2012年02月09日
第203回『シラノ・ド・ベルジュラック』エドモン・ロスタン著,渡辺守章訳,光文社古典新訳文庫
読もうとした動機は某エロゲーではあるのだが,作中での紹介にあまりにも惹かれたために購入。そして実際におもしろかったのだから,これほど幸せな読書体験もあるまい。
本書のおもしろさは話の筋というよりは小気味良いテンポで刻まれた文章のおもしろさであるが,ここで本書が翻訳であるという問題点が浮上する。私は,本書の文章的おもしろさは,原文と訳文それぞれにあると思う。おそらく原文も天才的な文章なのだろう。しかし,読者にそう思わせるだけの訳文,というのはさらにすごい。その逆が起きて悲劇となることが珍しくないだけに。より正確に言えば,本書の訳文は原文の雰囲気を出そうという尽力が見られる。日本語訳で脚韻を踏むなどということは土台無理なのは踏まえられた上で,なんとかテンポだけはあわせようとしていたり,掛詞をも訳出しようとしている。
しかし,本書が真に素晴らしいのはその脚註である。本文が約370ページに対し脚註の量は80ページであり,比較的多い部類と言える。こうした脚註は固有名詞の説明で消費されるのが普通だが,本書の場合,脚註の多くは訳出の過程で削いでしまったもの,もしくは意訳になってしまった理由の説明に費やされている。場合によっては原文や先行する翻訳,さらに(本書は演劇が元であるので)近年演じられた演劇での使用例を紹介し,そこに自分の考えを盛り込んだ上で,本文の訳を説明している。訳者の「できれば原文を読者の脳に直接流し込んでしまいたい」とでも言うような執念を感じる註である。
もちろん,他の小説でもこうした作業はなされているのであろうから,その点本書が特別傑出しているとは言えまい。しかし,表に出してくれなければ,原文を知らない・専門知識のない読者にはそうした努力は見えてこない。下手をすると,先行する翻訳と読み比べて異なる部分を見つけてしまい,首を捻ったまま放置する羽目になる。本書はそうした努力をさらけ出している分,誠実であると思うし,誤訳に対する不安感が薄れる。普通これだけ脚註があると読みづらさを感じ,結局何がなんだかわからないまま読み終わることもしばしばあるが,それを感じさせなかったのは,やはり本文自身の力と言えるだろう。
(某エロゲーでも話題になったラストシーンもこの例に漏れず,翻訳者自身のこだわりもあり,なぜ「心意気」になったのかについて,丸々2ページ使って説明している。某エロゲーでは羽飾りとの掛詞であることは説明されたものの,由岐姉は微妙に納得が行っていない様子であった。しかし,この脚註においてなぜ本文で「羽根飾り」という言葉を使わなかったのかについてきちんと説明されているので,気になる人はこの脚註を読んでおくとよい。もっとも,ライター自身はそれでも納得行かなかったのであろうから,由岐姉にああいう説明をさせたのであろうが。)
物語の筋は至って簡潔で,いかにも文章・言葉で魅せるのだという心意気が感じられる。主人公シラノは天才的な詩人であり凄腕の剣客,博識な学者であるのだが豪放磊落な性格・歯に衣着せぬ物言いで敵が多く,なにより巨大な鼻を持つ醜男であった。一方,青年隊(軍隊)の同僚クリスチャンは美男子であり性格も良い貴公子ではあるのだが,詩文の才能はなく,また極度の上がり症で女性の前に出ると語彙が減るヘタレであった。この二人が同じ女性ロクサーヌに恋をして,協力してこの美女を落とそうとするのだが……前半はコメディタッチと言えなくもない軽いノリであり,ちょうど半分ほどのところで一挙に暗転,悲劇に向かって突き進んでいく。それでも終始明るい雰囲気がするのは,シラノの性格によるものだろう。
19世紀末のパリで本作が初演された時,当時の文壇や前衛的な芸術家は反動的だとして評価しなかった。一方,劇場に見に来た観客は熱狂的に歓迎し,『シラノ』はフランス演劇史上最大のヒット作となった。訳者による解題によれば,現在でもこのような評価はさほど変わっておらず,「できの良い商業演劇」と取られることも少なくないという。読んでみた感想としては,確かに本書は商業演劇・小説と受け取られても仕方がない面はあると思う。訳者自身「超絶技巧の台詞回し」と評しているように,はっきり言ってしまえば技巧主義的であり思想的な含意は薄く,当のフランス人にはわかりやすい方向での凄さだと言える。しかも非常にすかっとして気持ちのいい物語に仕上がっている。であれば,すでに印象派が受容された頃のフランス,パリであれば本作が支持された理由も理解できる。加えて,(さほど物語的な意味はないものの)史実の人物に一応の範をとっているように,本作の舞台は17世紀前半のフランスであり,また原文の文体は「定型韻文」という50年ほど前にロマン派が置いていったものであった。このように懐古主義や衒学趣味も端々に感じなくはない作品であり,そうした部分も,当時や現在の中・上流階級に対して通俗的に受ける理由であるだろう。
しかしまあ,私自身がそうした気取れない垢抜けない中流であるという自負と自虐を踏まえた上で,それでも本書はやはりおもしろかった。本書が芸術に値するか否かは私に知識も判断材料もないので明言できないが,それこそ印象派がありなら,本書の軽い方向に極められたおもしろさもありなのではないかと思う。様々な理由で,様々な人にお勧めする。
シラノ・ド・ベルジュラック (光文社古典新訳文庫)
著者:エドモン ロスタン
販売元:光文社
(2008-11-11)
販売元:Amazon.co.jp
