的なるものにスポットライトを当てたため,実はギミックに過ぎず真正面からは扱ってない。そういう意味では,『終ノ空』から軸が全くぶれていない。まあ,話としては相当面白くなり,マッシヴで破壊力のあるものに仕上がったため,ギミックにすぎないとはいえ,このネタを挿入したのは有りだったと思う。また,いろいろ引用しながらも電波ゲーのまま終わった『終ノ空』に対し(あれはあれで一種の爽快感があったが),ウィトゲンシュタインの独我論を引くことでうまいこと理論付けをなした。引用の中でうまいなと思ったのはここと『シラノ』と,ジャバウォックの詩である。本筋とアリスほとんど関係ないのに,わざわざこのために引っ張ったかと。

一方で,解離性同一性障害による多視点の使い方としては『俺つば』のほうがうまい。意識の主導権争いを意識下の殴り合いにしてしまったり,他人格を視認できてしまったり(『俺つば』は意識下でしかできない)とその辺について『すば日々』はおざなりで,SCA自は解離性同一性障害を描きたかったんじゃなくて「多重人格」の要素だけを使いたかったんだなと。事実,向日葵エンドでは多重人格の原因が障害でも魂の分裂でも,どっちいいじゃないかとばっさり流している。まあこの点を指して「使い方がうまくない」というのは,多重人格について人文系な方向からぶった切るという本作のメインテーマを思いっきり侵害してしまうので,あまり賢くない卑怯な批判とは言えるだろう。うまくない一方で「比較は不毛とも言える」と上記で評したのはこういう事情である。不満がないと言えば嘘になるが,プレイヤーとしても筆者にあわせて流すしかあるまい。

『終ノ空』に比べてずいぶんと明るいエンディングになったが,この12年ですかぢの心情になんぞやあったのか。SCA自本人は「本作の企画で一番キモになるのは、処女作『終ノ空』との決別にあります」と発売前に言っていたそうだが,決別は成功したと言えそうだ。


(追記)本作の倫理学的性質について。大したことではないが,一応注記しておきたい。

終わった後に様々なレビューを読み,意外と多くあって驚いたのが,本作への倫理的な問題点への指摘である。振り返ってみれば2章の分岐エンドは希実香と卓司が自殺して終わり,3章の「素晴らしき日常」エンドはトリックスター的に皆守が暴力的に解決して終わる(が,まあこれが最も幸福なエンドだろう。大量自殺は起きず,卓司の主人格もどうやら由岐で安定したようであるし)。トゥルーエンドと言える2つはどちらも大量自殺が起きており,「多重人格の別人格の所業とはいえ,多くの人を死なせた責任をとるべきではないか?」という疑問点は生ずる。裁判は行われ,別人格の行動という観点から無罪判決が出ているようであるが。

簡潔にまとまっているのはこのページの下段で,これに対して私は「本作のエンディングが概して非倫理的なのは,まさに倫理的命題とは「幸福に生きよ!」以外の結論が下せないという主張上わざとなんだろうな。私的には気にならんが,確かに逃げとも言いうる。」とコメントしたのだが,やはり気になる人は気になるのだろう。前期ウィトゲンシュタインの倫理学が抱える問題そのものであるから,そのまま本作の欠点となっている。「社会的タブーや倫理的問題に対してただ簡潔に「幸福に生きよ!」と叫ぶときの、その言葉はある種の乱暴さ・暴力性を孕んでしまうという指摘はまた無視してはならないと感じました。」というのはまさにその通りであり,「幸福に生きよ!」で押し通せるほどそう単純明快でもないのが現実世界である。ややこしいことに,「幸福に生きよ!」で全部ぶん投げること自体が一種の快楽になっており,本作を爽快感を与えてしまっている。

にもかかわらず私が気にしてないのは,端的に言ってこうした倫理学にあまり興味がないからであり,別に本作のウィトゲンシュタイン解説に感動したわけでもなければ「幸福に生きよ!」のフレーズに感動したわけでもない。むしろこの観点から言えば,本作の説得力は弱いと思う。私が感動したのは,本作の感動的なストーリーそのものであるということは,この場で明言しておかねばなるまい。

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この記事へのコメント
というか、思いっきりぶっちゃけてます。
ttp://twitter.com/#!/SCA_DI/status/5683015460061184
Posted by 通りすがり at 2011年11月11日 15:58
情報ありがとうございます。
両映画とも見てなかったのであらすじ読みましたが……超絶ネタバレですね。
コピペせずにtwitterのアドレスを貼ったのは正解だったと思いますw。
確かに,その元ネタを聞くとしっくり来ますね。

まあ,そのネタと『終ノ空』が合流したことが大事なのかなと。
Posted by DG-Law at 2011年11月11日 17:11