2012年04月11日

様々なモナ・リザ

第三の岩窟の聖母文化村のダ・ヴィンチ展に行ってきた。ダ・ヴィンチ展と言いつつダ・ヴィンチの油彩画が一点も来てないであろうことは想像がついていたが,初来日ではないもののボルゲーゼ美術館の《レダと白鳥》が来ていた。これは以前に都美の企画展で見ているのでそう驚いたわけではなかったが,名画である。また,いろいろと謎が多い”第三の”《岩窟の聖母》もあった。加えて,素描に関してはダ・ヴィンチの真筆がそれなりに数があったし,《モナ・リザ》の模写は大量にあったので,意外とがんばってたという印象がある。

その上で改めて構成を説明すると,レオナルド・ダ・ヴィンチと同時代の画家や弟子たちの作品の紹介と,ダ・ヴィンチ本人による手稿・素描の紹介,モナ・リザイメージの伝播と模写作品の紹介,メインどころと言えなくもない《レダと白鳥》の展示,最後にダ・ヴィンチ自身の(神話的な)イメージの広がりという形になっている。ダ・ヴィンチと同時代の画家については,ダ・ヴィンチとの関連性がかなり苦しいキャプションになっていて,先行きを不安にさせたが,結果的に不満があったのはこのゾーンだけであった。また,ダ・ヴィンチの素描についてはほとんど切れ端といえるような断片まで展示されていて,さすがはダ・ヴィンチ,このクラスまで来るとなんでも珍重されるもんだと変なところで感心した。

数少ない油彩画作品として展示されていた第三の《岩窟の聖母》は,ルーヴル版が第一,ロンドン版が第二と考えた場合のもので,第三のものは個人蔵であるからほとんど表に出てこない。思わず貴重な機会となった(というよりもおそらく一生で二度と見ないであろう)。番号はおそらく制作された順番で,最初ミラノのとある発注主(信徒会)に依頼された描いたのがルーヴル版とされる。ところがルーヴル版はアトリビュートが曖昧で登場人物の判別が困難であること,斬新なダ・ヴィンチによる身振り手振りが奇怪に感じられたことなどから受け取りを拒否され,結果的に仲裁した当時のミラノの統治者であるフランス王ルイ12世が代理で獲得した。ゆえにルーヴルにあるし,『ダ・ヴィンチ・コード』で取り上げられたように,ダ・ヴィンチのミステリアスを増す道具となっている。第二のロンドン・ナショナル・ギャラリー版は,元の発注主に改めて提出されたものと考えられているが,確かにアトリビュートや身振りがわかりやすくなっている。これらに対し,第二版に納得しなかったダ・ヴィンチと弟子たちが,私蔵するために再度描いたのがこの第三版とされている。

今回時間があったのでゆっくりと本作を眺めてみた。確かに,造型はほぼルーヴル版と同じで,むしろ第三者によるルーヴル版の模写とされてもおかしくはない。ゆえに,専門家からはダ・ヴィンチ工房の作品ではないとする意見もあるようだが,真相はいかに。そういえば,私はルーヴルで生の”第一”を見ているし,見に行った当時『ダ・ヴィンチ・コード』ブーム真っ盛りだったので《モナ・リザ》同様に人が群がっていた記憶がある。ロンドンのナショナル・ギャラリーに行けば全種制覇だが,いつになることやら。


私が一番おもしろいと感じたのは《モナ・リザ》イメージの拡大のゾーンである。本作は言うまでもなく無数の模写があるが,これだけずらっと並んでいるとさすがに壮観であった。出来についてはピンきりで,似ても似つかないものから,ダ・ヴィンチ本人への帰属説があるものまで。どうせなら《L.H.O.O.Q.》(もしくは《髭をそったL.H.O.O.Q.》)を最後に置いとけばいい感じに落ちただろうに,と思うのだが,いかに文化村といえどそこまでの度胸はなかったようだ。


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