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本書のおもしろさは話の筋というよりは小気味良いテンポで刻まれた文章のおもしろさであるが,ここで本書が翻訳であるという問題点が浮上する。私は,本書の文章的おもしろさは,原文と訳文それぞれにあると思う。おそらく原文も天才的な文章なのだろう。しかし,読者にそう思わせるだけの訳文,というのはさらにすごい。その逆が起きて悲劇となることが珍しくないだけに。より正確に言えば,本書の訳文は原文の雰囲気を出そうという尽力が見られる。日本語訳で脚韻を踏むなどということは土台無理なのは踏まえられた上で,なんとかテンポだけはあわせようとしていたり,掛詞をも訳出しようとしている。
しかし,本書が真に素晴らしいのはその脚註である。本文が約370ページに対し脚註の量は80ページであり,比較的多い部類と言える。こうした脚註は固有名詞の説明で消費されるのが普通だが,本書の場合,脚註の多くは訳出の過程で削いでしまったもの,もしくは意訳になってしまった理由の説明に費やされている。場合によっては原文や先行する翻訳,さらに(本書は演劇が元であるので)近年演じられた演劇での使用例を紹介し,そこに自分の考えを盛り込んだ上で,本文の訳を説明している。訳者の「できれば原文を読者の脳に直接流し込んでしまいたい」とでも言うような執念を感じる註である。
もちろん,他の小説でもこうした作業はなされているのであろうから,その点本書が特別傑出しているとは言えまい。しかし,表に出してくれなければ,原文を知らない・専門知識のない読者にはそうした努力は見えてこない。下手をすると,先行する翻訳と読み比べて異なる部分を見つけてしまい,首を捻ったまま放置する羽目になる。本書はそうした努力をさらけ出している分,誠実であると思うし,誤訳に対する不安感が薄れる。普通これだけ脚註があると読みづらさを感じ,結局何がなんだかわからないまま読み終わることもしばしばあるが,それを感じさせなかったのは,やはり本文自身の力と言えるだろう。
(某エロゲーでも話題になったラストシーンもこの例に漏れず,翻訳者自身のこだわりもあり,なぜ「心意気」になったのかについて,丸々2ページ使って説明している。某エロゲーでは羽飾りとの掛詞であることは説明されたものの,由岐姉は微妙に納得が行っていない様子であった。しかし,この脚註においてなぜ本文で「羽根飾り」という言葉を使わなかったのかについてきちんと説明されているので,気になる人はこの脚註を読んでおくとよい。もっとも,ライター自身はそれでも納得行かなかったのであろうから,由岐姉にああいう説明をさせたのであろうが。)
物語の筋は至って簡潔で,いかにも文章・言葉で魅せるのだという心意気が感じられる。主人公シラノは天才的な詩人であり凄腕の剣客,博識な学者であるのだが豪放磊落な性格・歯に衣着せぬ物言いで敵が多く,なにより巨大な鼻を持つ醜男であった。一方,青年隊(軍隊)の同僚クリスチャンは美男子であり性格も良い貴公子ではあるのだが,詩文の才能はなく,また極度の上がり症で女性の前に出ると語彙が減るヘタレであった。この二人が同じ女性ロクサーヌに恋をして,協力してこの美女を落とそうとするのだが……前半はコメディタッチと言えなくもない軽いノリであり,ちょうど半分ほどのところで一挙に暗転,悲劇に向かって突き進んでいく。それでも終始明るい雰囲気がするのは,シラノの性格によるものだろう。
19世紀末のパリで本作が初演された時,当時の文壇や前衛的な芸術家は反動的だとして評価しなかった。一方,劇場に見に来た観客は熱狂的に歓迎し,『シラノ』はフランス演劇史上最大のヒット作となった。訳者による解題によれば,現在でもこのような評価はさほど変わっておらず,「できの良い商業演劇」と取られることも少なくないという。読んでみた感想としては,確かに本書は商業演劇・小説と受け取られても仕方がない面はあると思う。訳者自身「超絶技巧の台詞回し」と評しているように,はっきり言ってしまえば技巧主義的であり思想的な含意は薄く,当のフランス人にはわかりやすい方向での凄さだと言える。しかも非常にすかっとして気持ちのいい物語に仕上がっている。であれば,すでに印象派が受容された頃のフランス,パリであれば本作が支持された理由も理解できる。加えて,(さほど物語的な意味はないものの)史実の人物に一応の範をとっているように,本作の舞台は17世紀前半のフランスであり,また原文の文体は「定型韻文」という50年ほど前にロマン派が置いていったものであった。このように懐古主義や衒学趣味も端々に感じなくはない作品であり,そうした部分も,当時や現在の中・上流階級に対して通俗的に受ける理由であるだろう。
しかしまあ,私自身がそうした気取れない垢抜けない中流であるという自負と自虐を踏まえた上で,それでも本書はやはりおもしろかった。本書が芸術に値するか否かは私に知識も判断材料もないので明言できないが,それこそ印象派がありなら,本書の軽い方向に極められたおもしろさもありなのではないかと思う。様々な理由で,様々な人にお勧めする。
シラノ・ド・ベルジュラック (光文社古典新訳文庫)著者:エドモン ロスタン
販売元:光文社
(2008-11-11)
販売元:Amazon.co.jp
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Posted by dg_law at 23:17│Comments(0)