2012年03月14日
第207回『十字軍物語3』塩野七生著,新潮社
2巻の感想に書いた通り,3巻では十字軍の残り全部,つまり第三次十字軍から最後の第八次十字軍まで扱っている。そのため,非常にせわしない構成になっている。しかも,第三次十字軍に大きく焦点が当たっているため,第四次以降はかなりの部分で事実の羅列に近いものがあり,塩野七生らしからぬ淡々とした描写と言える。
しばしば言われることだが,「塩野七生はリチャード獅子心王とサラディンを描き終わったところで満足したから残りは手抜き」というのは,半分正解で半分誤りであると思う。なぜなら,第四次十字軍・第六次十字軍については彼女が好きな人物が登場しているからだ(エンリコ・ダンドロとフリードリヒ2世)。にもかかわらず,これらの十字軍についての描写が簡素なのは,以前に著述が終わっているからである。第四次十字軍は『海の都の物語』で,第六次十字軍は『ルネサンスとは何であったのか』で十分に書いてしまっているので,今更言及する意味をあまり見いだせなかったのであろう。それでも第四次のほうが言及が多いのは,それだけエンリコ・ダンドロを愛しているというのもあるだろうが,『海の都』を書いたのが30年前で,まだしも振り返る気力が湧いたのだと思う。『ルネサンス』のほうは刊行が2001年で,文庫化に至っては2008年である。まだ『ローマ亡き後の地中海世界』を執筆中の時期であり,それだけ最近のことを再び書くのはそれなりに苦痛だったのではないか。
第五次十字軍については,そもそも書くことがそれほどない。高校世界史ではスルーされる,したがって以後番号が1つずつずれ,フリードリヒ2世のものが第五次,ルイ9世のものが第六・七次ということになる。ゆえに,彼女が本当に書く気がなかったのは,ルイ9世についてであろう。しかし,それにしても本書のフランス王に対する扱いがひどい。フィリップ2世もルイ9世も随分と辛辣に書かれている。まあ,彼女がキャラ萌えで歴史を描くのは周知のことで,我々もそれが好きだから塩野七生を読み続けているのであるから,それ自体をどうこう言うつもりはない。また,それで鵜呑みに仕切らない義務はある程度読者の側にあるものであろう。本書に対するカウンターとしては,新書ではあるが佐藤賢一の『カペー朝』を挙げておく。
とはいえ,本書の核がリチャード獅子心王にあることは間違いなく,極めて魅力的な人物として描かれていた。特に,お遊びで騎士に叙したサラディンの甥っ子が,後にフリードリヒ2世と第六次十字軍で相対するアル・カーミルというのは歴史の醍醐味の一つだと思うのだが,これに関する描写は秀逸であった。この人がもう少し長生きしたら,フィリップ2世が英雄となれたかどうかは疑わしい。
が,それでも私自身はフィリップ2世のほうが好きであるし,英雄的であると思う。本書には「フィリップ2世オーギュストと古代ローマのアウグストゥスが似ているのは,長命であったことと戦下手であったこと」とあるが,フィリップ2世はそこまで戦下手ではない。というよりも,ブーヴィーヌの戦いでは同数かそれ以上の兵数の神聖ローマ帝国軍に大勝している。ぶっちゃけて言えば,呂布や関羽と正面から戦ったら誰だって勝てないが,より英雄的なのは曹操であるというのと同じではないかと思う。また,フィリップ2世の業績のものの最大は,封建制を脱して国王の代官を派遣し,加えて中央政府にも改革を加えて官僚制を推進したことであり,これがその後のフランス王権強化を決定的とした。
ルイ9世についても,彼は単純な狂信だけで十字軍を起こしたわけではない点を擁護しておく必要があろう。彼とてカペー朝の君主として王権の伸長に興味がなかったわけではない。本書では内政は善政,外政はズタズタという書かれ方をしているが正確ではない。両シチリア王国をホーエンシュタウフェン朝から分捕ってシャルル・ダンジューに預け,第四次十字軍でフランス系封建諸侯が支配することになったビザンツ帝国やヴェネツィアとも連携してあわせて地中海に影響力を及ぼしている。さらにモンゴルへはウィリアム・ルブルックを派遣してイスラームへの挟撃を呼びかけるなど,ある種先代のフィリップ2世を継ぐような斬新さ・周到さを見せている。それでも彼の十字軍が失敗したのはひとえに彼の軍事的無能さとしか評価しようがないのではあるが,総合的に見れば決して無能とは言えない。
それにも関連するが,398ページにモンゴル帝国の勢力圏の地図が掲載されているが,これの時代と出典がわからない。最盛期だとしても,インドにも網掛けが入っているが,モンゴルのインド侵入はデリー・スルタン朝の激しい反撃にあって失敗しているから勢力圏とは言えない。同様にノヴゴロド攻撃にも失敗しているので北ロシアは塗れないはずである。逆に,短期間とはいえ侵攻に成功してパガン朝を崩壊させたビルマは塗られていない等,不可解な点の多い地図である。また,402ページでマムルーク朝について「日本では奴隷王朝と訳される」としているが,これは誤り。日本では普通,インドのデリー・スルタン朝の最初を奴隷王朝と訳し,エジプトの方は訳さずにマムルーク朝と呼ぶのが慣例である。このあたりの誤りからして,モンゴルに関してはあまり調べてないんじゃないかという雰囲気がする。
十字軍物語〈3〉
著者:塩野 七生
販売元:新潮社
(2011-12)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る
しばしば言われることだが,「塩野七生はリチャード獅子心王とサラディンを描き終わったところで満足したから残りは手抜き」というのは,半分正解で半分誤りであると思う。なぜなら,第四次十字軍・第六次十字軍については彼女が好きな人物が登場しているからだ(エンリコ・ダンドロとフリードリヒ2世)。にもかかわらず,これらの十字軍についての描写が簡素なのは,以前に著述が終わっているからである。第四次十字軍は『海の都の物語』で,第六次十字軍は『ルネサンスとは何であったのか』で十分に書いてしまっているので,今更言及する意味をあまり見いだせなかったのであろう。それでも第四次のほうが言及が多いのは,それだけエンリコ・ダンドロを愛しているというのもあるだろうが,『海の都』を書いたのが30年前で,まだしも振り返る気力が湧いたのだと思う。『ルネサンス』のほうは刊行が2001年で,文庫化に至っては2008年である。まだ『ローマ亡き後の地中海世界』を執筆中の時期であり,それだけ最近のことを再び書くのはそれなりに苦痛だったのではないか。
第五次十字軍については,そもそも書くことがそれほどない。高校世界史ではスルーされる,したがって以後番号が1つずつずれ,フリードリヒ2世のものが第五次,ルイ9世のものが第六・七次ということになる。ゆえに,彼女が本当に書く気がなかったのは,ルイ9世についてであろう。しかし,それにしても本書のフランス王に対する扱いがひどい。フィリップ2世もルイ9世も随分と辛辣に書かれている。まあ,彼女がキャラ萌えで歴史を描くのは周知のことで,我々もそれが好きだから塩野七生を読み続けているのであるから,それ自体をどうこう言うつもりはない。また,それで鵜呑みに仕切らない義務はある程度読者の側にあるものであろう。本書に対するカウンターとしては,新書ではあるが佐藤賢一の『カペー朝』を挙げておく。
とはいえ,本書の核がリチャード獅子心王にあることは間違いなく,極めて魅力的な人物として描かれていた。特に,お遊びで騎士に叙したサラディンの甥っ子が,後にフリードリヒ2世と第六次十字軍で相対するアル・カーミルというのは歴史の醍醐味の一つだと思うのだが,これに関する描写は秀逸であった。この人がもう少し長生きしたら,フィリップ2世が英雄となれたかどうかは疑わしい。
が,それでも私自身はフィリップ2世のほうが好きであるし,英雄的であると思う。本書には「フィリップ2世オーギュストと古代ローマのアウグストゥスが似ているのは,長命であったことと戦下手であったこと」とあるが,フィリップ2世はそこまで戦下手ではない。というよりも,ブーヴィーヌの戦いでは同数かそれ以上の兵数の神聖ローマ帝国軍に大勝している。ぶっちゃけて言えば,呂布や関羽と正面から戦ったら誰だって勝てないが,より英雄的なのは曹操であるというのと同じではないかと思う。また,フィリップ2世の業績のものの最大は,封建制を脱して国王の代官を派遣し,加えて中央政府にも改革を加えて官僚制を推進したことであり,これがその後のフランス王権強化を決定的とした。
ルイ9世についても,彼は単純な狂信だけで十字軍を起こしたわけではない点を擁護しておく必要があろう。彼とてカペー朝の君主として王権の伸長に興味がなかったわけではない。本書では内政は善政,外政はズタズタという書かれ方をしているが正確ではない。両シチリア王国をホーエンシュタウフェン朝から分捕ってシャルル・ダンジューに預け,第四次十字軍でフランス系封建諸侯が支配することになったビザンツ帝国やヴェネツィアとも連携してあわせて地中海に影響力を及ぼしている。さらにモンゴルへはウィリアム・ルブルックを派遣してイスラームへの挟撃を呼びかけるなど,ある種先代のフィリップ2世を継ぐような斬新さ・周到さを見せている。それでも彼の十字軍が失敗したのはひとえに彼の軍事的無能さとしか評価しようがないのではあるが,総合的に見れば決して無能とは言えない。
それにも関連するが,398ページにモンゴル帝国の勢力圏の地図が掲載されているが,これの時代と出典がわからない。最盛期だとしても,インドにも網掛けが入っているが,モンゴルのインド侵入はデリー・スルタン朝の激しい反撃にあって失敗しているから勢力圏とは言えない。同様にノヴゴロド攻撃にも失敗しているので北ロシアは塗れないはずである。逆に,短期間とはいえ侵攻に成功してパガン朝を崩壊させたビルマは塗られていない等,不可解な点の多い地図である。また,402ページでマムルーク朝について「日本では奴隷王朝と訳される」としているが,これは誤り。日本では普通,インドのデリー・スルタン朝の最初を奴隷王朝と訳し,エジプトの方は訳さずにマムルーク朝と呼ぶのが慣例である。このあたりの誤りからして,モンゴルに関してはあまり調べてないんじゃないかという雰囲気がする。
十字軍物語〈3〉著者:塩野 七生
販売元:新潮社
(2011-12)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る
Posted by dg_law at 12:00│Comments(2)
この記事へのコメント
私も、フィリップ2世は曹操に似ていると思いますし、フィリップ2世を正しく理解出来るのは、曹操が好きな三国志マニアだけでしょう。
ヨーロッパの歴史しか見ていない方々は、洋の東西を問わず、三国志に無知だから、そういう偏った人物論しか展開出来ないだろうと思いました。
フィリップ2世の事蹟を見ていると、この人は曹操を知っていて、リスペクトしていたような錯覚を受けて、怖くなる時があります。
ヨーロッパの歴史しか見ていない方々は、洋の東西を問わず、三国志に無知だから、そういう偏った人物論しか展開出来ないだろうと思いました。
フィリップ2世の事蹟を見ていると、この人は曹操を知っていて、リスペクトしていたような錯覚を受けて、怖くなる時があります。
Posted by Y子 at 2018年02月08日 00:16
フィリップ2世と曹操を似ているというつもりで記事中の文章を書いたわけではないので,なんともコメントしがたいところです。
しかし,合理主義者で国政改革に成功し,策謀家で外交上手なところは似ていると言えそうですね。
しかし,合理主義者で国政改革に成功し,策謀家で外交上手なところは似ていると言えそうですね。
Posted by DG-Law at 2018年02月11日 23:11